虚の世界は言葉通りに移り変わる。神さまの世界は言葉通りに受け取る。虚の世界は自分の言葉通りに移り変わる。
だから神さまの世界のように移り変わらせようと思ったら、言葉をプラスだけに変えたら、全部自分の言葉通りに必ずなる。
だからどういうプラスの言葉をしっかり選び続けるか。先に言葉を使えたら、お祈りに入れる。
先に言葉を持って来るんだったら、信念を変えて、行いを変えられる。でも先に言葉を持ってこなかったら、
現実をつかんで言葉にして、心までマイナスになる。身口意の三業が積み重なる。

だからお祈りする人は言葉をしっかり選ばないとダメ。現実を関係なしにまず言葉を選ぶこと。
それも神さまを言葉にすること。真の神さまとは何か、これをしっかり言葉にすると本心の自分が輝いて出てくる。
その自分は、言葉と心と行い、同時に、現実の行動までしっかりとプラスに変わる。
本当に必要なことをする。本当に周りに必要なものを与え続ける自分に成る。

思いの心で唱える、「真の神さまだけ」は、自分のために唱えている。
同じ真の神さまだけって言っていても、本当に最高の神さまを与え続ける言葉かどうか。
思いの心で唱える真の神さまだけは自分のために唱えている。
自分が楽をするようにって。与えるためではない。自分がプラスを受けられるように、求めて唱えている。
同じ真の神さまだけって言うんだったら、最高の真の神さまを与えて与えて与え尽して、
真の神さまで全体を埋め尽くして、真の神さまだけしかないっていう断定まで行かないとダメ。
とことん真の神さまを与え続けた、その結果が真の神さまだけという言葉になる。ここまで行ったら真祈り。
力が出てくる。真の神さまが本当に降り立ってくれる、本心の自分が輝いて降り立つ、本心の力を発揮できる、
思いがどんどん消える、我が消える、この練習。思いが我ががあるから、本心の自分を生きられないのと違う。反対。
本心の自分を生きようとしなかったら、我が出てくる、思いが出てくる。我でも思いでも残しておかないと、
何もないよりはいいからだけ。本心の自分をしっかり生きようとする気持ちが本当に出てきたらいいだけ。
本当の幸せをとことん求める心が出てきたらいいだけ。

本当の幸せとは何か。本当の安らぎとは何か。思いの心では得られない。
思いの心は、いつも影のように付きまとう七難八苦で一杯。過去をつかむ思いの心ってみんなそう。
お釈迦さんが出家したのも、生老病死の四苦を見て出家した。思いの心に陥った時は苦しい。
自分が生老病死で苦しんでいなくても、周りの人が苦しんでいるのを見ただけで、自分も苦しい。
どうしたらその苦しみから抜けられるか。本心に戻ろうとして、悟りを開こうとした。
思いを貯めたら、我の心になったら七難八苦が付きまとってくる。どうしようもない。影のように付きまとうから逃げられない。
思いが光で投影されて影になって映るのが、七難八苦の苦しみ。思いが消えないと七難八苦は消えない。
思いが一杯たまったら、影が濃くなるから地獄。マイナスの言葉の蓄積が、全部陰になって映し出される、
それが七難八苦の苦しみ。その原因はどこにあるか。やっぱり、プラスを与えていないから。与え続けてないから、
本心の自分の生き方を忘れたから。真の神さまのように、最高のプラスを、最高の自分を全体に与えて与えて、与え尽して、
また全体から無限倍にして与え続けてもらう。その自分に戻らないと、幸せになれないから。

だから与えたとおりに与え返される。何を与えるか。何を与えるかって大事。
生きるためにお金が必要だ、お金を手に入れるために何をしてもいいのか、違う。何を与えるかの方が大事。お金儲けが問題ではない。
何を与えたかが大事。どれだけみんなの幸せのために必要なものを与えたか。必要なものを与えたかどうか。
欲しがるものを与えたのと違う。本当に必要なものを与えたら、プラスを与えたことになる。

仕事をするのでも選ぶのでもそう、ホントに世の中に必要なことを選んで、必要なことをすること。
それもお金のためにしたらダメ。お金のためにしたら、お金をもらうという気持ちになったら、借金になる。
いくら働いても、これは借金。恩返しで必要なことをする。シッカリと与えて与え尽す、無償の心で与え尽す、
そしてあとまた与えてもらうものは求めていない、お給料でもボーナスでも、何でももらったらいい。
相手からもらえるの、これはご褒美。神さまから必要なものとして、支えとして与えてもらう。
これだったら借金にならない、循環。

でも求める心だと、交換になる。交換というのは、自分の与えたものしかそのお金を通して返ってこない。
仕事でも、 例えば、人に本当に幸せを与えているかどうかって、与えていない仕事は一杯ある。
それは、得たお金は、全部自分が与えたものだけが帰って来る。極端に言ったら、人を殺して手に入れたものは、
そのお金は自分も殺されて消える。これが厳然たる法則。これはもう誰にも文句を言えない。自分のした通りにしか返ってこないから。
自分がどれだけ周りに対して必要なものを与えてきたか、その結果。

お祈りも同じ。本当の真祈りを与え続けたら、真祈りが返って来る。神さまの支えが全体から大きく帰ってきたら、
大きい支えで、悟りが開ける。でも、単なる祈りだったら、多分無理。虚の世界の祈りは、縛りになる。思いが消えない。
プラスの言葉は、プラスの縛りになる。縛りの言葉は、虚の世界の言葉。

新たな神さまの言葉は、思いを、過去を消せる。だから、思いがどんどん減って、借金が減って、自由になっていくから、
悟りが開けてくる。だから、消せるかどうか。真祈りまで進まないと、消せない。真祈りは、真の神さまが自分を使って、降りてくれることだけ。
神さまに使ってもらうことだけ。これが絶対奉仕。

どうしたら、絶対奉仕に近づくか。神さまの生き方をしっかり捉えて、真似しないとダメ。
神さまが祈っている祈り方がどんな祈り方か。真似をしなかったら、神さまの祈りのお手伝いができない。
神さまの祈りは、どういう祈りか。真の神さまは、絶対の中心から本心の全ての全てに対して、一番新しい、一番大きい、
最高の自分を無限の無限に一杯与え続ける。常に、これを繰り返している。真の神さまは、常に絶対の中心から入れ子構造的に、重層構造的に、
異次元構造的に、ところてん式に、無限のスピードで、一瞬一瞬新たに、間断なく、間隙なく、隙間なく、本当の一大瀑布となって、
新たなる全徳の無限の無限の輝きが降り注いでいる。

(平成27年7月25日のお話③)