虚の世界の我も、偽の我。偽我。真実の世界の我もある。真の我、真我。我というのは、自分という意味。
本心の自分も、真我。真の我、神さまとしての我。真我も大きい我と小さい我と色々ある。
でも真の神さまを相手にする時は、その我を全部消しきらないとダメ。
本心の自分ですら、我として残ったら、神さまの働きを邪魔する。だから真我も消さないとダメ。
そしたら我のない自分はどこにあるか。絶対の中心まで大きくなっていかないと。自分を一切つかまない状態。
どれだけ大きい素晴らしいものでもつかまない、そこまで行く。

そしたら過去の一切を放すこと。過去の全てを、手放さないと。それをどこに手放すか。真の神さまに返さないと消えない。
それで真の神さまに自分の全てを与え尽す、捧げ尽くす、そして消しきってもらう。
神さまに返したら、全部消し切ってくれる。そしたら我のない自分に、常に真の神さまが自分の中に流れ込むような、
無色透明の大きい自由自在な自分、だから常に新たな自分が、真の神さまになって出てくる。

真の神さまが自分って出てくるのは、真の神さまと同じように、絶対の中心に立って、全ての全てに、
真の神さまを与え続けること。真の神さまというのは、一大循環の相象をそのまま与え続けること。
新たなる全徳の無限の無限の輝きが、無限に無限に一杯!ってこれを与え続けるのが、真の神さまを与え続けること。
それも全てに対して、無限に無限に一杯!って与え続けるだけ。
与えて与えて、与え尽して、真実の世界ももちろんだけど、虚の世界も真の神さまの働きだけになったって、
もうそれ以外何もないって、そこまで徹底して認められたら、本当の意味で真の神さまだけって、こういう祈り言葉になる。
本当に実感する。真の神さまの愛の働きだけって実感できる。

だからもう虚の世界のどうのこうのはない。真の神さまの愛の働きしか感じない。
そこまで行ったら、真の神さまだけっていう言葉が本当の言葉、本物。
そこまで真の神さまを認めなかったら、その言葉が空念仏になる、偽物。
いくら真の神さまだけって言い続けていても、偽物。本物でないと、やっぱり本当の力が出てこないから、
みんなを支える力が出てこない。誰も認めてくれない。あの人はありがとうございますを唱えているけども、
唱えていても、あの人はこうだよ、と言われて、誰も相手にしない。

唱えている限りは、真の神さまの大きな力が自分の中に出てきて、みんなを支えないとダメ。
そこまで謙虚になれているか。虚の世界を相手にするんだったら、自分が一番下に立たないとダメ。
徹底して一番下に立つこと。更に絶対の中心に立つこと。そしたら真の神さまだけって言っても、本物。
虚の世界の我も、真実の世界の我も、どっちも間違い。つかんだら我。
つかむというのは、全体の大きい流れを、一部ちょっとつかんで離してない状態。それだけが自分になる。
つかまなかったら一大循環の相象全部が自分のもの。大きく流れ込む。無限分の一くらいではない。もっと小さい。
無限の無限分の一くらい。つかんだらそう、小さくなっていく。どんな世界をつかんでもそう。
だから過去をつかまない。過去をつかんだら我になる。過去の全部、神さまにお返ししたら、謙虚になる。

虚の世界でも一番下に降りるとマイナス一杯だけど、謙虚になる目的は、全部神さまにお返しするため。
お返ししたら全部消してくれる。一番大きくマイナスを神さまに預けて消してもらえる。
自分が上の方に立っていたら、マイナスをお返ししない。自分にはマイナスがないなんて言っていたら、
一つもマイナスを消してもらえない。残したままになる。
どっちがマイナスを消せるか、みんなを幸せに出来るかって考えたら、マイナスを大きく消してもらえる自分が一番いい。

神さまの本当のお手伝いをするんだったら、自分が一番下に降りる。
全てのマイナスの責任を自分に持ってくる、そして神さまにすがらないとダメ。
それも神さまに助けてって言って、すがってもダメ。一大循環の流れの中に入れること。
流れって言うのは、祈り続けないと流れが起こらない。真の神さまを与え続けるっていう、祈りを、
真祈りをしていたら、流れている。循環が、一大循環の相象と同じ、順流のプラスの流れ。
そこへ謙虚な自分が神さまに全部を捧げる、お返しする。そしたら流れでスーッと消える。

お祈りが加わっていないと、流れが反対になる時がある。求めるだけだったら逆流になる。
そしたら自分がマイナスだったら、マイナスが跳ね飛ばされる。流れで吸い取ってもらって、
スーッと消してもらうのと違う、跳ね返される。大きいプラスの流れにマイナスの流れが跳ね飛ばされて、
無限の彼方に飛ばされるくらいすごい衝撃を受ける。新幹線に自転車が体当たりするくらいではない。
神さまの本当の流れはものすごい。だから同じ方向に向かないと。

それで真祈りを祈りながら、神さまにマイナスを預けて消してもらう。
だからありがとうございますって唱えるのは、謙虚な心で唱えるほど、効果は大きい。
すべて神さまのお蔭。100%神さまのお蔭。何から何まで全て。一から無限まですべて。
何一つ神さまのお蔭で無いものは無い、そこまで行かないと。

だからどこまで深く神さまを相手に出来るか。言葉だけ真の神さまだけって言っていても、
小さく相手にしているかもしれない。本当に大きく深く。神さまの祈りって本当は凄い。
神さまの祈りが真祈りだけど、真祈りの凄さは、本当に言葉を越えている。真祈りとは何か、深い。
真祈りの一大交響楽と言ったら、本当はとらえどころがないくらいすごいもの。
まず一番の大事なところは、真祈りは、過去を一切つかまない祈り。
過去に出来たものを組み合わせたのは、真祈りではない。真祈りは、過去を全部消しきった後に、新たに新たに出てくる。

(平成27年5月16日のお話②)