ありがとうございますという言葉に16項目あった。でもそれも全部意味をしっかり把握しながら、
ありがとうございますを唱える必要がある。色んな意味がある。一回一回ありがとうございますを唱えることが、
本当に神さまへの恩返しでもあるし、神さまを褒め称える賛嘆の行でもあるし、神さまのプレゼントを本当に
受け取って感じ取る、感謝の行でもあるし、16項目全部を常に感じ取りながら、ありがとうございますって
神さまに捧げる必要がある。

だから全方向へ、全ての全てへ、真の神さまを与える、ありがとうございますを与えるというのは、
結局神さまにすべてをお返ししている、循環させている。神さま以外に与えているのではない。
全てを通して神さまに戻している、循環させている。だから神さまから循環してくる。
神さま以外に与えたのだったら、そこへ行って消えてしまう。循環しない。だから、なぜ全ての全てに与え続けるか。
真の神さまにすべて戻すため。全てを通して真の神さまに戻している。恩返しでお返ししている。
だから大きく循環する。一大循環の相象となって出てくる。だから本当に真の神さましかない。
本当に真の神さまだけというのが正しい。絶対の真理。

天地を作った、宇宙を作った創造神が真の神さまなのではない。そんなつまらないものと違う、
真の神さまはそんなものを作らない。天地も宇宙も作らない。天地というのは、天と地と相対の両極に分かれる。
神さまは相対に分かれるものを作らない。天が良かったら地が悪い。宇宙も同じ。宇が空間、宙が時間。
空間と時間の組み合わせ。これも相対の両極に分かれる。真の神さまの作るものと違う。
それは虚の世界のすがた。みんな縛られる。空間に縛られ、時間に縛られる。神さまにはそういう縛りは無い。

だからマイナスがある、虚がある、これも間違い。ないと言わないとダメ。思いの色眼鏡を通すから、
虚がある、見えるといったらダメ。マイナスの言葉を並べるだけになるから。必要ない事。反省でも何でもない。
自分には思いがある、思いの色眼鏡をかけてみている、こう言うことが間違い。
神さまに対しては大きい間違い。ここに思いがあるということが間違い。なぜ真の神さまだけと言わないのか。
真の神さまが真の自分、本心の自分として、新たに新たに出てきて下さっている。
なぜ喜ばないのか、となって来る。真の神さまが真の自分。無限に無限に幸せな自分。
なぜこう言わないのかとなる。一瞬一瞬、神さまは最高の幸せを、無条件の幸せを与え続けて来ている。
神さまは、全体の全ての幸せを自分の幸せとして、与え続けてきている。なぜ、幸せと言わないのかとなる。

だから、言葉。どれだけ真のプラスの言葉を、最高の褒め言葉を選んで使い続けないといけないかって。
だから、言葉だけ。本当に必要なのは、真のプラスの言葉だけ。
これを一瞬一瞬真剣に選び続けて、本当に使いこなすこと。それで、宇宙船護摩木を書いてもらっている。
神さまが応援しやすい。波が合って、一番、神さまがみんなの中に降り立ちやすいから。
本当は、24時間、祈り続けてほしいから。本心の自覚を与えるために、真祈りを伝授するために、祈り続けてほしいから。

この世で思いの心、我の心を生きて、思い通りになっても、幸せでも何でもない。
みんな一生懸命働いている。何の為にか?贅沢するためだったら、意味がない。贅沢したって幸せにはなれない。
神さまの方は、この世界でも必要なものは先に与えている。必要なものは全部与えている。
これは、神さまの世界がちょっと映ってくるだけでそう。必要なだけは、与えてくるから消えない。
太陽も必要だから与えてくる、消えない。空気も必要だから与えてくる、消えない。
地球という大地も必要だから与えてくる、消えない。消えないのは、神さまが与えてくる一大循環の相象の
残像の模型でも消えない。元からあるものが映ってくるから、消えない。だから、本当の生かす働きは、
神さまの方から映ってくる、全部。本当の光がちょっと入って来るだけで、それは、永遠に消えないもの。
だから、生かされている。自分が働いて、お金を手に入れて、何か物を買って、贅沢して、幸せなのか、そうではない。
反対。要らないものを一杯、買わないといけない。がんじがらめに縛られてしまう。苦しいだけ。
本当に必要なものだけがいい。必要なだけで、自由なのがいい。自由がいい。

太陽が射し昇るのを見て、「ああ、素晴らしい」って、感動できる自分が幸せ。星空を眺めて、
「ああ、素晴らしいシャンデリア」って言わないと。本当に星空も素晴らしい。
贅沢な人は、それがわからない。与えてもらっているのに気付かない。大自然の本当の素晴らしさにも気づかない。
どっちが幸せか。人工的なものを一杯持っても、それはつまらない幸せ。大自然の方が何万倍以上、素晴らしい。
大きい幸せを与えてくる。そしたら、神さまが、本当の意味で与え続けてくれている幸せは、その無限倍。

だから、本心の自分をしっかりと生きて、大きく輝かせないと。本心の自分に戻ることと、大きく輝かせること。
そのために、真祈りを祈り続ける自分に成ること。真祈りさえ祈れたら、本当の幸せな本心の自分に戻れる。
心が思いの心が一杯に成ると苦しい。苦しいと感じる時は、本心が出て来てくれている時。違いが分かってくる。
思いの心だけの時は、わからない。それが当たり前で、苦しいとも何とも思わない。
思いの心、我の心を生きている時には、その区別がつかない。でも、本心が出てきたら、違いが分かる。
本心の幸せと思いの幸せの違いが、大きく分かってくる。だから、思いの苦しみを消そうとする。
心だけではない。形の上のマイナスも、本心は消そうとする。神さまの与えてくるものは、プラスだけだからって。
]本心の自分は、祈って、全部プラスに変えてくる。本当に本心の自分が縋るところは、真の神さまだけ。
真の神さまが与えてくるものを邪魔しなかったらいいだけ。一大循環の流れを、我を出して邪魔しなかったら、
全部プラスに置き換わる。

だから、邪魔しない生き方というのは、自分を与え続けること。与え続けるというのは、神さまにお返しし続けること。
全体を通して、全てを通して、自分を与え尽くして、与え続けて、神さまにお返ししたら、循環が元に戻っていく。
正しく戻っていく。止めてしまったら、循環が止まるから流れてこない。神さまの方から必要なものが出てこない。

まず、自分を空っぽにすること。これは、真の神さまへ与え続けない限り、循環しない。
真の神さま以外へいくら与えても、そこでストップ。循環していないから、与えたら大きくなって跳ね返ってくるだけ。
それが、思いが溜まって、我が強くなって、神さまを拒絶する。同じ与えるのでも、与える所が何処か。
大きく全ての全てを与えようというのが、神さまに向くから。小さくだったら、部分で止まる。
いくら小さいところに与え続けても止まってしまう。循環しないのはそこ。真の神さままで届かない。
だから、全てへ与えようとしたら、真の神さまが全てだから、届く。たくさん与えないとダメだからって、
自分の中のものを全部、空っぽになるくらい、なくなっていく。だから、大きく全てへ与えるほど、
自分が空っぽになりやすい。だから、循環が速く戻る。

真祈りの練習というのは、元々本心の自分は、真祈りをし続けている自分。
それを何かのきっかけで、ふっと忘れた。真祈りを忘れたら、思いが溜まった。我の自分に陥った。これだけ。
もう一回循環を戻してもらうだけ。ちょっと恩返しの気持ちに戻ればいいだけ。
神さまへ恩返しの心でお返しするだけ。全て神さまに与えられたものだからって、お返ししたら、また生かされる。
「ああ、生かされている、生かされている」と喜んだら、恩返しで自分の全てを神さまにお返ししている。
自分で生きようとしたら、間違う。やっぱり、ストップをかけていく。
本当に生かされているという気持ちになったら、我が消える。だから、恩返しだけとなったら、もう一つ消える。

本心の自分と思いの心の我の自分と、どっちが賢いか。本心の方が無限倍賢い。
本当の意味での賢さというのは、本心の自分にある。我の自分には、そういう本当の能力がない。
本心の自分は、全てを見抜く洞察力がある。全てを推理する推理力もある。全体を把握する達観力もある。
本当の本心には、神さまの能力が全部備わっている。でも、我の自分には、全体が観られない。
小さくしか観られない。部分の立場にしか立てない。だから、能力が小さい。足りない。
だから、幸せでも何でもない。

人の運命って、過去世からの自分の選んで使ってきた言葉、その通りに成っている。
マイナスの運命が、もし出てきたとしたら、これもどういう言葉で受け直すか。過去のマイナスを消してもらっている。
それも大きく消してもらっている。こんなに軽く消してもらっている。やっぱりプラスの言葉が必要。
神さまの愛の働きでマイナスをどんどん消してもらっているだけって。それも軽く軽くって。
ちょっと確認をとりながら消してもらっている。知らない間に消されてもわからない。有難味も何もないから。
ちょっとだけ確認を取って消してもらっているというくらいがいい。そしたら、人のせいにすることも間違いだし、
人にマイナスの責任を持っていくなんておかしい。みんな神さまが自分を支えてくれているだけ。

だから、どこまでも真の神さまだけと徹底していかないと。思いも我も大きく消してもらうチャンスを、
自分が捨てていることになる。もう全部、真の神さまの働きだけとなったら、もし周りにマイナスが一杯の地獄絵図が
あったら、全部自分のマイナスを神さまが大勢を使って、大勢の姿で、マイナスを背負って消し続けて下さっている
っていう風に見えないと。そういう風に思わないとダメ。そしたら、消えている。でも、ここが地獄絵図と言ったら、
消えない、殖える。真の神さまの働きと見たら、マイナスは全部消える。早く消える。
プラスがどんどん大きく殖えてくる。だから、どれだけ真の神さまだけを認めるか。これが一番大事なこと。
本当の信仰の極意、悟りを開くための必要な生き方。常に、真の神さまだけを認める。
他を一切認めない、この生き方だけ。

ちょっとだけ、ちょっとだけ、真の神さまの側に立って考えてみたらいい。そしたら、真の神さまの愛の本当の働きがわかってくる。
そしたら、その邪魔をしないように生きられる。だから、ありがとうございますと唱え続けることによって、
本当の意味で神さまの愛を感じ取る。また神さまを本当の意味で愛すること、愛の交流が起こる。
ひたすら、ありがとうございますと唱える、祈り続けるのが、神さまを愛していること。
神さまとの愛の一体感が、心の交流が、起こる。一番幸せな自分に、もう即、戻してもらえるはず。
もう全体が真の神さまの愛となる。真の神さま以外、何もない。全てが真の神さまだけ。

(平成27年4月18日のお話③)