盤石の丘への道。もしあそこが崩れて道がなかったらどうなるか。向こうへ行けない。
そしたら悟りへの道、易行道、悟りへの一本道が用意されているのは、どういう道か。簡単に一本道を作るのではない。
山あり谷あり、いろんな障害が一杯あるところを、神さまは、悟りへの最短コースの易行道を用意する。
そしたら下から全部それを支えないとダメ。谷があったら谷を埋める。全ての障害を全部なくして埋めてしまう。
一本の道をスーッと支えた状態で、最高のすがたをとって、絶対の中心まで最短コースを作り上げる。

どれだけ大きい支えがそこにあるか。表面の道だけ見ていたらわからない。ああきれいな道だな、楽だな、これだったらダメ。
どこかに落とし穴があったら千尋の谷底に落ちて、地獄のどん底に落ちてしまうかもしれない。
それを全部排除して、盤石の支えで一本道をスーッと護っている、すごい事。

だから真の神さまに、全体に全てにみんなに支えられて、悟りへの道を歩む。どれだけ凄い事か。
自分が歩むのではない。みんなに支えられているから歩める。今度の盤石の丘ツアーは、みんなが行進するような形をとる。
後ろの人が前の人を支えて前に進む。後ろからバックアップの勉強をする。支えられて祈る。
前の人は、また後ろに戻って、支えながら前に進まないとダメ。自分だけが先頭に立っていいのではない。
先のものは後に、後のものは先に、バックして後ろから支える人が、大きい支えを観じとれる。

本当の悟りって、差をとる。神さまとの差をとっていく。神さまと同じ生き方になったらそう。
一番最後に歩く人がいい。本当はそう。一番最後からみんなを押し上げるくらいの気持ちが大事。そしたら一番神さまに近い。
大きい支え・バックアップを観じる、その勉強のためにする。1から100まで全部神さまがしてくれている、100%してくれている、
これは虚の世界の話。神さまの世界の支え方は違う。1から無限まで。小さい浅いものではない。1から無限まで、無限%、神さまが支えている。
神さまはこれを本当に実観させるために、いろいろ勉強材料を与えてくれている。

同じ一言、ありがとうございますを唱えるけど、中身がどんどん変化する。同じありがとうございますでも、中身が無限の違いがある。
ありがとうございます、虚の世界だったら単なる感謝。何かいいことをしてもらって、何かいいものをもらって、ありがとうございますという。
浅い小さい感謝。これも一つの解釈。虚の世界の低い解釈。でも、本心の自分の、大きく深い解釈だったら、そんなのではない。
真の神さま、それも一番新しい、一番大きい、最高のすがたの真の神さまを指して、ありがとうございますと言う。
そのありがとうございますは、感謝の16項目全部を持っている。

本当の感謝、感謝というのは小さい意味ではない。真の神さまという本当の意味のありがとうございますにならないと。
単なる感謝だって、いい時だけありがとうございますと唱えたって続かない。感謝という行でもそう。
行となったら、24時間+α。本心の自分のする行、16項目の一つに、感謝がある。真の感謝の行。
この行となったら、24時間+αの祈り。賛嘆する行もある。賛嘆の行。これも24時間+αの祈り。
恩返しの行、絶対奉仕の行、全託の行、交流の行、一体化の行、全部行になっていないと、本物ではない、続かない。

真祈りの行って、本当に真の神さまの働きそのもの。一大循環の相象そのまま。絶対止まらない。
本当に血液の流れのように循環する。呼吸はまだ止まる。吸って吸って、吐いて吐いて、止まる時が来る。
血液の流れは止まらない、止まったらもう死んでいる。一大循環は、血液の流れのように流れている。
真祈りのありがとうございますが、流れている。真祈りを祈ることが、循環を加速する働き。
どんどんスピードを上げる。無限のスピードだけど、無限は限界がないから、祈れば祈るほど加速していく、スピードが上がる。
一人祈りを怠ったらスピードが落ちる、だからみんなが祈って祈って、加速してほしい。それが本当の意味での支え合い。
支え合って、どんどんスピードを上げていく。

そしたら一大循環の相象ってどういうすがたか。本当に必要なものが、的確にさっと与えてもらえる。
それで要らないものが全部さっと消える。どれだけ幸せなすがたをとるか。今、本当に必要なものがさっと出てくる。
用が済んだらさっと消えて、次に必要なものがさっと来る。
時間がかからない。最高のものが、必要なものがさっと来る。これが一大循環の相象。
それも大きい立場から見ても、小さい立場から見ても、全部がピタッと決まる。

ジグソーパズルでもそう。無限の無限のピースを、的確に瞬時に当てはめるなんて、人の業ではできない。
いくらみんなが力を合わせても不可能。神さまだからできる。無限の違いのあるピースを作るのも、神さまだからできる。
一瞬一瞬、全体のすがたを変化させるのも、神さまだからできる。
だから神さまの凄さは、言葉では表現できないけど、もう凄すぎる。表面のちょっとした違いを分かるくらいではダメ。
何もわかっていないのと同じ。奥深い入れ子構造のすがたの違いまで分かるって、もの凄いこと。
でもそれすらも真の神さまの凄さと比べてみたら、小さい。

だから真の神さまの前に自分が一対一で立ったら、無限%の全託がいる。100%と違う。無限%の全託が必要になる。
そしたらどれだけ幸せか、心が安らぐか。本当の無条件の幸せが湧き上がる。

真祈りを祈れる自分にしてもらう、真祈りの伝授を受ける、この祈りのできる自分にしてもらう。
ありがとうございますが、絶対の中心から全ての全てに、真の神さまを無限に無限に与え続ける自分。
ありがとうございます、ありがとうございます、+αを受けて祈り続ける自分。これが真祈りの伝授を受けた自分になる。
これを真の神さまはみんなに、授けようとしている、伝授しようとしている。その邪魔をするのが我。
勝手に拒絶する、変に遠慮する、受け取らない。

自分が何かしようとしている。自分で何かしようとしたら、神さまは手を下せない、手を出せない。いいことも悪いことも全部そう。
自分でするといったら神さまは引っ込む。真の神さま以外にすがったら、神さまは引っ込む。
他のどんなものにすがっても、真の神さまは引っ込んでしまう。自分がしても、自分が他にすがるのでも、真の神さま以外に頼るんだったら、
真の神さまは後から出てくる。一番最後に出てくる。それまでは出てきてくれない。出てきたら全部消してしまうから、自由を奪ってしまう。
だからそれはできない。

だから、自分の自由意思で、真の神さまを呼ばないとダメ。真祈りのありがとうございますを、ひたすら祈り続ける。
真の神さまに無限パーセント全託して。そしたら、真の神さまは、喜んで飛び出してくる。一瞬一瞬新たに、出てきてくれる。
ずーっと出てきてくれる。そしたら、真の神さまが真の自分。真の神さまの本当の力が、そのまま自分になって出てくる。
そしたら、一大循環の相象も入れ子構造も、重層構造も全部、本当の意味でわかる。実感する。そこまで本当に、しっかりと選べるか。
選ぶことだけ。自分の選んだ言葉通りになる。必ず、自分の選んだ言葉通りに実感する。だから、しっかりと言葉を選ぶこと。
選んだ言葉をしっかりと駆使する、使いこなすこと。

だから、時間がもったいない。無駄な言葉を使っていたら、選んでいたら、その言葉の影響を必ず受けてしまうから。
この世の言葉を、特にマイナスの言葉を使っていたら、必ず、言葉通りの自分になる。マイナスの自分になる。
いくら、真の神さま、ありがとうございますと言っていても、今の自分に合った必要な助けしか入ってこない。
今の自分のレベルが低かったら、低いレベルに合ったものしか、その自分に必要なものしか、与えてもらえない。小さい。

だから、まず真の自分、これを本当の意味で定めないとダメ。本心の自分というけれど、本心の自分もピンからキリまである。
本心も虚の自分もある。真実の世界の自分もある。無限の段階がある。本心の自分という言葉すらそう。
だから、本心の自分も、真の神さまが真の自分としっかり定めること。それ以外に自分はない、と断定すること。
そしたら、言葉通りの自分に必ずなる。肉体や魂や虚の世界のすがたを自分と感じない。本当の自分に戻れる。
肉体を持っているから、肉体を自分と思う、こんなことは無い。神さまの世界にいながらでも、全部自分と思う。
虚の世界の宇宙が全部、自分の中に小さく納まる。小さい部分だけを自分とつかむのは、小さい言葉を使い過ぎているから。

生まれてこの方そう。肉体が自分って、言い続けている。また、そういう言葉を聞かされている。
肉体は、動物の進化したすがた。猿から進化したって。必ず、肉体が自分って、つかんでいる。そういう風に教えられている。
どれだけ回数多く、その言葉を自分が選ばされているか。そしたら、言葉通りの自分をつかんでしまっている。これを逆にしないとダメ。
本心の16項目をしっかりと唱えて、真の神さまが真の自分って、断定して言い続けないと、負けてしまう。

どっちの言葉をたくさん唱えたか。本当のプラスの言葉をしっかりと唱えたら、その人の信念は、本当のプラスの信念になる。
その信念の自分に波の合うものが集まってくる。必ず、プラスだけをかんじる。それ以上に、今新たに選ぶ一言が全てになるくらいになる。
一言、ありがとうございますを唱えたら、真の神さまが降り立つ。ここまで言葉を選び続けないと。
これを真の神さまは、一人ひとりに幸せになってほしいから、本当の真祈りを伝授しようとして来ている。

何億年以上、虚の世界をさまよって、七難八苦が一杯で苦しんできた。何とか本心に戻したい。
真祈りを祈り続けられる自分に変えてあげたい。だから、今のこのチャンスを逃したら、損。無限の損失。
しっかりと、目標・目的を定めること。何を選んだらいいか。神さまの無限の無限の本当の支えが、どれだけ大きいか気付くこと。
この気付きを与えるために、神さまは、あの手この手を一杯使ってきている。五感六感の世界にも、気づきを与えようとをしてくる。
もう一つ大きい、心の奥でも、深い気付きを与えようとして来る。一人ひとりの気付いたことを、みんなで共有することが大事。
共有することで支え合いになる。全体の気づきが全部、自分のものに変えてもらえる。早く大きい気付きになる。
だから、絶対支え合いが必要になる。自分の気づきは、みんなに発表すること。みんなの気づきを喜んで受けること。
他の幸せを自分の幸せのように喜べる人は、全部自分のものにできる。

(平成27年8月1日のお話②)