真のプラス言葉を駆使するって、たくさんある。真のプラスの言葉って、今一瞬、新たに出てくる言葉だけ。
一番大きい言葉。全て、一番大きい言葉。一番新しい言葉。これが真のプラスの言葉。
無限にある、全部唱えることは不可能。だから、その代表的な一つを唱えたら、残りは全部、バックについている。
常に、全てが一つになって、唱える。支えてもらって、唱えさせてもらう。

だから、どの言葉を唱えても、支えてもらっている。大きく、無限の無限の支えで、一つの言葉を選んで、
選ばせてもらって、唱えさせてもらう。真の神さまの支えが先に来ている。どんな場合も。
この世の人は、勘違いするところがある。「自分がこれをしたから、こうなった」と言う。違う。
何が起こっても、神さまの無限の無限の支えで、そうなっただけ。自分のしたことって、無限の中の一つとして、
それもさせてもらったという結果。

例えば、「印可書を読んだから、自分の心境がこうなって、良くなった」というのは、嘘。
印可書を読まない人も全部、大きい気付き、悟りを与えてもらっている。読まなかったらならないのと違う。
それが原因ではない。神さまの支えが大きい、元の原因。どれだけ大きい支えが先にあったか。
その大きい支えの中に、印可書を勉強させてもらうという、一つの勉強がある。本当は、もっと無限にある。
たまたま、今の自分にそれが必要だから、勉強させてもらったという結果としてあるだけ。
だから、みんな一人ひとり、何を与えてもらうか違う。

まず、虚の世界に転落した人、地獄に落ちた人は、自分の力では何も出来ない。
どれだけ努力しても、何もできない、不可能。それを、色々な気付きを与え、本心に戻し、お祈りをさせて、
色々与えてくれる。これは、みんな神さまの支えだけ。自分がこれをしたから、はない。
何かするとしたら、神さまに必要だからさせてもらっているだけ。+αを大きく与えてもらっただけの話。
それで、全て神さまのお蔭、真の神さまの働きだけって、断定し続けて、断言し続けて、祈り続けないとダメ。
微塵も我を出したらダメ。邪魔するだけ。

だから、自分が何かをするのが目的ではない。先に与えてもらう、神さまの無限の無限の大きい支え、
これに心を向けて気付くだけ。その為に言葉を、大きいプラスの言葉を繰り返すだけ。
それで、神さまに降り立ってもらって、気付かせてもらう、これだけが大事。

最後は、ありがとうございますの一言になる。本当は、他のものは何も必要ない。
ありがとうございますの中に全部ある。一番短い言葉だけど、ありがとうございますが全てを中に持っている言葉。
だから、呼吸のように、ありがとうございますって唱えるだけで、一大循環の相象に戻してくれる。
後、必要なだけ、色んな言葉の学びがあるだけ。本当のお任せ。100%の全託だけ。
それで、真祈りの伝授を神さまがしてくれる。人の努力ではない。神さまが全部、全てを神さまがして、
真祈りの伝授をしてくる。ありがとうございますだけでいい。謙虚に、素直に、真剣に、
本心の自分をしっかり生きるだけ。

本心の自分は、常に、新たに新たに。絶対に惰性に流れたらダメ。新たな自分、新たな自分。
真の神さまも、新たな真の神さまだけが本物。一番大きい神さまだけが本物。そしたら、全託しやすくなる。
もう、ありがとうございますで、力みが取れる。もう全部、神さまがしてくれている。そしたら、我も消える。
我が出ない。過去をつかむなんてしない。新たに新たに、無限のスピードで必要なものを与え続けてくるのに、
循環を邪魔するようなことはしない。全部お任せできる。自然に動かしてもらえる。
神さまに自然に動かしてもらう。自分が動いているなんて、絶対思わない。小さく見ていたら、
小さく動いているように思うけど、大きい自分だったら、虚の世界の宇宙でも無限のスピードで動いている。
小さくなるほど、スピードが遅くなっているだけ。根本は、大きく動いている。
それが、見えない、感じないだけの話。

真実の世界は、もう一つ無限の無限のスピード。循環のスピードは、もの凄いスピード。
だから、そんなのを止める馬鹿はいない。一瞬でもつかんだら止めている。だから、与えて与えて、与え続ける。
循環を加速するお手伝い。そしたら、つかむ自分は、消えてない。絶対つかまない。
本当の無色透明な自分に戻ってしまう。一大循環が自分の中を通り抜けるだけ。全部を中に納めた無色透明の自分。
完璧な一つを自分の中に納めてしまう。これが、真の神さまが真の自分という、本当の自分になる。
それでないと、神さまと自分が一体なんて言えない。神さまと一体というのが本当の幸せ。
それで、ありがとうございますって、一番幸せな自分に戻る。

真の問答集作り、これからみんな、一生懸命、本心の自分に戻って、神さまに問いかけて、
答えを一杯降ろしてもらう。実感を一杯与えてもらう。これは、お互いが、一人一人が真剣にするほど、
みんなも同じように、全部同時に与えてもらうように、実感できるようにしてもらう。
自分のしたことは、みんなの為に、みんなのしたことは、自分の為になる。それで、支え合いになる。
自分一人くらいと思ったらダメ。自分一人が真剣に生きたら、周りの人も全部真剣に生きて、
神さまを降ろしてくれる。その実感が、全部自分に戻ってくる。どれだけ真の神さまが、自分の身近になるか。
一番大きい神さまが自分の中に降りてこないと、まだまだ偽物。本物ではない。
本心の自分に戻るほど、支え合いがいる。虚の世界の、我の世界の支え合いなんて偽物。そんなものではない。
本心の自分ほど、大きい支え合いが要る。上へ昇るほどそう。全体に、みんなに、支えてもらわないと、
本心の自分、大きい本心の自分ほど、奥へ戻れない。だから、もう全部に支えてもらうという、
この気持ちが必要になる。上へ上がれば上がるほど、必要になってくるはず。
それで、支え合いを順番に勉強している。

(平成27年7月18日のお話③)