循環が早くなるほどたくさんのものが流れ込んでくる。この世のお金もそう。
1億円貯金がある。溜めておいたらそのままで終わる。それをどんどんどんどん早く循環させたら、
自分の中を流れるのは1兆円になるかもしれない。循環が、交流が大きくなるほどいい。本心どうしも同じ。
本心どうしも、真の神さまを与え合ったら、循環がどれだけ大きく速くなるか。
その分だけ、本心の自分が大きく大きく輝いてくる。これが一番自分の心境を高める生き方。

本心の自分ほど、どこまでも大きくならないとダメ。虚の自分は限界がある。
小さい自分が、仏になった、宇宙が自分という仏になった、虚の世界の宇宙なんて小さい。
でも本心の自分は、どこまでも絶対の中心に近づいていく。どこまでも大きくなる。
全てが自分の中に大きく包容できるように変わっていく。全ての幸せが、自分になって来る。
だからどこまでも大きいものとの交流に、沢山のものとの交流になっていく。

宇宙船護摩木の書き方は、その練習をさせてもらっている。
その練習を通して、真の神さまが一人一人の中に降り立つようになっている。
そしてみんなの本心を大きく動かしてくる。本心どうしの支え合いが、本物。
この世の支え合いではない。本心どうしの支え合いを目指してくれている。
本心を大きく輝かせるために、神さまが働いてくる。

今日はバーベキューで美味しく食べさせてもらったけど、支え合いの心がちょっとでも降りたら、
同じものを食べても美味しい。神さまの光が一杯になる。一人寂しく食べても美味しくない。
みんな自分のを食べるだけでも時間をかけて作らないとならない。一人寂しく食べたって大して美味しくない。
でもみんなで作ると、みんなの力を合わせたら早くサッと沢山のものを作れる。
みんながお箸で橋渡し。短いお箸だったけど(笑)。でもこれも、本当の意味で支え合う練習をさせてもらっている。
そこに真の神さまが大きく降り立つ。そうすると同じものを食べても光が込められている。
光の一杯入った食べ物は、同じものでも美味しくなる。それを食べることで本心がさらに輝く、健康になる。
元気になっていく。こういう生き方もやっぱりこれから必要になる。全ての面で支え合いのすがたを大きくとって来る。
真の神さまが降り立つほどそうなる。

今度また、御池岳で山登りをして、木を食害から守るお手伝いをしてもらうと思うけど、
これもただそこの場所を守るのが目的ではない。神さまの世界の支え合いのすがたを降ろすため。
本当の入れ子構造のひな形を作らないとダメ。
どういうひな形を投影して映すか。色んなマイナスを消すためにも、そこに大きいプラスのひな形を持ってこないと、
いくら神さまの光を降ろしてくれても、マイナスのひな形だったら、マイナスが投影される。
投影されるというより、マイナスが跳ね飛ばされて、それが大きく全体に広がる。
そこの場へ、プラスの模型を持ってきたら、強い光でプラスの投影が出来る。

プラスの投影を持ってくる、これが絶対必要になる。お祈りする人が、本当にお祈りしながら作業すると、プラスの投影が起こる。
そしたら奪い合いが消える。全体が、バランスが取れた調和した姿を必ずとるようになる。最初は、マイナスに見える。
そこにひな形を投影してもらうと、プラスのすがたが降りてくる。それが全世界に広がったら、世界の自然が元に戻る。
色んな神さまの仕組みが用意されている。

だからひな形で色んな模型を作らないとダメ。種類も多い。沢山の種類が出てくると思う。
それを順番に、みんなで支え合って作り上げて行かないとダメ。それを特に大きい光の降りる、
護摩焚きの場に持ってこないといけない。一番大きい光で大きく光を投影してもらうというのが、必要になる。
段々と護摩焚きの効果が出てくる。段々とみんな過去をあんまり問題にしなくなってくるはず。
世界中が、プラス思考、未来志向に必ず変化してくる。そしたらマイナスがどんどん消えていく。
本当の護摩焚きの効果が必ず近い将来出てくるから。今のままだったらダメでしょ。
だから護摩焚きの大きい光が降りないとダメ。その前にもう一つプラスのひな形を色んな形で作らないとダメ。
それでここではバーベキューを始めたけど、これもひな形の一つ。

みんなここに色んなものを持ってきて、長靴なんかを置いている。これもちょっと変えようと思っている。
本当に大事なものは、自分一人のものとして、ちゃんとしておかないとダメだけど、長靴くらいだったら、
みんなここに奉仕に来た時しか履かない。それだったら共有すればいい。
使わせてもらったら、必ずキレイにして、洗って干して、次に誰が使ってもいいようにしておく。
自分が来た時は、それを使わせてもらう。長靴を共有して使う。使わせてもらったら、必ずきれいにして、洗って、干して、
次に誰が使ってもいいようにしておく。自分が来た時は、それを使わせてもらう。
次、誰が来てもまた、きれいなのを使わせてもらう。全員が一足ずつ持っていたら、場所もない。
100人いたら、100足置かないといけない。でも、共有したら、少なくて済むはず。
本当にダメになったら、新しいものに置き換えたらいいだけ。どれだけすっきりするかって。
それも、ある意味では、1つの支え合いの模型になる。ひな型になってくる。

ここで奉仕に来てくれている人、みんな自分の食材を持って、運んで、重たいのに来てくれる。
ちょっと余裕があると余る。それも、どうして後、残しておくか。腐るものだったら、後もう捨てないと仕方がない。
困る。腐らないものでも、自分の食材を置く場所が大変。一人一人がそれをしたら、置く場所が消えてしまう。無くなる。
これも大変なこと。そしたら、食材も全部共有すればいい。持ってこられる人は、みんなの為にどうぞって。
無い人は、無い人で、みんなの支えで、助けてもらったらいい。遠いところから、重たいものを持ってこなくてもいい。
同じ持ってくるのだったら、近くの人が提げてくればいい。 遠いところから来るのだったら、旅費もたくさんかかる。
時間もかかる。大変な目をして来てくれる。近くの人は、楽。その分、カバーできる。

食材でも、必要なだけあったら十分。ここは、余るくらい入って来る。ここは、色んな人が全国から送ってくれる。
ここは、もう何も買わない。ずーっと20年余りずっと、送ってくれるものだけで成り立っている。
だから、大勢来た時は、大勢の分の食材まで入ってきている。これ、不思議。前もって全部入ってくる。
なんでこんなに入ってくるのかと思ったら、大勢の人が後から来るの。必ずそういう風に、神さまが計らって、全部用意してくる。
だから、皆の為のものが循環してきているはず。

だから、真の神さまのお手伝い、支え合いに生きようとする人の分は、神さまが全部、循環させて、与えてくれるはず。
そしたら、遠慮なく、全体の助け、支えを受けないとダメ。自分は、みんなを支えるけども、
支えてもらわないって言ったら、我が出る。支える限りは、支えてもらわないとダメ。これが、交流。心の交流。
心の交流で、心境を両方上げてもらう。だから、交流を目指さないとダメ。一方通行はダメ。
交流は起こらない。支える、支え合うと言うのだけど、本当の意味の心の交流、これを本当の意味で目指すのが大事。

だから、みんなを助けようとする人は、みんなの助けを喜んで、遠慮なく受けないとダメ。
今までは、助ける側の人は、助けるだけに終わっている人が多い。人の助けは、拒絶するくらい、拒絶までいかなくても、
「いいよ、いいよ。」で遠慮してしまう。これは、交流は起こらない。だから、心の交流をこれから目指さないとダメ。
そうすると、真の神さまとの交流が、まず大きく降りる。みんなの与え合う、心の交流の中へ、真の神さまの大きい交流が流れ込む。
これが、入れ子構造的に降りてくる。

神さまの世界の本当の支え合いの心の交流が、現実的に降りて来るすがた。本当は、現実からその交流を目指しているのではない。
神さまの世界の本当の交流のすがたが降りてくるようになった。それだけ神さまがみんなの中に、一人一人の中に、
大きく降り立ってくれるようになったから、現実に支え合いで、心の交流ができるような与え合いができるようになる。
そういう時期になった。してもらった。だから、みんな本心の自分に変えてもらっている。
真の神さまが一人一人に降り立って、本心の自分として生きるように変えてもらった。我の自分ではない。
本心の自分にしてもらっている。ただ、その本心の自分も段階があるから、より大きい、より輝いた本心の自分に、
神さまはどんどん変えてくる。だから、大きい本心の自分を更に目指して、更に支え合いの輪を広げる。

今日は、これだけの人が、前の日にこれだけ大勢来て、支えてくれている。 更にもっと増えてくると思う。
喜んで喜んで、奉仕する人が増えてきたらいい。その輪が大きくなるほど、同心円的な幅広い輪が広がる。
バーベキューだけの支え合いでは、小さい。色んな種類の支え合いのすがたが出てくるほど、本物になる。
そしたら、みんなの幸せが本物になる。無条件の幸せって、条件を付けない、本当にみんなの幸せな心が、
そのまま全部、自分の中に入ってくる幸せ。みんなの幸せが自分の幸せという幸せ。
だから、ご馳走でも、みんなに食べてもらう、こっちが本当の幸せ。もらって食べるのは、小さい幸せ。
皆にご馳走を配るという方が、本当は喜びが大きい。その両方の幸せを、全部自分の幸せとしてもらえるようになる。
今日はその一つのお手本だった。

美味しかったでしょ、バーベキュー。次は、もっと美味しく。本当の支え合いというのは、心の交流。
支え合いの心の交流を目指す、具体的に。与えたら、必ず、与えてもらって、喜んで受ける。
この生き方をこれから勉強していきたいと思う。



(平成27年5月2日のお話②)