世界に色んな宗教、教えが一杯ある。どれが正しいと言い張っても対立ばっかり。対立が大きくなっているだけ。
自分の方が正しいって、言い張るだけで、どれだけ素晴らしいものを持ってこられてもダメ。対立しているのは小さい。
もう一段上に立たないとダメ。全部を生かさないとダメ。立場が大きかったら、例えば地球だったら、地球の全部を救う為に、
ありとあらゆる方法が全部必要。だから、世界の宗教の生き方全部、本当は必要。
全部1つにまとめて、全部生かし切ったら、全体を救える。小さく対立したものは、いらない。全部を生かすものが必要。
そしたら、全ての教えを本当に生かす、バックから支える働き、これは真の神さまを与え続ける働き。
本物の光を与え続けて、力を添えていく。それで、救いを完璧にしていく。対立するのはダメ。全部を生かさないとダメ。
全ての教えを生かしてこそ、本物。正しいと言える。

だから、自分が我を出して、1つの組織を作って、団体を作って、教えを説いたって、これは間違い。
全体を褒め称えて、自分のできないことをみんなが支えてしてくれてって、喜んで喜んで、他を褒め称えて、
自分のできることを謙虚に謙虚に、自分を出さずに、本当に真祈りを祈りながら、全体を支えながらって、するのだったら正しい。
そしたら、戦争にならない。争いにならない。これがやっぱり、今はまだ違う。我を出しすぎている。
自分が正しいと言い過ぎている。全体を大きく生かそうとしていない。全体に支えてもらっていることを忘れている。
自分が何もできていないのに、みんなに支えてもらっているのに、自分だけが何かしている、おかしい生き方。
これもやっぱり、みんなが支える生き方を忘れていると思う。

本当に自分が全責任を持って、地球の全部を救わないといけないとなったら、
自分がどれだけ良い教えを説いても、救えるのは、その教えに合った人、一部。
そしたら、全段階の全ての人を救うのに、どれだけの大変な思いをしないといけないか。
色んな教えを一杯作って、色んな救いの方法を一杯講じないとできるわけがない。
レベルの低い段階、小さい生き方をとっている人を、本当の自由自在な本心の自分に戻すって、どうしたらできるか。大変な事。

だから、順番に段階を追って、色んな教えを一杯説いて、順番に段階を上げないといけない。
みんなが大学生で、すぐ卒業するような心境だったらいいけど、そんなことあり得ない。
小学校に上がってない子の方が、数が多い。それを順番に、年月をかけて、育て上げるとなったら大変な事。
でも、自分が神さまのお手伝いの本心の側の生き方をとるのだったら、全責任を持って、全体を相手にしないと。
そしたら、みんなが自分の働きを支えて、助けてくれている。みんなが自分を助けてくれているってわかるはず。
我なんか出せない。どんな教えもマイナスに見られない。支えてもらっている。根本は、真の神さまが支えている。
そのすがたが全体に現れて、助けてくれている、支えてくれているって、徹底して、そういう風に見えないと、
支え合いのすがたになっていかない。

だから、自分がそういう風に、全体に支えてもらっているという、支え合いのすがたに見えないと、
まだ、自分は本心ではない。我の強い自分。自分がどれだけ正しくても、我を出している。強い我を出している。
それは、大きい間違いになっている。間違っていたら、神さまは、降りてこない。真の神さまの支えは無い。
だから、全部が、本当に、自分を支えてくれているすがたと言う風に見えないと、真の神さまの支えを受けていないことになる。

だから、どんなすがたも真の神さまの働きと見えないとだめ。
例えば、自分が病気をした、自分が病気をした、苦しんでいる、こういう風に言ったら、真の神さまをそっちのけにしている。
自分のマイナスのすがたを主張して、我を通しているだけ。自分は病気だ、苦しい、痛い、大変だって、
マイナスの言葉を並べたてて、神さまを罵倒している。真の神さまを認めて、支えてくれていると見るのだったら、
真の神さまが自分のマイナスを振り替えて、大きく振り替えて、消して下さっている、と見ないとダメ。
消してくださっている、消えていっているって、大きく消してもらっている、同じすがたを本当に真の神さまの振り替えの
愛の働きとして、今消してもらっていると認めたら、真の神さまを認めている。そしたら、本当にマイナスが消える。

でも、真の神さまを忘れたら、自分のマイナス、我が出ているというだけで終わる。
そしたら、マイナスを積み重ねて、我を積み重ねて、マイナスが増える一方。絶対消えない。増える一方。
どっちを選んで生きるか。絶対、真の神さま、ただ一つと言う風に、認めていかない限り、助けは無い。
真の神さま以外に何かあると認めただけで、これは、プラスでもマイナスでもダメ。
真の神さまが降り立って、支えには出てこられない。だから、徹底した生き方って必要。
いつも真の神さまと1対1になれと言う。1対1と言うのは、他を認めたらダメという意味だけど、1対1どころではない。
真の神さまが1としたら、他が無限。どれだけ、他を認めているか。
自分を認め、他を認めって、つまらないプラスを認め、マイナス一杯認めて、真の神さまを完全に無視している。

だから、本当に真の神さま、それだけを認めると言うのが、これが真祈り。
真の神さまだけ、真のプラスだけ、一大循環の相象だけって、本当に真の神さまだけを認めようとする生き方。
これを徹底するのが、ありがとうございますの一言。これは、真剣に本心の自分を生きないとできない。
つまらないものを認めてしまって、真の神さまをそっちのけにする。

(平成27年5月9日のお話④)