本心の自分の生き方こそ、本当に自由意志を発揮して選ばないと選べない。
ちょっと惰性に流れただけで全部忘れてしまう。惰性に流れたというのは、与え続けるのを忘れたこと。
小さく小さくなっていく。過去をつかむ思いの心は、一点を常につかんでしまう。これが自分とつかんだら一点。
肉体が自分とつかんだだけでも、肉体という立場の一点に自分を置いてしまう。
そしたら肉体の自分を中心にしか物事が見えなくなる。肉体の立場で受けられるものなんて、ほとんど何もないくらい。
大自然が素晴らしいといったって大したことない。本心の自分の一点のとらえ方と全然違う。

本心の自分だったら、一点の立場でも真の神さまの無限に素晴らしいものを大きく受ける。
でも肉体の立場だったら、思いの心の選ぶ一点だから、いかに小さいか。いくら全体から受けたといっても、小さい受け方。
だから、受けて喜ぶ練習をしてはダメ。どういう自分の立場でも、与えて喜ぶ練習をしていかないとダメ。
与えて与えて、与え続けて喜ぶ練習をしないとダメ。そうしないと本心の自分ですら、与え続けるのを忘れる。

お祈りもそう。求めるお祈り、受けるお祈りがいかに小さいか。まず真の神さまと波が合わない。いくら祈っても助けがない。
あまりにも小さすぎる。だからお祈りは他のために、他を幸せにするために、他へ与えるために祈らないとダメ。
それも大きく対象を広げないと。大きく与え続ける祈りを練習しないと。

真祈りっていうのは、常に全体へ、全ては真の神さまを大きく与える練習。
目的、目標をしっかり定めないと、前へ進めない。忘れたら小さくなっていく。
同じ与え続けるって、この世でも日常生活の全てにおいて、全ての分野に与え続ける練習。
お祈りが最後の総仕上げだから、一番大きく与える練習になる。お祈りほど、自由自在に大きく与え続けられる。
その練習になる。

与え続けるというのは、自分のことを考えたらできない。食べ物一つそう。
自分が先に食べようと思ったら、求めている。自分のことを考えたら、与えるわけにいかない、求める、人から奪う。
だから人に与えるだけがいい。周りのみんなに美味しいものを食べさせよう、これだけで与え続けたら、
自分のことを何も考えなかったらいい。そしたら与え続ける生き方。その人が一番大きく与えてもらう。
周りから同じように、みんなが与え続けてくるから。

極楽世界のたとえ話がそう。地獄と極楽がどういう世界かって、長い1mの箸を使って食べる。
どちらにも御馳走が山盛りだけど、地獄は長いお箸を使って、美味しいものを奪い合って、自分の口に入れようとする。
でも、長いから1mの箸では自分の口に入らない。極楽は自分のことは放っておいて、周りの人に御馳走を運ぼうとする。
本当の、お箸の橋渡し。長い箸ほどいい。大勢に渡せるから。自分のことは考えないで、周りの人の幸せだけを願って御馳走を運ぶ。
周りの人が全部同じようにしてくれる。一番御馳走を食べて、ちょうどいい感じの肥え方になる。(笑)

だから神さまの世界の支え合いというのは、そういう世界。自分が全体を支えようとする。
必要なものを一人ひとりに与え続けようとする。大きく全体へ。だから周りの全てから同じように与え続けてもらえるようになる。
これが本当の支え合い。一番大きく、無限倍にして返してもらって、幸せが連続して湧き上がってくる。
だからどういう生き方を選ぶか。やっぱり自分が選んだ通りになる。求める心、受ける心、与える心、これは小さすぎるから、
虚の世界の思いの心の生き方。これを全部捨て切らないとダメ。常に支える心で与え続ける。そしたら全体から支えてもらえる。
本当の支え合いだけのすがたをとったら一大循環の世界。そのまま神さまの世界に戻っている。

一点をつかんで座標軸を決めて、虚の世界をどんなに作り上げたって幸せは無い。
虚の世界にはそういう幸せはどこにもない。どれだけ素晴らしい表現をとっても大したことは無い。
虚の世界の作り方、座標軸の決め方も色々ある、表現も色々ある。
数の数え方でも、二進法、十進法、七進法、まだ他にも一杯ある。どれがいい悪いは無い。何でも作れるから定められる。
全ての分野が全部そうなっている。全部自分の定めた通りのものを表現できるように仕組まれる。
宇宙はどうして生まれたかって、これも宇宙の創造の仕組みが座標軸を決めて作り上げる。
どういう作り方があるかって、色んな作り方が一杯ある。

科学だから、真理だから一つかって違う。神さまの世界のほんの無限分の一をとらえて形に現わす世界だから、
本当は無限通りの真理がある。何でも形に現わして持ってこられる。肉体人間をつくる作り方も、幾通りもある。
本当は無限通り。どういう作り方で持ってくるかって。肉体の健康を表現するのでもそう。
プラスの表現だけの世界もあるし、病気というマイナスを持った表現もあるし。変化させる方法も色々ある。
同じ病気でも、病気の治し方も色々ある。みんな座標軸の上で作り上げてくる。

だから模型はあくまでも単純なものになって来る。同じ相似形と言ってもそう。
原点を中心にして相似形のすがたを作ったり、色んなものが出来る。原点からどういう形の波を出すかで、
色んなすがたが次から次へと生まれてくる。何でも虚の世界は生み出せる。
元の世界に、無限倍のお手本が残っているから。その中から無限分の一を引っ張り出して、単純化したら模型。

神さまの世界に、もし象がいて象を表現しなさいとなったらどういう表現をとるか。多分全体像はとらえられない。
足をビヤ樽みたいに描いたり、お腹を壁みたいに描いたり、そんな感じになる。
虚の世界の表現は完璧ではない。全体が表現できないから、部分になるから足りない。
同じ表現をとる場合も、与える側に立ったら、全体をとらえた表現になりやすい。
受ける側だったら、部分だけで終わるから、どうしても出来上がりを見たら、みんな出来損ない。
みんな途中で終わってしまっている。

だからまず一点という立場をつかまないこと。本心の自分の立場に戻ろうと思ったら、
自由自在な心で、全体の立場に立つこと。そしたら何が本物か、何を与えたらいいかわかる。
でもちょっと忘れてしまったら、一点をどうしてもつかんでしまう。一点の立場に立ったら大きく縛られる。

一つの座標軸の世界に入ったら抜けられない。抜け出すのが大変。大勢の人が、色んな立場に立っている。
一人ひとりの世界が一つの立場の座標軸の一つの世界。他と同じ立場に立とうと思ったら、
その人の立場に自分を置かないと出来ない。だから難しい。同じ場という波の世界ですらそう。
波の合う同じような世界ですらそう。立場が違うから。そしたら次元が変わったらどうか。もう一つ大きく違う。
無限の次元の違いがあったら、全然中身が違う。

だから自分の世界は、自分だけの世界。他の人の立場は違うし、次元が違うから、みんな他の人の見ているのは全部違う。
ここにいる人も、みんな違う。何に興味を持っているか全部違う。同じものを見ていない。
自分の関心のある、興味のあるものしか見ていない。この部屋一つ眺めて、今何を見ているか考えてご覧。
時間を気にする人は時計だけを見ている。全体なんか見ていない。多分一人ひとり全部違うことを見ている。違う世界。
共通の世界ではない。その人の世界は小さく限定された世界になる。みんな共通しているように思うかもしれないけど、違う。
一人一人の世界は違う。

だから自分の世界というのは、自分の責任で自分が作り上げた自分の座標軸で定めた世界だけ。
それも言葉通りに定めているから、それで言葉が必要、大事。だからどんな場合もプラスの言葉を使う人は、全部プラスに見えるはず。
どういう状態でもマイナスの言葉を使ったらマイナスに見える。言葉通りにみな感じる。
それはもう自分だけの世界。他の人はプラスの言葉を使ったら全部プラスに見ているはず。
マイナスの言葉を使う人は、マイナスに見ているはず。

自分だけの世界。他の人は、プラスの言葉を使ったら、全部プラスに見ているはず。
マイナスの言葉を使う人は、マイナスに見ているはず。それはもう、全然違う。すれ違っている。波が合わない。全然合わない。
だから、自分自身だけの世界になる。言葉通りの世界になってしまう。どれだけ言葉の縛りにあっているか。
プラスだったら、まだいいけど、マイナスの言葉の縛りにあったら大変。マイナスというのは、過去の言葉の縛りが多い。
過去のマイナスに縛られる。本当のプラスは、新たに降り注ぐから、過去のではない。
常に、新たに新たにって、本当のプラスが降り注いでくる。本当のプラスを新たに受けた言葉。

だから、もし自分がマイナスの言葉を周りから聞かされたら、周りの人がマイナスの言葉を言っているのではない。
自分がマイナスの言葉を選んでいる。周りの人は関係ない。自分がマイナスの言葉を選び続けたら、
周りの人がマイナスの言葉を聞かせてくれる。また、自分も言っているかもしれない。
本当に、見たり聞いたり言ったりして、選んでいる。あの人がマイナスの言葉を言った、これは無い。
みんな自分の選んだ言葉が出て来ているだけ。

本当に自分がプラスの言葉だけを選び続けていたら、プラスだけを感じる。
それでないと、人の自由って、なくなる。自分の選んだ通りにならないから。
自分がプラスの言葉を選んでいるのに、マイナスばっかり出て来るなんておかしい。
それだったら、自分の選んだ言葉通りにならない、この法則もおかしい、間違っているとなる。
でも、違う。自分の選んだ言葉通りに全部なるから、絶対の法則。絶対変わらない。
自分がまず、真のプラスの言葉を選んだら、神さまの世界になって来る。
だから、自由意志でしっかり選ばないと。そしたら、見ること、聴くこと、言うこと全部、プラスだけになる。



(平成27年4月25日のお話②)