我って言うのは、過去をつかむ思いだけど、色んな我がいっぱいある。一人ひとりみんな、無限のものを持っている。
まだ消していないと思う。残っている。いつ消そうとしてきたかって、自分で顧みたらわかるけど、消そうとして来ていない。
やっぱり執着心で色んなものをつかんでしまう。まだ執着心の方が離しやすい。気付いたら離せるかもしれない。
虚栄心の方がもう一つ大きい曲者。虚栄心を本当の意味で消そうとする人は、本物になっていく。
虚栄心が間違っているって、なかなか気づきにくい。正しいと思いこむ。立派になりたい、虚栄心。立派な魂になりたい、虚栄心。
上に上がりたい、虚栄心。

また、上流社会に住みたいなんていうのも、虚栄心。国を富ませたい、も虚栄心。国を強くしたいもダメ。
勝負の世界で勝ち続けたいも間違い。みんな他を犠牲にする。みんなを犠牲にして自分だけが上に上がったって、大きい借金。
借金が虚栄心。でもそれがなかなか手放せない。今の自分の持っているものを手放したら怖い。

だからみんな大抵、自分を褒められたら喜んでいる、悪く言われたら言い訳する。みんな自分を守ろうとしている。虚栄心。
反対でないと。自分の方から最低に落とさないとダメ。謙虚に、謙虚になるために、自分を最低に落としていくこと。
いくら良いことをしても、褒められたら徳は消える、帳消し。良いことをしても、褒められるようだったらダメ。
虚栄心に負けている。だから徳が消えてしまう。良いことをして、人に知られないように、人知れずいいことをして、
なおかつ悪く言われる。これで徳が残る。本当の徳ってみんなそう。自分のしたことを全部隠さないとダメ。
透明人間になってっていうぐらい。良いことは、陰で陰で一杯する。それで自分は何もしていませんって言わないとダメ。
それで周りから悪く言われるほどいい。徳が残る、徳が増えていく。その徳で自分の心境が上に上がる。

虚栄心があると我の強い自分。虚栄心と執着心が東西の両横綱。虚栄心の方が東の横綱。
一番強い、これに勝たないと本心に立てない。我の無い自分が本当の自分。元々の自分。日本民族として生まれてきた自分。
自分が我の自分になって虚栄心に負けたら、本当の人生の敗北者。常に人生の勝利者としての道を歩むっていうのは、
本心の自分をしっかり生きること。虚栄心に負けない自分になること。一切の我を出さない生き方。

いくら世界を平和にしたいって言っても、我が残っていたら平和にならない。まず個人の我でもけんかになる。
ちょっと大きい団体・組織になったら、大きい争いになる。国と国との我のぶつかり合いって大きい戦争。
それだけで済まない。もう一つ、大きい我が一つになったら、その業想念は、全体を破壊しようとする。
だから我の生き方では、絶対地球を平和にはできない。大きいお城を建てても、砂上の楼閣どころではない、蜃気楼みたいなもの。
一瞬に消えて無くなる。大きいものも小さいものも全部同じ。執着の心、我の心でつかんだものは全部消えていく。必ず消える。
その消える時に苦しむ。執着してつかんでいる人は全部そう。

何もつかまない自分が、正しい生き方になる。真の神さまの本当の一大循環の相象は、必要なものを無限のスピードで
的確に与え続けてくる、邪魔しない生き方。そしたら幸せは、無限の無限の大きい幸せ。無条件の幸せが流れる。
だから本当に地球を平和にしたかったら、邪魔するものを全部消し切ってもらわないと、出来ない。
自分の生き方を本心の生き方に変えていかないと。まず自分の環境・世界を変えるのは、自分を変えることで、
自分の住む世界も、運命も環境も、変える。自分が変わらなかったら、自分とそっくりの世界。

自分が求める心を生きていたら、自分の世界は、求める心の生き方の世界。奪い合いの世界になっている。低い世界になる。
自分が支え合う、本当の支え合う生き方に変わったら、そこは真の神さまの世界。一大循環の相象がそのまま出てくる世界になる。
全て自分にピッタリの同じすがたの世界になる。

だから自分を変えないとどうしようもない。周りが変わってくれるのを待つのではない。
自分とぴったりのそっくりの世界になる。自分を変化させるだけ。求める心から受ける心になって、与える心になって、
これはまだ虚の小さい生き方。さらに、支える・支え合うまでいかないと。待っていても変わらない。自分を変えていかないと。

自分を変える方法は、どうしたらいいか。考えていてもできない。実行・実践。
今自分が立っている立場はどこか、しっかりと見極めて、そこから一歩一歩、歩かないとダメ。
じっと立っていても進めない。ちょうど地図を見ていて、地図の上でいくらここからここまでって思っても、思うだけ。
観念の遊戯。実際そこへ行けない、行ってない。だから心境が上らない。教えなんて地図。教えをいくら勉強しても、地図の勉強。
実際に、自分が歩いているのではない。実際に、実行する、実践する。お祈りも、現実の色んな行いも、実行が要る。
本当に支え合いの実行が必要。一切の我を出さないで、支えるという実行が必要。言葉だけではダメ。
行いに出るまで祈り続けて、実行する。そしたらその心境に上げてくれる。

実行が一番難しい。口ではいくらでも言える。色んな本を読んで、知識として頭に入っていたら、いくらでも言える。
でも、自分のものではない。他人のもの。自分が実行して身に着けていないから。受け売りだったら何の力もない。
どんな答えを出しても、受け売りだったら実力が付かない。お祈りも、実行しないとダメ。
命懸けで祈り続ける、行動も同じ。一番下へ立って、謙虚に下座について、周りの人を支え続ける練習が要る。
絶対自分を出さずにって。

必ず助けが、大きい支えが来る。目に見えないところから、上の透明な世界から降りてくる。
自分が上に上がったら、さらに上から降りてくる。どこまで自分が上に上がって透明になっても、
さらに上から透明な世界から降りてくる。大きい支えが、力がって。全部自分の生き方に合わせて降りてくる。
全部自分の生き方に合わせてくれている。自分の生き方に対して、万倍・億倍・無限倍、同じものが降りてくる。
だから正しい生き方を選ばないと、大きい損をしている。下に落ちる生き方も、何倍にも、万倍・億倍にもなる。
波の合うものが寄ってきて、思いだけで下に沈んでいく。上に上がるプラスの生き方もそう。
神さまの助けは、上に上がるのだったら大きい力を添えてくる。どこまでも必要な力を添えてくれる。
万倍・億倍・無限倍に、なって来る。ただ自分が選んだ生き方の通りになる。
それで支え合いの生き方のできる自分に変えてもらう為に、何が必要か。
自分の全てを捧げ尽くして、真の神さまのお手伝いに生きるだけ。そこに絞り込まないと、真の神さまの助けが降りない。
中途半端はダメ。真の神さまや高い世界の神さまは、全部人の自由を絶対に縛らない。
低い世界ほど、人の自由を縛ってくる。強制的に、色んな縛りを一杯つけてくる。

高く上りたい人は、必ず自分の自由意志をしっかり発揮しないと。自分が選ばないと。高い助けを受けにくい。
低く落ちるのはいくらでも、強制力で降りてくる。もう、ちょっと低い波に合わせるだけで、大きいマイナスが落ちてくる。
ほんのちょっとの差で、大きい変化が起こる。朝、2時・3時に目が覚めた。一番すみ清まった時間帯。
その時にサッと起きたら、大きいプラスの働きが一杯加わってくる。ここで2度3度寝するとする。
それでマイナスが落ちてくる。低い波にさらわれて、低い世界をさまよって、低い波を一杯背負って目が覚める。
もう、ちょっとのきっかけでそうなる。早起きは3文の徳どころではない。早起きは、神さまの徳を一杯もらう。

(平成27年5月23日のお話②)