本心開発体験者インタビュー

真の神さまのお手伝いは、真の神さまの愛そのもの

この一週間、もうとにかく幸せで、幸せでしようがありませんでした。

行ってきなさいよって、メッセージを頂いたような気がして、今なのかな、何で今なのかなとわからないままにも、
そうかじゃあ行くのかなって思っているうちに、仕事のこととか、家のこととかを全部整えていただいて、
ぽんって行けるようにしていただいたんです。自分が決めると、神さまがちゃんと整えて下さるんだなっていうのも感じましたし、
とにかくありがたかったです。本当に来てよかったです。ありがとうございます。本当に幸せでっていうそれしか出てこないです。

今回は、神さまだけに使っていただくお手伝いっていうのはどういうものなのかを、
ちょっとでも勉強出来たらなと思ってきたのですが、まず、皆さんが何もできない私に仕事を作ってくださっているのが、
本当にすごいわかるんですよ。いちいち手を止めて、すごく詳しく説明して下さったりとか。
だから本当にどんなちっちゃなご奉仕も、本当に与えていただいているとしか思えなくって。
そうなって来ると、真の神さまだけに使っていただくお手伝いって、真の神さまの愛そのものなんだなって。
ご奉仕の間、もうずーっと愛しか感じないので、泣けてきちゃうんです。

滞在中のある夜も、お祈りしていた時に、本当に幸せすぎて泣けてきて、
失礼な話ですが、初めて、わー帰りたくないっていう気持ちが、心の底から湧いてきました。

少し前の自分だったら、我でご奉仕をちゃんとしなきゃとか、お祈りもちゃんとやらなきゃとか、自分が何かをしようとしていたと
思うんですけれども、今回は、本当にそういうのを感じることなく、ただただ本当に、皆さんの愛しか感じなかったです。

この村は、支え合いのための生きた場


山仕事の時に、「ご奉仕では、自分の仕事なんか本当はどうでもいい、全体を見るというのは、その時本当に必要な人のところに
サッと行って、何かをしてあげること」って言われたんです。ここでは、全体を見るということは、
本当に昔から言われていたじゃないですか、これまでその意味が今一つよく判らなくって、なんでそんな大事なのかも、
どういう風にすればいいのかも、わからなかったんですけど、そうすることが、何よりも一番下の下から支えることになるんだ
っていうのを、今回本当に教えていただきました。

ここは、一人ではできない大きい仕事が多いじゃないですか、そういう一人ではできない仕事だからこそ、
一番下から支えるっていうことが勉強させていただける。こんないい機会は日常では、なかなかないですよね。

この前まで、例えば全体を30度くらいしか見てなかったとしたら、もうちょっと見えるようになって、
そうなると、みんな愛おしく見えてきちゃって、本当に何にもできないんですけど、
気持ちだけは、今何が出来るかなとか、誰々さんはどうかなとか、そういうことの方に気持ちが行くようになって、
そうするとまた更に幸せで、とにかく幸せしかなかった一週間で、幸せでした。それしか出てこないです。

月曜の朝ミーティングの時に先生が、「嬉しい楽しい、さささー」というお話をされて、何かよく判らないんですけど、
それを聞いた時に、そうなのかなって、よくわかんないままに感じていたら、
1週間本当に、嬉しい楽しい、さささー、しかなくって、
過去はないし、前の日の疲れなんかも全く残ってないですし、とにかく本当に与えてもらっているというのが大きかったです。
どんなちっちゃな釘一個渡すのでさえ、与えていただいているんだと思うと、本当に感激でした。

そして、村の方が、皆さん神さまにしか見えないくらい、本当いい人なんですよ。
本当、多分作業中でそれをずっと続けた方がその方にとっていいだろうに、ぱっと手を止めて、私が納得するまで、
どんなことも教えて下さいますし、私が何かないと思ったら、ささっと仕事を与えて下さったりとか、
本当にそれが神さまの動きなんだろうなって。村の方たちの動きは、本当にそういう動きだと思います。

皆さんは、そんなに人数が要らなさそうな作業の時とかも、必ず誰かが、次に掃除が楽なようにとか、
次に何が必要になってもとか、みんな仕事を見つけて動いているじゃないですか。
作業が17時に終わってからも、まきをやっている人がいたりとか、不織布を切っている方がいたりとか、
絶対自分じゃない誰かのために、もうそれが身についていることなのか何なのかわからないですけど、
多分無意識でやってらっしゃるのかもしれないんですけど、私なんかは、17時に作業が終わったら、
もう自分のことしか出来ないのに、眠くてしようがないところなのに、
誰に言われるでもなく、誰かのために、どうしたら効率よくできるかとか、やりやすくなるかとか、
そればっかり、それだけ考えて動いている人たちの集団にしか思えなかったです。
私から見たら、それがとてつもないことで、誰かが誰かのために、みんなのために、こんなに動いている人たちいないだろうなって。

見本とか、生きた教科書がいっぱいあって、1泊2日では、自分のためにお祈りをさせていただいて、
自分のためのご奉仕で終わって帰っていく感じでしたが、まず見ることしか出来なかったですけど、
これが支え合いなんだ、ここは、見ていないところで誰かのために、下から下から支えるっていうのが、
日常で行われている場所なんだなってすごく実感しました。

ここで生活するということは、きっと大変なことも多いんでしょうけど、
きっと見えない神さまの愛に包まれているからやっていられるのかなって。
この一週間、一人でいる時も、本当に笑っちゃうんですよ。神さまが笑わせて下さっているのかなと思うくらい、
ずーっと笑っていた気がします。思い出し笑いとかじゃなくって、今、嬉しいんです。

前は、どうなったら自分も、ここに長期来て、「幸せで幸せで、楽しくってワクワクして」って言っている人のように
なれるんだろうって思ってたんです。ご奉仕に来させていただく時でも、どこか緊張をしていました。
でも、ここで勉強会の司会をさせていただいてから、本当に鎧を全部取っていただいたみたいで、
本当につるんと向けたゆで卵みたいに、ぷるんって、つるんって、ぽんって、入ってこられた感じで、
そんなに不安がなかったんですよね。

何にもできない自分が一番幸せ


不思議なんですが、一番できなかった自分を感じた作業の時が、一番幸せが湧いてきたんです。
見ているだけしかできないんですけど、その時が一番、幸せで幸せでしようがなかったんですよね。
お祈りをして、きょろきょろしているくらいしかできなかったんですけど、どこに、何が必要なんだろう、
何かできることがあればって思っている時の自分が、本当に幸せで、やっていることの内容は関係ないのかもしれないなって。

村の方と色んなお仕事させていただく時に、説明してもらうじゃないですか、その中に本当に気付きが一杯で、
驚きの連続で、吸収することだらけだったんですよ。何を聞いてもすごいなって。枝の話も、山の話も、砂利の話も、
コンクリートの話も、ホタルの話も、全部。
だから全部本当に勉強ですね。またそれが楽しくて。知らないことを一個一個学べることが。
自分は空っぽなんだなと思って、何も入っていないから、どんどん嬉しいように入っていって、幸せでした。

一円も払っていないのに、こんなところ地球上どこを探してもないと思いません?
前は、ご奉仕もお手伝いさせていただくことが役に立つことだと思っていたんですけど、そうじゃない気がして。
ご奉仕をさせていただくその仕事を、どんな仕事も与えていただいていることに気付くことが何よりも幸せで、
だって大したことできないじゃないですか、村の人からしてみたら、邪魔だし、自分でやった方が速いじゃないですか。
だけど、わざわざ、与えて下さって、ここからここに移っただけで、もう愛ですよね。大きな愛だと思うんですよね。

本当の恩返しを


先生が以前、「祈るんじゃなくって、祈らずにいられなくなるんだ」って、お話をされていたじゃないですか。
本当に、もうありがとうございますって、息つく暇もなく言う位、愛ばっかりいっぱいいただいちゃうので、
祈らずにいられないというのは、ああこういうことかって。

何にもお返しできないのにこんなに幸せにしていただいて、何が出来ますかね?何が恩返しできるのかなって。
本当何が出来るかな、どう返していったらいいのか、何にも返せていなくて、どうして返したらいいんだろうって、
あと今もう本当にそれだけです。何でも使っていただいて、出来ることはしていきたいって、
どんなことでもさせていただきたいって、どんな風にでも使っていただきたいって、
本当に心から、本当の恩返しがしたいって、思いました。

ありがとうございます