一番大事なこと、全て言葉通りになるという法則がある。まず言葉通りの自分になる。
だから自分の選ぶ言葉、どういう言葉を選ぶか、見ること・聞くこと・言うこと、全部自分の選んだ言葉。
その言葉を自分がしっかりと使いこなす、駆使する。自分が選んで、駆使する言葉通りに全てが成る。
これが根本の法則、これが一番大事なこと。

神さまの世界は、言葉通りに受け取れる。虚の世界は、言葉通りに作り上げる。神さまの世界は、言葉で作るのではない。
神さまがすでに厳然と存在している、それを言葉通りに受け取る。これが神さまの世界のすがた。
虚の世界は、自分の選んだ言葉で作り上げる。大きくも、小さくも全部そう。
全て自分の選んで使う言葉通りのものが、現実化する。そしたら今の自分がどういう自分か。
全部、過去にどういう言葉を選んで使ってきたか、その結果。

神さまの世界をかんじ取るのも、言葉通りにかんじ取れる。どういう言葉を使っているか。かんじ方が、二通りある。
五感六感、感覚の感と、心の目でしっかり見るという観。どう違うか。
感覚の感は、五感六感も同じだけど、表面の浅いすがたを見る。観察の観、これは奥のすがたを見抜く。
木目って、外から見えないけど、木目がちゃんとある。これが相のすがた。表面は象のすがた。両方合わせて相象(すがた)。

真の神さまは奥を見抜かないと、何もわからない。表面では何もわからない。五感六感で見る、感じるものは、すべて偽物。
この世で何を感じても、真の神さまではない。真の神さまを観じるのは、奥深いすがたをしっかりと見抜かないとダメ。
入れ子構造のすがたを、重層構造のすがたを、その他すべて奥深いすがたを全部見抜くのが、神さまを観じるという観。
それも、真の神さまをどれだけ大きく捉えるか。同じ真の神さまといっても、ピンからキリまでがある。

一番大きい、本当の真の神さまとは何か。絶対の中心、一番大きいところから、一番新しく出てくる神さま。
一番新しい、一番大きい、最高のすがたの神さまが真の神さま。その中に全てがある。真の神さまの全体、全貌、全相を現わすすがた。
それだけが、本当の真の神さま。それ以外は小さい。入れ子構造でも、一段階落ちるだけで無限分の一。
一瞬過去になったら、今新しく出てくるものと比べたら、比較にならない、古いもの。
一番新しい、一番大きい最高のすがたの真の神さまだけを指して、本当の真の神さまと断定する。それ以外、真の神さまなんて言えない。
小さいものを真の神さまなんて言ったら、無礼千万。だから正しく真の神さまをとらえて、これが真の神さまなんだと断定して、
ありがとうございますと唱え続ける。ここまで行ったら真祈り。それ以外は違う。マイナスの言葉の意味。
プラスのようで、神さまから見たらマイナス。

同じ言葉でも、思いの我の心の解釈と本心の解釈は全部正反対。本心でも無限の段階の自分がある。
小さい本心、大きい本心、無限の段階がある。一番大きい本心の自分でないと、正しい解釈はできていないと思う。
本当に今の一瞬、新たなる真の神さま、それが真の自分となった時、一番いい解釈が施せると思う。

そしたら普段、どういう言葉を常に唱え続けているか。同じ真のプラスの言葉と言いながら、本当に真のプラスの言葉かどうか。
真の神さまの最高のすがたを現わす言葉でない限り真のプラスの言葉ではない。
だから一瞬一瞬、新たに出てくる、最高の真の神さまを表現する言葉だけが、真のプラスの言葉。この真のプラスの言葉を駆使するのが、
本心の自分の生き方。

真の神さまは、一瞬一瞬新たに、自分自身を、全ての全てに対して、無限に無限に一杯、与え続けている。同時に受け続ける。
神さまは、自分が与えて自分が受ける。問答も同じ。自分が問いを発して自分が答える。自問自答。
与えるのも受けるのも、与えて受けるのが同時。それで循環する。神さまの働きは常に、絶対の中心、一番大きい立場から全ての全て、
これは、本心の全ての全てに対して、自分の最高のすがたを、一回きりではない、無限に無限に一杯、与え続け与え続け、
また受け続け受け続け、一大循環の相象をとって、存在している。それも無限のスピードで。

与え続けているから、真の神さま。ストップが全然かかっていない。無限のスピードで与え続けるから、真の神さま。
そしたら本心の自分も同じ。与え続けなかったら、本心ではない。真の神さまと同じように、真の神さまの最高のすがたを、与えて与えて与え尽す。
この自分が、本当の真の自分。与え続けるから、真の自分。

でも本心の自分といっても、本当の与え方はできない。言葉だけ。言葉だけ、与え続ける。ありがとうございますを、唱え続ける。
中身は神さまが全部する。言葉通りのものを全部与え続ける。一人ひとりの本心の自分は、言葉通りに神さまの働きを受け取る。
そしたらどういう言葉を選んで使うか。祈り方、いろんな祈り言葉で祈る。この全部を中に持ったありがとうございます、
この一言を、24時間+αで祈り続けるのが、本心の祈り方。この+αが加わらないと偽物。そしたらこの+αは何か。24時間祈るのも大変。
本心は眠らないから大丈夫だけど、24時間隙間なく祈るのは大変。真の神さまを与えて与えて与え尽す、与え続ける、
ありがとうございます、ありがとうございますと祈り続ける、ずーっと祈り続ける。本心だったらできる。
でも本心が24時間祈り続けても、まだ真祈りにならない。+αが加わっていない。

αって一番最初のすがた。α、β(ベータ)、γ(ガンマ)、δ(デルタ)…。αは一番最初の言葉。絶対の中心から現れる、根源の一番おおもとのすがた。
その大きい支えが、助けが加わらないと真祈りではない。その分身としての全てが加わらないとダメ。
入れ子構造の全て、重層構造の全て、異次元構造の全て、全部加わって、虚の世界の全ても加わって、+αとして加わって初めて、
24時間祈る自分の祈りが、+αで真祈りに変えてもらえる。自分で祈っているという祈りは、偽物。
無限の無限の大きい支えで、祈らせていただいている、これだけ。これが真祈り。自分の祈りはない。全て真の神さまの祈り。
これを祈らせていただいている。だから本心の自分。

(平成27年8月1日のお話①)