真のありがとうございます 

 
 

 自由と平等って、みんな虚の世界でも憧れの的。自由と平等を求めている。でもこれには本物と偽物がある。
虚の世界はみんなまだ偽物の方。自由を求めているのも、平等を求めているのも。本物の自由と平等は何処にあるか。
真の神さまの世界でも一番奥にある。本当の自由も本当の平等も、真祈りの秘奥義を伝授してもらって体得しないとわからない。

印可書にちょっと書いているけど、一点に向かって無限通りの渦巻きが降りる。他の一点に対しても、同じように降りる。
無限の一点に対しても、同じように無限の渦巻きが降りる。一つ一つの渦巻きが全部違う。同じ渦巻は無い。
そしたら一点が受けている渦巻きは、無限通りの渦巻き、全部違う。Aという一点の渦巻きを受けたのが無限通り、これは全部違う渦巻を受けている。
隣のBという一点で受けるのも無限通り、これも全部違う。Aの受けているのと、Bの受けているのと、全然渦巻きが全部違う。
無限の点があったら、全部違う渦巻。同じ渦巻は一つもない。すごい事。

本心の自分ですらどの一点をつかんで、どの一点の立場で受けても、平等は無い。その段階では、みんな平等ではない、みんな違う。無限の差別。
同じものは何一つ受けていないから、全部違うものばっかりだから、差別だけ。そしたらどこに平等はあるか。
一点をつかむ本心の心ではダメ。全ての無限の点に、自由自在に立てないとダメ。全ての立場に立てて初めて、全部受け取れる。
本当の本心の自分でも、一番自由自在な心に戻らないとダメ。どの立場にも立てる自分。これは真祈りの秘奥義を伝授してもらわないと出来ない。
そこに入ったら、本当の自由自在な自分。どこにでも自由自在に入れる自分。全てにも立てる。
その自由な自分だったら、神さまの与えてくるもの全部を受け取れる。そこまで行って初めて、みんな平等。

虚の世界の平等は嘘。男女平等なんて嘘。格差を無くすなんて嘘。みんな偽物ばっかり。同じものが何一つないのに、平等に与えるわけにはいかない。
一人一人の運命が全部違う。みんな言葉通りの運命を作り上げている。一人一人の使う言葉が全部違う。同じ運命なんて絶対ありえないこと。
虚の世界ですら全部違う。それをわざわざ違うものを同じように見て、悪平等で振り分けてって、大きい間違い。
虚の世界には、どこにも平等なんかない。真実の世界でも、つかんだらない。どの一点をつかんでも平等でなくなる。
本当に一切の我のない、無色透明の自由自在心って、何もつかまない自分にならないと、本当の自由は無いし、平等も味わえない。
本当の平等っていうのが、真の神さまとの愛の一体感。本当の平等がわからなかったら幸せは本物ではない。

虚の世界で、この世でみんな言っている自由って、自分勝手なわがままな、自分本位の自由。
これは他の自由を邪魔している、侵している、奪っている、絶対そう。交通法規がそう。自分が自由だから、交通法規を無視して車を運転したらどうなるか。
どれだけみんなに迷惑をかけるか。赤信号を無視して走ったら、青信号で走ってきた人をはねたり、車にぶつかったりする。
みんなの自由を奪っている。自分勝手なわがまま自由は、人の自由を奪っている。その自由を発揮したら、必ず自分の自由を大きく奪い取られていく。
そしたら自分の自由は全く無くなってしまう。ゼロになっていく。全部そう。自分の好きなことをしている、必要なこともせずに、
自分の好きなことを好き勝手にやっている。みんな人の自由を奪っている。

本当は世の中に必要なことをしなかったら、生かしてもらえない。自分の好きなことをして遊んでいる、好きなことをして喜んでいる。
人の自由を奪っていることになるから、自分の自由を奪いとられたらどうなるか。必ず業想念の大きい波にさらわれる。渦巻く濁流に翻弄される。
竜巻に舞い上げられた木の葉みたいに振り回される。こんなのは自由とは言わない。自分の自由はどこにもない。
振り回されているのは自由とは言わない。まだじっとしている方が楽。無限の業力で振り回されたら自由なんてありえない、苦しいだけ。
自由の発揮というのは間違い。自分の自由に、思い通りするのは、全部大きい間違い。人の自由を奪うだけで、自分の自由が奪われていくだけ。

本当の自由を手に入れるにはどうしたらいいか。自分の自由を全部神さまに捧げなければダメ。
みんなを支えるために、自分の自由を使わないとダメ。自分のために使ったらダメ。全体を支えるためだけに使う。
これが神さまの生き方の一つになっている。神さまの大きい支えで自由を与えてもらえる。必要なものを本当に与えてもらって幸せ。

神さまの支えが出て来なかったら、幸せなんかあり得ない。何一つ幸せになるための必要なものは、与えてもらえない。
空気が欲しいといっても、空気を与えてもらえなかったら幸せになれない。太陽一つそう。もうすべてが神さまから与えてもらえなかったら、幸せではなくなってしまう。
自分の自由は、必ず神さまのために使わないとダメ。神さまというのは、全体、みんな。みんなを支えるためだけに、使いきる。
この自由は自分のために使ってはダメ。みんなの為だけに使ったら、みんなも同じように、自分に対して、自分の自由を捧げてくれる。
それで自分の自由が、無限倍に大きく与え返される。この自由でないと、本当の自由自在心に戻れない。

過去世に色んな言葉を使って、思いを溜めて、マイナスが一杯となった時に、本当にそれを消してもらう方法がどこにあるか。
思いの心では絶対に思いは消せない。どうしたら消えるか。いくら消してと求めても消えない。どんな助けを受けてもダメ。受けるだけではダメ。
また自分のものをどれだけ与え尽しても、思いのついたものを与えたら、思いが何倍にも大きくなって返って来る。
いくら与える生き方をとっても消えない。増える一方。

思いを消してもらえる方法はどこにあるか。真の神さまの支えが出て来なければダメ。支える生き方がいる。
支える生き方というのは、本心の生き方。本心でないと支える生き方はとれない。思いの心は、求めるか、受けるか、与えるかだけしか出来ない。
支える・支え合うは、本心の自分にしか出来ない。本心の自分はどうしたら出てくるか。自分の全てを神さまにお返ししないと。
神さまに全部与え尽して、お返ししたら、新しい自分が出てくる。これが本心の自分。本心の自分は支えに生きることが出来る。
過去をつかんだ自分、我の自分は絶対できない。いくら支えようと思っても出来ない。本心が出てこない限り、永遠に出来ない、不可能。

自分の全てを神さまに捧げる、お返しする、与える。どこに与える所がある?神さまこの命差し上げます、お返しします、と言ったって、どこへ返す?
返す場所がある?神さまがどこにいる?どこで受け取ってくれる?いくら言葉で言っても受け取ってくれない。どうしたら受け取ってくれる?
この命神さまに捧げますと言ったってダメ。受け取ってもらえない。

神さまの働きは全体を支える働きとして出てくる。支えに生きないとダメ。全体を支えようとして生きたら、自分を与えたことになる、捧げたことになる、
お返ししたことになる。そしたら過去の思いが全部消せる、消してもらう。求める心も受ける心も与える心も、絶対思いは消えない。
いくら与え続けると言ってもダメ。そんなのでは消えない。真の神さまを相手にしていないから。
真の神さまを支える生き方の中にしか、バックアップは降りてこない。支えるというのは一番難しい。縁の下の力持ち。自分を絶対表に出さない。
下から下から、踏ん張って支える。一番大変な役割。だから人の本当に嫌がる仕事を喜んでしないとダメ、支えていない。

お母さんが、赤ちゃんがおしっこしたり汚れるのを、汚いと思わないとちゃんとして汚れを取ってくれる。なぜできるか。
愛の心だからできる。一体感があるから。本当に嫌な人のだったらしない。神さまは、本当の一体感で、愛の心で、みんなを本当に支えようとする。
どれだけ汚いものでも、喜んで自分が受けて、その人をきれいにしよう、助けようとする。神さまの助け、支えを受けるために、やっぱりその心がいる。
波を合わさないと神さまはそこに降りてくれない。

だから本心側に立っても、実行しないと、神さまがバックアップで出てこない。神さまに自分を与え尽す方法は、一つだけ。支えるためだけに生きる。
支えるというのは、本当に中から。中から必要なものを与えて、本当に必要なものを与え続けて、支える生き方。
真祈りを祈るのが支える生き方だけど、祈るというのは祈るだけではダメ。実行まで行かないと。本当に支えようとしなかったら、まだ真の神さまは降り立っていない。


(平成27年3月28日のお話@)