この世も同じように生きていて全部違う。自分の波に合うものしか感じていない、感じ取れない。
同じ人の話を聞いても、例えばAという人が何か話をしてくれた、10人の人がその人の話を聞いた。
どんな話だったかって確かめてみたらわかる。みんな言うことが違う。だから如是我聞という。
まずお釈迦さんの説法がそうだった。大勢に説法をした。あとで感想を聞く、お釈迦さんの話はどうだったか。
みんないうことが違う。同じ話を一つもしない。深く捉えた人もいる、浅く捉えた人もいる、色んな捉え方を全部している。
お釈迦さんの説法、どれが本物か。全部違うんだから、どれがいいか悪いかって言えない。
だから如是我聞という。自分はこのようにお釈迦さんの説法をこのように聞いた。これだけ。
だから御釈迦さんの説法を弟子が残したのが仏教の教え。それぞれ私はこう聞いた、色んな人がそれぞれにこう聞いた、それを集めている。
だからお釈迦さんの説法ではない。人がこう聞いたという話だけ。

そしたら真の神さまの説法って何か。常に宇宙に鳴り響いている。声なき声。無色透明の声なき声。無限に無限に一杯だという。
どれを聞いているか。まず何も聞いていない。虚の世界の話を聞いていたら、虚の世界に神さまの本当の働きなんて、
無限分の一降りていないんだから、無限分の一ないものから神さまの教えなんて言えない。
だからそういう言葉として現れたものではなしに、声なき声。声なき声をどれだけ汲み取ったか。一瞬一瞬、新たに。
過去の話は全然関係ない。神さまは与えっぱなしだから、必要なものを的確に与え続けているだけ。過去は関係ない。
今必要なものを与えてくる。今、神さまは何を必要として与えてきてくれているか。

だから常に一番新しい一番大きい真の神さまの中に、全てがある。一秒たったらもう遅れている。遠い昔の残像みたいなもの。
だから常に新たに新たに。それも神さまの言葉を感じ取ったら、その言葉を祈って、その心になって現実化して、
行動に、同時に起こっていないといけない。隙間があったらダメ。真の自分、本心の自分を生きるということは、ものすごく大変なこと。

どれだけ真剣に、神さまの生き方を真似するか。それは何かって言うと、絶対の中心にまず立たないと、一番大きい立場から、
全ての全てに、一番大きい真の神さまを与え続けようとする。これが、ありがとうございますの真祈り。
本心でないと、一番大きい立場に立てない。本心が自由自在心。思いの自分は一点にしか立てない。
本心だから全ての立場に立てる。一番大きい立場に立って、一番大きい真の神さまを与え続ける。
一番大きい立場で、全体から真の神さまを受け続ける。与えると受けると同時にする。これを絶えず繰り返して、一大循環の加速をする。
無限のスピードって限界がない。それをさらに加速していく。

だから与えて与えて、与え続ける、ありがとうございますで与え続ける。この祈りが真祈り。これが出来たら、本心の自分、悟った自分になる。
だから真祈りを神さまは伝授しようとしている。とことん真の神さまを、与えて与えて、与え尽す練習をさせようとしている。

どれだけ真の神さまだけを言葉にできるか。真祈りってそう。一番新しい一番大きい真の神さまだけを言葉にしないと、真祈りにならない。
その練習ばっかりさせてもらう。真の神さまだけ。断定し続ける、断言し続ける。
真の神さま以外何もないんだ、最高のプラスだけだ、虚の世界なんかない、マイナスなんかない、本当に真の大きいプラスだけ、 言葉で断言し続けないと、言葉通りになるのだから、神さまの世界ではない。

 だから普段の日常生活の中で、何を言葉にしているか。まず、本当に真の神さまだけを言葉にし続けているか。
本当の真の神さまというありがとうございますを、与え続けているか。 受けるだけだったら多分循環が止まるから、隙間が一杯できる。
循環が止まったところに、思いが出てくる、我が出てくる。負けてしまう。受けるだけではダメ。いくら神さまを大きく受けたってダメ。
やっぱり隙間なく与え続ける、この習慣が身につかないと、心の隙間に思いが入って来る。徹底して与えて与えて、与え尽す。
自分の器があって、底があったらダメ。底を突き破らないと循環にならないから、
与えて与えて、与え尽して底のない自分、空っぽの自分にしてしまう。

 そしたらもう、肉体の自分のことを考えてはダメ。まず肉体の自分のことを考えたら、マイナスの言葉を一杯積み重ねてしまう。
まず自分が肉体と思っただけで、マイナスの言葉が一杯。必ず過去のことばっかり思い出されてくる。過去はこうだった。
そしたらそれに対して 一杯それに対する用意をしてしまう。こうしたからこうだった、一杯出てくる。
マイナスの言葉を一杯積み重ねてしまう、マイナスの準備を一杯してしまう。それで、身口意の三業って無限に積み重ねる。恐ろしいぐらい。
消すどころか、大きく積み重ねてしまう。本当はプラスの信念だけがいい。真の自分は完璧と言えばいい。
無限力、全知全能、何でも完璧と言っていたらいい。本心の自分は何も食べなくても大丈夫、眠らないでも大丈夫と言えばいい。
働いたら疲れるのは違う、働くほど元気になると言えばいい。働くほど湧き上がる力がたくさん出てくる。

忍者でもこの身は鉄なりって、鉄だって自己暗示をかけた。それで刃物の下を傷つかないようにすり抜けたりする。
本当にこの身は鉄なり、といったら傷つかない。火の中でも同じ。 この身は烈火なり、激しい火だ、って自己暗示をかけて、火の中を走る。
自分が魂だ、魂だって思うだけでも、肉体が切り刻まれても動く。そしたら、普段の生活で自分がどういう言葉を本当に選んで使っているか。
本心をしっかりと言葉にしているかどうか。本心をしっかりと言葉にしたら、無限力が出てくる。運命を支配できる。全部変えられる。
全部過去の言葉を消せる。

でも本心の自分をしっかり言葉にしなかったら、現実をつかんでいる、現実ばっかり言葉にしてしまう。そしたらマイナスの言葉ばっかりになってしまう。
次から次へとマイナスを積み重ねていく。今日は暑いからって、いろんな準備をしてしまう。ちょっと体がしんどいからってその準備をしてしまう。
本心ならそんなのしない、何にもいらない。本心だったら、別に何にも食べないでも大丈夫、何にも飲まないでも大丈夫、どんなに暑くても大丈夫、
何があっても大丈夫、これだけで押し通して大丈夫。言葉通り。

(平成27年7月25日のお話②)