真のありがとうございます 

 
 

 本当の支える生き方は、本心の自分でないととれない。支える生き方がとれたら、本心の自分に戻してもらったことになる。
最初は練習。支える生き方を練習することで、本当に支える生き方がとれたら本心の自分。
本当の本心の自分に戻すための勉強材料を、神さまは用意して与えてくれている。支え合うというすがたをみせてもらうほど、相乗効果の大きい進歩が起こる。
自分一人がいくら頑張っても、支えようとしたって、進歩が遅い。支え合うというのは、同じような人が周りにいっぱい集まって力を一つにするから、
大きい支えの力が自分に入って来る。一つの体験でも、自分一人で体験するのはわずか。100人寄ったら100人の体験が、全部違う。
その体験を、お互いが共有すると、100倍の体験を積んだのと同じ。支え合いというのが、一番進歩が早い、最短コース。
本当に一つの目的を持って、お互いに助け合える、支え合う仲間がいるということが、一番幸せ。

いくら本当の悟りを求めて生きるといっても、一人悟りを求めて生きるのでも、ある程度の悟りまで行こうと思ったら、
一人だったら、何億年以上かかる。難行・苦行も一杯しないとならない。厳しい。いつ心が折れるかもしれない。
仲間が大勢いると、それが起こらない。必ず支え合える。自分が落ち込んでも、必ずみんなの力で支えてくれる。
この支える力というのが、ものすごく自分にとっては、大きなプラスになる。その支え方も、中から支えるというのが根本にあるけれども、
外からもありとあらゆるところから、全部色んな支えで支えてくれる。その全ての支えが必要。だから支えを中に全部そろえている。

そしたら支える生き方、自分がちょっと真似事をするだけで、みんなが同じように支えてくれると、全部違う支え方をしてくれるから、
本当の支え合いのすがたの助けを受ける。宇宙船護摩木を書くのでも、この世の肉体を持って助け合っている人だけが書いてくれるのか、
そうではない。あの世の色んな世界の全部が応援についている。一緒に仲間として支え合って書いてくれている。
その根本が、真の神さまからの大きい働き。みんなを使ってくる。ただ自由意志を無視しては使えない。

自由意志をどう発揮するか。真の神さまのお手伝いをします、というこの気持ち。自分の全てを神さまのお役に立てて欲しい、
これがあると、神さまはその人の自由意志を尊重して、大きく使える。神さまに自分を任せきる全託というのが、悟りへの最短コースになる。
でも必ず全託しても、思いが残っている限り、我がある限り、全託が破れる時が来る。でもそのたびに新たに新たに、全託し直す。
神さまのお手伝いをさせて下さい、その時にもう一回思い返せばいい。そうすると神さまは喜んで使ってくる。
神さまに使ってもらうというのが、一番大きい力になる。

自分がどれだけ能力があっても、自分の力では神さまに使ってもらうのと比べたら、比較にもならないゼロに近い。
でも神さまに使ってもらえると、無限倍になる。どんな力でも降ろしてくれる。神さまに自分を捧げる、神さまの御用に使ってもらう、
これがあったらすべて神さまのお蔭になる。一大奇蹟が常に連続して起こって来る。

だから今この宇宙船護摩木を書かせてもらうのも、自分が最初書こうとする。それでも我で書いているとなかなか喜べない。
でもその我がだんだんと消されてくる。我が消えると神さまが自分を使ってくれるのに気付き始める。そうなったらもう心配ない。
神さまが自分を使ってくれるという書き方になったら、もう喜びだけが湧き上がるようになってくる。どんどん神さまが自分を大きく使ってくる。

大きく使うっていうのは、あの世でも、大勢を、縁者を同時に使いこなしてくる。一人で書いているのではなくなってくる。
大勢が一緒に書くようになってくる。その働きがやっぱり大きくなる。一枚護摩木を書くことが、大勢が一緒に書いている。
働きが、宇宙船が大きくなる。だからどれだけの大きい働きを降ろしてくれているか、もう想像を越えている。たかが一枚ではない。
何億人乗せる宇宙船かもしれない。どこまでも大きくなったり小さくなったり、自由自在に変身して助け続けてくれる。

支える練習をちょっとするだけで、どれだけ大きく支えられているか、気付かせてもらう、これが大きい幸せ。
だから、みんなの体験が全部自分のものになってくると思う。話を聞いて、体験を聞いて自分のものになるのではない。
自分が支える生き方をとると、みんなの体験が全部自分に備わる。ここが違う。話を聞いてから自分のものになるのではない。反対。
話を聞く前に自分のものにしてもらう。支える生き方をとった人は全部そう。必ず支える生き方さえ取れたら、みんなの働きが全部自分のものになる。
これは、神さまの世界がそうだから。神さまの世界が支える生き方の世界。みんなが本当の意味で一つになって、支え合うすがたをとっている。
それで何回も支える、支えるというんだけど、この言葉で本心の自分を呼び覚ましている。

昔はそう、求めるより受ける方がいい、受けるより与える方が上だって言っていたけど、これは本心の生き方とは違う、思いの心、我の心の生き方。
どれだけ与えるようになったって、まだ小さい。支えるようになって初めて、本心の生き方。本心は形をつかまない。自由自在でどこまでも大きくなる。
だからみんなを自分の中に取り込めるようになる。我の自分は自分の中には入れられない。器があるから一つの器の中に全部入るか、入らない。
器もパイプも限界がある。でも本心は器もパイプもない、自由自在心だから、大きくも小さくもなれるけど、全部自分の中に納められる。

支える生き方は、本心の自分の生き方。みんなを自分の中に取り込める、みんなの体験を自分のものに出来る、みんなのお祈りを自分のお祈りに出来る。
みんなの幸せを自分の幸せに取り込んでしまえる。だから支える生き方だけを徹底して勉強する。必ずみんなが自分を支えてくれるように変わる。
大勢に支えられていると気付くほど、本当の支え合いのすがたに、真の神さまの世界に、心が本当に向いていくようになる。

支える勉強は、本心の自分にとって一番易しい。本心の自分にもともと備わった生き方。本心の自分を常に生き続けるというのが大事だから、常に新たな自分。
過去の自分ではなく、新たな自分をしっかり生き続けること。常に新たな自分。そしたら本心の自分を生きることになる。
現実というのは遠い昔の過去の残像。現実を相手にすると、過去をつかんだ自分。虚の世界で現実に色んなすがたが出てくる。
ただこの現実を受ける受け方も、本当の受け方はプラスに受けないとダメ。
例えば、宇宙船護摩木を書くごとに、周りのすがたがマイナスになる、病人が増えるとか、これなぜと思う?
これはマイナスに解釈したらそう、プラスに解釈しないとダメ。

現実は過去の自分の選んだ言葉通り、心の通りに現実化して消えていく。
もし、過去に自分がマイナスの言葉を一杯使っていたとしたら、その言葉を形に現わしてどこかで消さないとダメ。
そしたら、自分の身の上に形に表して消すか、他で誰かが身代わりで受けて代わりに消してくれるか。
そしたら、マイナスは、周りの人に消してもらう方が楽。助けてもらったことになる。みんなが支えに助けに来てくれている。

だから、マイナスが沢山出る時ほど、過去のマイナスの言葉を早く消してくれたことになる。
プラスが殖えて喜ぶのもいいんだけど、ただ、過去のマイナスが全部消えたら、後はプラスがどんどん殖え続ける。
プラスばっかりが現実化するように変わって来る。だから、その両方を喜ばないとダメ。マイナスが出ても喜び、プラスが出たらもっと喜ぶって。
それ以上に、現実化する前の、真の神さまの世界を本当に言葉通りに感じ取れる方が、もっと上。

現実化したのは、まだ虚の世界。真の神さまの一大循環の本当のプラスだけを感じ取る方が本物の感じ方だから、もう一つ上を行く。
現実にとらわれない生き方。段々とそうなっていく。常に太陽を眺めて、降り注ぐ光を浴びる。
でも、雲の下は違う。雲の下だと、晴れている時は光を感じる。薄曇りの時は、明るく感じる。でも、雨雲の時は、光が通らない。
でも、これは、過去の言葉通りに雲のすがたで、思いの雲のすがたで溜まっている。だから、それを、雲を全部消さないとダメ。
思いの雲を全部消さないとダメ。消す時のすがたが、雲の下から見ると、マイナスに見えたりプラスに見えたりしている。

でも、雲の上から見たら、今度は光を与え続けて、消してしまえばいい。太陽のような大きい強い光は、雲を消せる。漂う霧を全部消せる。
だから、上から光を与え続けるだけで、思いの雲が全部スーッと消えていく。だから、どっちの自分に早く戻っていくか。
下から見ているのは、まだ雲の上に抜けていない。もう一つ自由になって、雲の上に抜けた方がいい。
その雲の上に抜ける方法が、光源の側に立つこと。太陽の側に立つほどいい。

それで、真の神さまの側に立って、真祈りを祈る。そうすると、雲の上に抜ける。そしたら、現実のマイナスが全部プラスに見える。
何を見てもプラスに見える。全然引っかからなくなる。過去は消えるほどいい。新たな本当のプラスの光だけがいい。そういう風な生き方に変わったらいい。
それで、光を、光源を与え続けるだけの自分に戻っていく。

それも、光源が一つではない。無限の光源が降り注いでくる。この宇宙に星が無限にあるって、
その大元が、真の神さまの世界の光源のすがたを現わしている。真の神さまの光源としての天照大御神様が無限に一杯降り注いでくる。
それが奥に入れ子構造で存在している。人を支える生き方っていうのは、それを本当に実感できる自分に戻してもらうため。

それで、みんなに支えられて、真の神さまに支えられて、宇宙船護摩木を書かせてもらっている。
だから、自分が祈っていないのに書いているって、これも自分が祈っていないけど、周りの全てが祈ってくれている。自分は書くだけに使ってもらっている。
自分一人でって言うと、祈っていないのに書いたって引っかかる。そうではない。みんなで一枚の護摩木を仕上げている。
祈りの専門の神さまが一杯ついて、祈り続けてくれて、自分はペンを持って書くだけかもしれない。
でも、それでも本当の支え合いだったら、一枚の護摩木を完成させたことになる。

だから、みんなに支えられて、護摩木一枚書かしていただくという気持ちになっていたら、引っかかることは何もない。
神さまに使ってもらって、みんなと一緒に護摩木を書くお手伝いをさせていただいたっていう、これだけ。
そしたら、喜びがどんどんどんどん大きくなるだけでいい。だから、全部プラス。


(平成27年4月4日のお話A)