運命のひな形って本当は出来上がったひな形って、何年先までぴたっと決まっている。
修正を加えなかったら、何年の先のことがピタッと出てくる。ところが守護霊さん守護神さんが、一生懸命修正するから、
何年先くらいだったらかなり変化する。地球の運命でも色んな預言者がいて予言する。
いつこうなる、マイナスが現実化して大変。ところが修正する神さまが一杯いて応援しているから、その通りにならない。
どんどんどんどん、プラスに変化させてくる。修正を加えてくるから。お祈りする人がもっと増えたら
もっと修正が大きく出来て、マイナスがなくなっていくんだけど、やっぱりプラスに言葉を使う人が少ないと、
マイナスを消す力が弱い。

お祈りでも、普通のお祈りでは、マイナスにプラスを加えても、マイナスは消せない。
普通のお祈りでは、プラスをちょっと加えるだけ、消す力がない。真祈りが消す力がある。
虚のプラスもマイナスも消せる。本当のプラスを加えられる。真祈りになるかどうかって
大きいプラスの言葉を使わないと神さまは降り立ってくれないから、真祈りに変化しない。
小さいプラスだったら神さまは降り立つ必要がないと思って降り立たない。
真祈りに変わるかどうかは、大きいプラスの言葉を使うかどうか。神さまが降り立つ必要のある状態というのは、
大きいプラスが必要な時。自分だけのプラス、自分だけの幸せは小さすぎて、神さまが降り立つ必要はないと思う。

少なくとも、地球全体の幸せが自分の願いだったら、必要性は大きい。そしたら、神さまは降り立てる。
そしたら、真祈りに変えてくる。過去のマイナスの思いも全部消してくる。だから、大きく祈るというのが大事。
それで、地球を救おうとか、大きい意味の祈りを練習している。宇宙船護摩木というのも、宇宙を救おうとする。
そうすると、祈り方が大きくなると、必要性が大きくなる。神さまの助けが絶対必要となってくる。
必ず、神さまが応援に支えに入ってくる。これが真祈り。神さまが降り立ったのが、真祈り。過去を消してくれる。
過去のマイナスの言葉を全部さっと消してくれる。ここまで行かないと、虚の世界を消せない。

だから、言葉はどんな言葉でもいいのと違う。プラスだったらいいのか?そうではない。
神さまが降り立ってくれるプラスの言葉を選ぶ。そしたら、真祈りに変わる。変えてもらえる。
だから、大きいプラスの言葉が絶対に必要。幸せと言ったら、小さいプラス。これはダメ。
幸せと言っていたらいいのか?違う。必ず、新たな無限の無限の幸せが無限に無限に一杯って、このくらい言わないと、
神さまが降り立たないから。虚の世界を消すだけの大きい力が降りてこない。みんな小さく遠慮しすぎるところがある。

護摩木に書く言葉がなぜ、「新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!」というふうに変えているか、しているか。
大きいプラスの言葉を練習している。でも、護摩木に書いているのは省略しているから、本当は隠れた大きい言葉を全部唱えながら、
ありがとうございますって言わないと、本当は小さい。真の神さまは、絶対の中心から全ての全てに 真の神さまを無限に無限に一杯、
与え続けて、それで、神さまを同時に受け続けて、また与え続けて、受け続けてって、一大循環の相象をとって、厳然と今ここに在します。
そして、真の神さまは、絶対の中心から入れ子構造的に、重層構造的に、異次元構造的に、ところてん式に、
全方向から無限のスピードで、一瞬一瞬新たに、間断なく間隙なく、一大瀑布となって、
それで、新たなる全徳の無限の無限の輝きが 無限に無限に一杯と降り注いでいる、という風に、
具体的に言葉にして、神さまの働きの凄さを観じて、受け入れないとダメ。言葉でしっかりと。
そうすると、同じ言葉でも、大きいプラスに変わる。そしたら、本当の真の神さまって、スッと自分の中を通り抜けてくれる。
真祈りに速く変わる。

だから、一番新しい一番大きい神さま、これが本当の真の神さま。そこに全部含まれている。
常に、一番新しい、一番大きい神さまを真の神さまと定める。その真の神さまだけって、断定して断言して、
それしかないっていう風に、本当のプラスしかないという風に言葉で定めていく。
そしたら、言葉通りに真の神さまとピタッと波が合う。波が合ったら、本当の神さまと一体化する。
本当に神さまがスッと寄って来て、支えてくれて、助けてくれて、守ってくれて、導いてくれてって、全てをしてくれて一体化する。
どれだけ凄いか。本当に無条件の幸せが噴水のように湧き上がる、こんなのは小さい。大津波のように押し寄せる、これも小さい。
海の海流の流れのように流れる、これも小さい。こんなのは、虚の世界の小さい流れ。本当の一大循環の流れは、もの凄い。
本当に隙間なく、大きい流れとして、無限のスピードだから、もう言葉を超えた凄い流れで与え続けてきてくれている。

現に、真の神さまは、常にそうしてくれている。それを言葉にしない方が、どれだけ馬鹿か。
神さまを無視して、拒絶して、本当の愚の骨頂。まず、言葉にしないと、無限の損失。
もう、しっかりと言葉にしただけで、受け入れたことになる。そしたら、真の神さまが自分の中へスッと降り立つ。
虚の世界がプラスに置き換わる、そんなのとは違う。神さまの一大循環の真実の世界に自分がスッと置かれる。
神さまが降り立ったら、即座にそうなる。

だから、虚の世界で幸せになるのと違う。虚の世界が瞬間に消えないと。
消えて、神さまの世界そのままになって、これも小さくではなく、一大循環の相象そのままを実観させてもらえるようにならないと、
本当の無条件の幸せとは言えない。同じ無条件の幸せと言葉で言っても、ピンからキリまで。無条件の幸せって同じか、違う。
一番大きい無条件の幸せがいい。同じ言葉でも無限の段階がある。一番大きい、一番新しい、最高の無条件の幸せって言わないと、
本物にならないと思う。幸せというのと同じ。幸せと言ったら幸せか、違う。無条件の幸せって言っても、まだ違う。

真の神さまと言っても、まだ違う。真の神さまと言っても、ピンからキリまである。自分がどれだけ大きく深く捉えている。
だから、言葉をどれだけ、褒め言葉を連ねても、まだ足りないって言う位がいい。
そしたら、言葉の使い方がどれだけ楽しくなるか、幸せになるか。言葉通りに幸せが大きく膨らんでくる。

人って、言葉だけで満足する。言葉だけで幸せになれる。言葉だけで喜べる。言葉だけで全部叶えられる。
言葉だけで全てが成る。他の要素は何もいらない。言葉だけ。必ず、言葉だけで幸せになる。本当の幸せはそう。
神さまが与えてくる言葉だけで、波が合ったら、即座に言葉通りのものを、本当の実体を与えてくれる。幸せの実態を。
虚の世界は、違う。虚の世界は、全部言葉通りに錯覚して、感じるだけの世界だけど、
真実の世界は、神さまの本当の中身を、実態を与えてくる。幸せでも本物。

虚の世界の、例えば肉体、体って言う。何で?本当は、空っぽだという意味。例えば、原子一個。原子核の周りに電子が飛んでいる。
原子核をピンポン玉くらいの大きさにしたら、小さい原子は、どこを飛んでいるの?2・3キロ先を飛んでいる。
1個の原子がそういう状態だったら、何もない。空っぽ。もっと小さい世界を見たら、波の変化だけ。
そしたら、細胞一個作るのでも、何も無い状態のものが集まっている。細胞60兆を合わせても、この肉体って空っぽ。
そしたら、あの世のちょっと上から見たら、肉体がどう見えるか。ビニールの袋みたい。空っぽの袋。
魂の自分から見たら、体は洋服と同じ。洋服に見える。伸び縮みする洋服。固い固定したものではない。
実体のない伸び縮みする洋服。いくらでも言葉通りに自由自在に伸びる。この世の服でも、伸縮自在の服だったらどうなる?
1つの洋服に二人入れる。5・6人でも入れる。

てんかん症状を起こす人、みんなそう。一つの肉体の袋に、服に、何人も入っている。あの世から入り込む。
気の弱い人は、ここへ入れてと言われたら、大抵入り込まれる。ちょっと憑依するだけではない。
最初は、ちょっと憑依させてって言う。そのうちに、入り込もうとする。入り込まれたら、例えば、二人、自分の魂とあの世の魂と二人入るとする。
それでバランスをとる。後から入ったのは、本当の意味で繋がっていない。霊線で繋がっていないから、自由に出たり入ったりするから。
二人入って動いている時に、これでバランスが取れている。一人気紛れだったら、ぱっと抜ける。そしたら、ひっくり返る、気を失う。
てんかんってそう。これが5・6人入ったら、多重人格に変わる。人の魂が同じように入ってくれるのは、まだいい。
他の動物の霊魂が入ると、伸縮自在の袋だから、波が合ったら、波の合うものが入ってくる。そうすると、やっぱりその影響を受ける。
操られる。お酒飲むのが大好きと言う人がある。あの世からお酒を飲みたいものが入って来る。

例えば、低い竜神さんが無理矢理入ると、どれだけ飲むか。いくら飲んでも酔わない。
動物霊でも、馬の動物霊が入ったら、馬でも大きいからなかなか酔わない。いくらしても酔わない。
自分がお酒代を払わないといけない。大変。お墓のたくさんあるところの近くへ酒場を作ると繁盛するという。
繁盛するのは何でか?お墓にお酒を飲みたい霊魂が一杯、地縛霊的にたむろしている。
そうすると、お酒を飲みに来た人に引っ付きやすい。それで、ちょっと入りやすい体だったら、そこへ入り込んで、一緒に飲む。
いくら飲んでも酔わない。あの世の人が全部飲んでくれるから。お酒が強いなんて自慢しても意味がない。
あの世の人が勝手に飲んでくれている。肉体というのは、本当はそんなもの。ビニールの袋。空っぽ。空だ(体)と言う。
それをみんな実体があるように思っている。無い。肉体が自分と思ったら、何もないのを自分と思っているのと同じ。

真の神さまが真の自分、これが、実体がある。本当の神さまという実体がある。でも、虚の世界の全部、何も実体がない。
言葉だけで表現しているだけのすがた。虚の世界の全てがそう。魂もそう、肉体もそう。命もそう。
虚の世界のすがたは全部、実体が無い。波の変化だけ。それで、言葉でみんな騙される。言葉の選び方を間違ったら、
虚の世界の落とし穴にはまり込む。だから、正しく真の神さまだけを言葉にしたら、本当の本心の自分に戻る。
本当の実体のある幸せを、いつも現実化して与えてもらえるようになる。

肉体の自分が幸せになるなんて間違い。虚の世界の自分が幸せになるんだって言ったら、大きい間違い。幸せになれない。
どれだけ満足させよう、喜ばせようとしても、できない。五感や六感の感覚なんて、みんな偽物。
「ああ気持ちがいい~」と言ったって、言葉の錯覚。本当の幸せでも喜びでも何でもない。本当はないから、際限なく求める。
五欲の心も同じ、名声欲、キリがない。ここまで名声を博した。更に、もっともっとって。
財産欲ってそう。これだけ財産ができた。でも、満足しない。もっともっととなる。全てがそう。
実体がないものだから、いくらでも膨らむ。シャボン玉みたいに、膨らんでいく。
バブルの崩壊があっても、諦めずに、まだ膨らませる。幸せを求める方向が間違い。

本当の幸せは、神さまの中にある。神さまが持っている。神さまが幸せの本体。
神さまが自分の中に流れ込んだら、本当の無条件の幸せが湧き上がる。だから、神さまだけを、それも真の神さまだけを、
一番大きい本物の真の神さまだけを言葉にする。そしたら、幸せが本物になる。自分自身も本物の自分になる。言葉選びだけ。
言葉で波を合わすだけ。波が合ったところから、必ず、無限倍の支えや助けが一杯来る。
だから、波の合わないところは、絶対助け合えない、支え合えない。波の合うもの同士だけが、支え合う、助け合う。
だから、自分の選んだ言葉通りに、支え合える、助け合える。だから、自分がどういう言葉を選ぶか、これだけが一番大事なこと。

(平成27年8月8日のお話③)