…過去をつかまないこと。一歩一歩、一瞬一瞬のお祈りをすると、本心が大きく輝き出てくる。
過去の思い、我が全部消えていく。山登りは、そういう意味でいい勉強になる。
みんな登山を何のためにするのか。本当の意味で解ってする人もちょっとはいると思う。
山って、だいたい、霊山というのはみんな、お祈りをしながら登って、我を消してもらう場所。
本当は本心に戻るために、山登りする。

人の積み重ねたマイナス、これは全部大きい借り、借金。借金返しがいつできるか、借金をいつ消してもらえるか。
消す方法に3つある。自分が一生懸命プラスを与える働きをして、借金を返していく、本当の借金返し。
でもこれは、一人の力では必ず限界が来る。大きい借金は消せない。表面でも大変。
借金返しの気持ちは、必要だけど、それだけでは借金は、帳消しに出来ない。負けてしまう。

次、自分の力では限界があるからって気付いた人が、神仏にすがって助けてもらおうとする。
これが恩返しの生き方。だから徹底して恩返しに生きたら、+αの助けが加わる。
高い神仏の徳の力を補充してもらって、借金を減らしていく。早く本当の借金が消えていく。

3つ目は、虚の世界の神仏では力が足りない。だから本当の神さまの力が必要になる。絶対奉仕がいる。
この命、神さまの御用にお使いくださいって自分を投げ出すこと。絶対奉仕に生きる。
そしたら真の神さまが、自分の中を降り立って通り抜けて、働いてくれる。これで本当の借金がさっと消える。

一人ひとりまだ、無限の借金を持っている。高利の利息付きの借金。棚上げされた状態で、まだ持っている。
この世だけでも、色んなみんなからの大きい助けを受けているから、これも借金。
いくら自分が働いたからと言っても、自分の働いた量よりも、助けを受けた量の方が大きい。
この世だけ見ても借金の方が多い。まだ返していない。自分がどれだけこの世で働いたって、借金は返せない。
この世の一生の借金も返せない。だから恩返しに生きる生き方が正しい。

恩返しは、神さまの助けを大きく受ける。恩返しってどういう働きか。お金儲けとは関係ない。
自分の持っている能力を全部活かして使って、世の中のために、全体のために、みんなのために無償で働くこと。
生まれてこの方、助けてもらっているだけ。その恩返しって言うのは、この一生タダで働いてもいいくらい。
みんなの幸せのために与え続けた方が、正しい。それが恩返し。
そしたら恩返しをしている人は必ず、全体から大きく支え続けてもらえる。恩返しに生きた人は運命が大きく開く。
どれだけ八方塞がりでも、恩返しに生き始めたら、運命がガラッと開く。全体からの助けを大きく入ってくる。
どの程度の恩返しか、種類も段階も色々だから、恩返しのやり方で助けの受け方も変わる。

でもそれよりも絶対奉仕が必要。絶対奉仕は自分の働きとは違う。真の神さまが自分を使ってくれる働きだけ。
自分と神さまとが分かれてはダメ。神さまの働きだけって認めた時からが、絶対奉仕。
だから神さまに使ってもらうのが、本当の正しい生き方。ただ神さまに使ってもらうチャンスって少ない。
いつも使ってくれるとは限らない。そのチャンスを大きく活かせたら、大きい徳をもらえる。
借金返しにも無限の段階がある、恩返しにも無限の段階がある、絶対奉仕にも同じように無限の段階がある。全部違う。
大きい違いがある。だから自分がどの生き方を選ぶか、どれでも選べる。

本気で自分の無限の借金を返そうと思ったら、一番効果のある生き方を選ぶしかない。
借金返しの生き方だったら、何億年かかっても返せないと思う。恩返しに生きるんだったら、
やっぱり一番高い神仏にすがらないとダメ。でも地球全体の借金やマイナスを消そうと思ったら、それでは足りない。
その時は真の神さまの助けを大きく受け取らないと出来ないから、だから絶対奉仕が絶対に必要になる。
今日は絶対奉仕のための全託の祈りの修行。これを神計らいで仕組んでくれた。

だから足の痛い人、動かない人、体の弱い人、心臓がバクバクする人、そういう人をみんなの代表として選んでくれた。(笑)
どういう状況にあっても、まず無限のマイナスを背負ったら、そういうマイナスが一杯のはずだけど、それで諦めたらおしまい。
そこで真の神さまにすがるっていうことが必要になる。マイナスが大きいほどすがらないと損。

例えば、ここが地獄絵図で大変って言う時こそ、真の神さまの助けがいる。万病を抱えたくらいだったらまだ小さい。
その時ほど、真の神さまに使ってもらわないと、消えない。
それでみんな大変な状態で、神さまに使ってもらう練習をさせてもらった。
この命、神さまの御用にお使いください、ありがとうございますって一歩一歩、ありがとうございますで、
全託のお祈りをさせてくれた。これも背後の縁者も神仏もみんな、大きく応援して協力して、させてくれた。

どれだけ大きく我を消してもらえるか。全託の程度、度合いが、大きく高く上に上がっている。
我がいっぱい残っていると、やっぱりその時出てくる我が邪魔をする。我の思いを消してもらうと、すっきりしてくる。
本心の自分はスカッとして選びやすい。真の神さまの助けだけが、本物。一番自由で楽になる。
一瞬一瞬を本当は切り分ける自分に成ったらいい。

過去をつかんで流れると、惰性に流れてしまう、負けてしまう。
一瞬一瞬、切り分けるだけの自分に成ったら、本当の本心の自由な自分に成る。
だからお祈りも、今の一瞬一瞬のお祈りがいい。
1分間のお祈りの練習って言うけど、1分間よりも、一瞬一瞬のお祈りがいい。
一回一回のお祈り、これが本物になりやすい。だからありがとうございますって一回で切り分けないとダメ。
真の神さまだけなんだ、っていう風に。新たな真の神さまだけって一回一回切り分けると、早く本心の自分に戻れる。

だから全託が100%できるのは、本心の自分だけ。思いがちょっとでもあったら、その分マイナスされる。
ただ本心の自分を生きようとしている時は、その影響を受けないけど、忘れた時に我が顔を出す。
その時に、全託度が低くなる。だから祈り続ける、本心の自分として祈り続けると、負けない。
それも一瞬一瞬、切り分けると、もう一つ強くなる。たかが一回って違う、一回がいい。

一回のお祈りが本物。一時間祈った、一日祈った、これはまだ弱い、力が弱い。
一回のお祈りの中に、神さまの全てが入ってくる方が、大きい力がある。
だからもう体の動かない状態で一歩前に出る、そのたびにありがとうございます、神さまに命を投げ出す、
これが本当の祈りの行になる。今日はその祈りの行を、みんな支え合いの中でさせてもらった。
だから支え合いの中だから楽だったと思うけど、本当の行はもっと厳しい。たかが山登りではない。
本当の地獄の針の山を登るくらいが、正しい行になる。本当は、大きいマイナスを背負って、
祈りの行をして登って行かないとダメ。でも今日の登山は、針の山ではなかった。
楽に楽に万分の一以下で、大きく助けてもらいながら、行をした。だからみんな全託度が上がっている。

自分一人だと100%に近づくのは大変。たくさんの応援、支えがあると100%を超える。1万%でも超える。
みんなのが加わるから、大きくパーセンテージが上がる。
だから同じ全託するといっても、一人の全託は、全託できない隙間が出来るけど、大勢の支えがある時は、全託が途切れない。
だからいつも神さまが降り立ってくれるようになる。それで支え合いの輪の中に入るのがいい。
一人で登山しても、同じことをしていても、あまり効果は無い。
大勢の中で、支え合いの輪の中で、神さまに護ってもらって導いてもらってすることが、何万倍、何億倍の相乗効果を起こす。
今日は、みんなの全託の心を高くした。その徳の力で、自分の全託度も、高くなる。
みんな自分の命を、神さまに投げ出すだけになったでしょ?
一番の幸せな心になる。小さい自分のことを考える必要はない。一番大きな自分のことを考えて生きた方がいい。
みんなを幸せにするだけの大きい自分に成ればいい。一番全託度の高い自分。1億%。


今日何か不思議な体験をした人はいる?

「行きがけの登りの時に、見晴らしの開けたところに出たのですが、今日は凄い天気にも恵まれて青空も新緑もすごいきれいで、
ちょうど空を見たら、印可書の、らせんと同じ形の雲が、ぽっかり現れていたんです…。」

「3週間ほど前に交通事故に遭わせてもらいまして(笑)指の骨も折れて、1週間前は足まで腫れて、
とても行ける状態ではないと思って村に電話をした日から、みるみる足の腫れが引いて、手の指も全部腫れていたのですが、
全部腫れが引いて、指も動くように…皆さんに支えていただいて、先生にも支えていただいて、ありがとうございます。」

どんな状況でも状態でも、神さまのお手伝いに生きたいという気持ちが一番いい。そしたら神さまが護りやすい。
一番大きい力を添えやすい。みんな理由をつけると間違う。ちょっと風邪をひいてしんどいからやめておこう、これがダメ。
そういう時ほど、神さまのお手伝いに、という方が、全部消えてしまう。どれだけ神さまを信じるかって試されているかもしれない。
大変な時ほど、神さまにすがること。全ての問題を大きく消してもらう。

「想像していたより、登山口から凄い坂で、(心臓に持病があるので)あんな坂、今まで本当に上ったことがなかったのですが、
先生が過去のことは忘れなさい、大丈夫と言ってくださっていたので、登りかけていたら、やっぱり心臓がバクバクしてきました。
本当に休み休み登らせていただいたのですが、そのたびに皆さんが立ち止って待っててくださったりとか、
ついていて下さったりとかして、本当に支えて下さっているなぁというのがわかって、帰ってこられたことが、本当に奇蹟です。
今日は天国に行ってきました。奇蹟を本当にありがとうございます。」

(平成27年5月30日のお話)