真のありがとうございます 

 
 

 本心の自分に戻って神さまのお手伝いに生きる、これが一番幸せ。我の心を生きて、どんなに思い通りになっても、心が七難八苦で一杯になる。
我の心を生きたら苦しくなる。元々縛りに縛られた心だから幸せにはなれない。大きい縛りをどれだけ早く消してもらえるか。
どれだけ過去世の色んな生き方の中で、いい時のことを繰り返したってダメ。幸せでも何でもない。
本心の自分から見たら、全部マイナスのすがた。本心の自分に戻してもらうだけ。肉体の自分の命とか寿命とかそんなのは関係ない。
本心の自分の永遠の自分に戻らないと。そんなの心が安らぐわけがない。魂の自分なんてつかんでも、地獄に落ちる魂もある。
どこに行くかわからないような魂をつかんだって、幸せではない。

いつも真の神さまの本当のプラスだけを受け直せる自分は、本心の自分だけ。本心の自分に戻ることだけが一番の目的・願いでないと。
だから宇宙船護摩木を本当に書き続けること。人のために祈って書く、代行するというのは自由自在の本心に戻る一番の方法、一番の祈り方になる。
肉体の自分を捨てて、本心の自分に戻って、みんなの中に入って祈る。肉体の自分から何をやってもダメ。これは我の自分・思いの自分。
肉体の自分をまず捨てないとダメ。自由な本心に戻って、人のために祈るというのは、その人の中に入らないとダメ。自由な意識で、そこで祈る。
そしたら本心の自分に戻っていく。

それも真の神さまを与え続ける、この祈り方は、本心の自分を大きく輝かせる。本当は、真の神さまだけという、徹底した祈り方。
真のプラスしかないという徹底するプラスの認め方。ちょっとでも過去をつかんだら、やっぱりマイナスをつかんでしまう。
いくらプラスでも過去のプラスは、その時は必要だったプラスかもしれない。そのプラスは、いつまでも必要なのではない。常に変化しないと。
常に、新たに新たに、必要なものを与え続けてもらってこそ、本当のプラス。

やっぱり、我の自分って、小さい自分をつかむ。我の自分は、みんなと支え合いには絶対ならない。
みんなと心を一つにして、力を一つに合わせてはできない。バラバラだから。優劣を決めて差別し合うから、自分の方を上に置きたい。
自分の方が偉いって自慢したい。人の下には立ちたくないとか、色んな過去生の因縁が一杯あって、どうしてもマイナスになってしまう。
でも、本心の自分は反対。

本心の自分には、真の神さまと一体という根本の愛がある。みんなと一体という本当の深い愛の心がある。
どの人のために祈っても、本当のプラス思考だけ。愛の一体感が本当のプラス。自分と他人と分けている間は、やっぱり比較するから、
自分がプラスだったら相手をマイナスに見る。相手の方がプラスだったら、また羨む。比較するのは間違い。差別するのは、大きい間違い。
だから、自分が、他人が、と出るのだったら、間違っている。虚の世界のマイナスの生き方。

本心の自分の生き方は、常に全てがプラス。全てが一体。それでいて、本当の自由と平等がいつも与えてもらっているというのが、正しい。
本当に支え合うという生き方がどれだけ実行するのに大変だったか。思いの心では出来ない。求めるばっかり。ちょっとよくなっても受けるだけ。
与えても、自分の思いを与えるだけ。みんなマイナス。だから、支える生き方、支え合う生き方が、本心の生き方。

お祈りも、本当に真の神さまを与えるというお祈りに変わらないと、みんなを中から支えるわけにはいかない。
本心の自覚を与え続けてもらって、本当の強い支えを中から与えてもらわないと。これも徹底して自分ではない。
自分では出来ないから、真の神さまに代わりにしてもらう。これが真祈り。神さまを呼び続けて、与え続けてと言うけど、
与え続けるという意味は、ただ単に与えるのではない。自分が神さまを与えるわけにはいかない。勝手に。
無限に大きい神さまを自分が与えるなんてできない。反対。神さまを呼んで、神さまに真剣にお願いして、神さまに全てしてもらうこと。働いてもらうこと。

そのために、どれだけ自分が神さまと真剣に約束するか。真剣に神さまと約束したら、神さまが願いを叶えてくれる。働いてくれる。
それで、登録の気持ちは必要。登録と言うのは、神さまとの登録、約束。人との約束でも登録でもない。
自分と真の神さまと一対一で約束すること。どこかに登録しますと言ったから登録、これは違う。真の神さまと自分が11で登録する。これが本物。
だから、その確認のために紙に書いて、ファックスしてもらっているけど、でも、真の神さまと一対一で約束してもらうために、登録を働きかけた。
本当に約束できていたら、何もいらない。

だから、常に真の神さまと一対一の関係に自分を置かないと、自分と他人って出てくる。自分と他人って出た時が我になる。
我の自分、我の他人になる。でも、真の神さまと自分となったら、真の神さまだけだから、本心の自分と真の神さまだけになる。
この立場に戻る為に、常に自分を見つめないとダメ。一回約束したからそれでいいのかって、そうでもない。
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回神さまに全託したから、もうこれで常に全託できるのか、そうではない。いつ我が出てきて、この全託を破るかもしれない。
我が出るたびに、全託が破れると思う。そのたびに、もう一回全託し直さないと。我をつかむか、本心をつかむか、どっちをつかむかになってしまう。

神さまとの約束も常にそう。この命、神さまにお返しします。常に神さまに全託し続けますって約束する。
でも、その時でも本心が出ている時は、その時はそうかもしれない。
でもちょっと我が出て、思いが湧き上がってきた時は、必ず思い通りにならないと不足を言う。必ず、我を出した時に全託が破れる。12回ではない。
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200回でもない。もっと多いと思う。本当に本心に戻り切るまで、戻り切っても油断したら、我になっていく。
そしたら、我が出た時は、真の神さまの一大循環の相象を感じられない自分になってしまう。過去をつかんだら、常にそうなってしまうから。
だから、一瞬一瞬、一大循環の相象を感じ取る自分は、もう絶対に我の自分に陥らない生き方でないと、出来ない。

だから、一瞬一瞬の本当に真剣な祈り。願うことではない。祈り、本当の祈りって、神さまの生き方と同じ生き方を真似しないとダメ。
神さまの祈りと自分の祈りとを1つに繋がないとダメ。神さまの祈りが自分の祈りっていう風に。

神さまの祈りは、真の神さまとして自分の全てを与え続けている。与え続けて循環させている。
自分も同じように、自分の全てを与え続けて、循環させること。そしたら、真の神さまが自分の中を循環して通り抜けてくれる。
本当の真の神さまが真の自分という、本当の自覚に戻してくれる。循環が止まったら、我になっている。循環が常に、勢いよく流れないとダメ。

そしたら、自分って何もつかまなくていい。これが自分って、つかまない方がいい。これが自分のものと絶対つかまないこと。
常に、神さまが循環してくる。バックアップしてくる。新たな自分、新たな自分って、常に必要なものが、新たに新たに循環する。
みんながそうなってくれたら、地球は本当の平和なすがたをとる。これは、本心の自覚にみんなを戻すしか方法は無い。

どうしたらみんなを早く本心に戻せるか。大勢の人が宇宙船護摩木を書いて、みんなの代わりに祈って祈って、祈り抜くこと。
自分が祈って幸せになっても、まだ他の人はなれない。みんなを本心の自覚に戻すのが、1番必要な大事なこと。1番大事なことがそれ。
だから、みんなの代わりに、みんなの中へ入って、祈り続ける。みんなを本心の自覚に戻してしまう、これが真の神さまの世界の本当のすがた。
支え合いのすがた。本当にみんなを本心に戻していく、絶対に本心から離れないようにしてしまうという、これが本当の支え合いの祈りのすがた。
これを真似事でも実行していく。そしたら、必ず、本当の本心の自分に戻してくれる。

神さまの真似事。神倣う、そして、神さまに戻る。それ以外に何か方法があると思う?無いよ。我を消して、本心に戻る方法なんて、どこにも無い。
何億年以上、無限の年月修行したって、本当の本心に戻るのは大変。1番易しい方法で、1番短い期間で、最速で本心に戻してくれるというのが、
どこを探しても本当は無い筈。真の神さまの本当の働きにちょっとでも気付く、信じられたら、一番幸せな人だと思う。
ちょっとでもわかったら、自分の自由意志でしっかりと選び続けること。本心の自分をしっかり生き続ける。これだけが全て。
我の自分を生きて、幸せになんか絶対なれない。本心の自分をしっかりと選び続けて、生きようとすること。
それも支え合って。自分が我に陥った時は、必ず助けてもらわないと、本心側に立てない。

だから、自分が祈れる時は、みんなの為に一生懸命祈ること。そしたら、自分が我に陥りそうになったら、助けてくれる。
常に祈れる自分に変えてくれる。それが支え合いの勉強になっている。本当に我の自分から本心の自分に戻るのは、絶対大事な問題。
宇宙船護摩木を書き続ける、これ以外本当は無い。みんなの為に祈り続ける、本当の祈り。いくら人の為に祈るって、普通の祈りではダメ。
真の神さまの大きい助けを受けて、自由自在な本心の自分が、みんなの中へ入って祈る、
この祈り方が、これが1番易しく実行できるように、助けてくれるようになってきているから。


 
(平成27年3月21日のお話B)