真のありがとうございます 

 
 

 もし神さまにさせていただく、していただくというのだったら、一瞬一瞬、問い返さないとダメ。
今、何を必要としているのか、今、何をしたらいいのかって。過去どれだけこれがいいと思っても、それを続けたら大きい我。
一瞬で変わるかもしれない。今右へ行きなさい、次の瞬間左へ行きなさいって変わるかもしれない。
今これをしなさい、次にこれをしなさいって、必ず変化する。それについていけるかどうか。言われてするのはもう遅い。汲み取らないとダメ。
神さまの御心を汲み取る。言われていたら時間がかかる。これしなさい、またこれしなさいって言われたら、言ってもらえる場ならいいけど、
遠いところにいたら、そんなのは通じない。だから心を汲み取る。一瞬一瞬、真の神さまの御心を汲み取るんだという、この気持ちが無かったら、
大きい我がある。本当に何が必要かわからない。間違ったこと、反対のことをしてしまう。
本当に一瞬一瞬、神さまの御心を汲み取るようになるまでは、我の自分を生きていることになる。

どうしたらその我を消してもらえるか。甘いことはない。自分が何もしないで、じっとしていて我を消してもらって本心に戻れるか、そんなことはない。
我というのは、神さまのものを盗み取った。これが自分のものと盗み取ったのが我。勝手に盗み取った、泥棒、大泥棒。
その我を、自分のものを全部神さまにお返ししてこそ、次に新たなものを与えてもらえる。本当は全部お返ししないとダメ。
新しい必要なものを与えてもらうために、本当の一大循環の相象を受け直すようになるために、過去の一切を全部お返ししないとダメ。

そのために神さまの助けを受けようとしたら、何が必要になるか。お祈りをしていたら、何でも上手く行くのか、全部叶えてもらえるのか。
そんな甘いものではない。そういうのは本当のお祈りではない。求める心のお祈り。受けようとするだけのお祈り。
本当に神さまの御心を生きようとするお祈りではない。本当の真の神さまのお祈りは、中から自分の全てを与え続けて、本心の自覚を与え続けるお祈り。
過去をつかむ思いの心を全部消しきって、新たに新たに生きる、本心の自覚を与え続けるお祈り。これは真の神さまのお祈り。
そのお祈りにならない限り、いくらお祈りをしていると言ってもそのお祈りは偽物。何の力もない。

肉体の自分をつかんでこれが自分なんて思っている限り、我の自分。祈れない、祈りになっていない。
一瞬一瞬、神さまを受け直して、これが今の一瞬だけの真の自分、本心の自分というのだったらわかる。
でもこれが自分とつかんでいるのは、我の自分になっていく。いかに一瞬一瞬、真剣に受け直さないといけないか。一瞬も我を出せない。
今そういう生き方をしようとしても、過去のものを消すまでにはいかない。今そう生きたいと願ったって、本当に過去の我を全部消しきれているか。
消しきれていない。そしたら大きい力をもらわないとダメ。中途半端な小さいのでは不可能。
本当に無限に大きい偉大な力をもらわないと、過去の我一切を洗い流して、神さまの元に戻して消しきってもらうのは難しい。
自分の我を消してもらうだけでも大変。そしたらみんなの我を、地球人類の我を本当に消しきらない限り、一切の問題を解決する道はない。
みんなを本心の自覚に戻さない限り、どんな問題も消えない。問題を増やすばっかり。

そしたら神さまとの約束がいる。本当の神さまの助けを受けようと思ったら、約束事がいる。自分の大事なものと引き換えないとダメ。
地球を救って欲しいというのだったら、それに見合うだけのものを、神さまに捧げる必要がある。願掛けってある。
色んなものがあるけれど、お百度を踏むのなんか甘いもの。自分の好きなものを断つ。お菓子を食べるのが好きだったら、お菓子を断つ、
お酒を飲むのが好きだったら、お酒を断つ。それで願いを叶えてもらおうとする。こんなのは、願掛けでも一番初歩の小さいもの。
本当に大きい願いを叶えてもらおうと思ったら、自分の命と挽きかえ。

天理教祖が近所の子を預かって、その子が今にも死ぬかもしれないって、病気のすがたをとった。責任感が強いから大変って思う。願掛けをする。
自分の一番大事な子供と引き換えにこの子を助けてくれって、願掛けをしている。近所の子供は助けてもらうけど、自分の子供は命をとられる。厳しい。
本当の願掛けってそのくらい厳しい。でも責任感が強かったらそうする。近所の子を預かって死なせない。責任がある。
自分の命を引き替えにする方がまだ易しい。もう一つ自分の一番大事な子供を願掛けの対象にする。だから願いもすっと叶う。
だからどれだけ大事なものと取り換えられるか。

宇宙船護摩木が誕生している。これも大きい願掛け。地球を救ってもらうための、神さまの一大循環の流れが本当に大きく流れ込んでくるための、
そのための神さまの助けを受けるための願掛け。どうしたらその願いを聞いてもらえるか。まず少々のお祈りでは変わらない。
どれだけ祈ったって中途半端な小さなお祈りでは、地球の全ての人の大きい我を、全部消すわけにはいかない。ましてや本心に戻すなんて不可能。
どれだけ大きい真の神さまの力が必要か。どうしたら真の神さまを本当に動かせるか。

大きい水源と一つに繋がないとダメ。本当の力をもらうために水源の水が勢い良く流れ込むようにしてもらわないと出来ない。
水を汲むためにポンプを汲み上げる時、ポンプを動かす時呼び水がいる。ポンプとホースをつないで、差し込んですぐは上がらない。
呼び水を入れないと、中に空気が入っていたら絶対ダメ。まずポンプのパイプに水をずーっと入れて、下の水と繋がないと。
いくらポンプを回しても、空回りして水が全然上がらない。まず呼び水という、水で埋めないといけない。
高いところにある水源から、自然落下で落ちるのでも、途中に空気の層があったら流れ込まない。勢いがない。一つに繋がった時だけ。
上の方の水と下の方の水が、一つに繋がった時は、上の圧力がスーッと下まで来る。それで流れる。
でも途中に空気の層があったら流れない。川の向こうで水を取っていた時に、岩の裂け目から出ている水をつないでいる。
一回止まると、中に空気が入ってしまう。本当は山の方が高いんだけれど、空気の層があると自然落下でも流れない。
もう一回こちらから水を送り込んで繋いでしまう。空気を無くして水でつないだら流れてくる。向うの方が高いから下の方まで流れ込む。

だから絶対呼び水がいる。そしたら神さまと自分とをまず繋がないとダメ。神さまの助けを受けるために。
自分を神さまに与え尽さないとダメ。与えるものも、呼び水の量が少なかったら、空気の層は消えない。
まだ上が空気層だから、ポンプをいくら動かしても空回り。上いっぱいまで上げて溢れるくらいにしないと動かない。まだ繋いでいない。

そしたら願掛けでも目標が決まる。呼び水をどれだけ入れなさいってなる。これだけの量をいれたら呼び水になって、ポンプを動かしたら、
下の水源と一つになって吹き出す。もしそれがちょっとでも少なかったらダメ。いくらポンプを動かしても動かない。上がってこない。

だから願掛けするのもそう。宇宙船護摩木100万枚作ります、用意します、願掛け。呼び水になっている。
その後神さまの方から一大循環の相象で必要なものがスーッと流れ込んでくるようになる。本当の救済の働きが大きく降りてくる。
100万枚作るって言うのでも、単に護摩木100万枚ではない。循環のためのすがたをとらないとダメ。
後々どんどん護摩木が作り出せて、循環するよう全体を整えないとダメ。だから護摩木を作る場所も用意しないとダメ。
原木を手に入れる方法も準備していかないとダメ。ありとあらゆるものを全部用意して、循環が一番上手く行くように整えて、初めて呼び水。
ある意味では厳しかった。短期間で用意しないとダメだからって。

同じ願掛けでも、阿弥陀様の願掛けはきりがない。全ての衆生が救われるまで、私は悟らないって言うのでも、いつまでというのがない。
でも短い期間で用意するというのは、厳しい。時限爆弾をセットしたようなもの。これも自分の命と引き換えないとダメ。
これが出来なかったらこの命を捧げますと渡しきる。本当は呼び水にするんだったら、本当に一杯になるまで、吸収されて死んで終わり。
本当に実現するとなったら、ありとあらゆる方法を講じないとダメ。全力で全てを尽くして。ちょっとでも抜けたらもうできない。
すべての分野で全部完璧に果たしていかないとダメ。それも、最短コースで最速の方法で。

ポンプで上げる水でも曲がりくねった上下するホースを使ってはいけない。一回止まったらまた止まってしまう。
最短コースで一番単純な自然落下の方法でも、流れるという風にしておかないとダメ。
無駄のない、最短コースで最速の方法をちゃんと用意しないとダメ。後のことを考えたらそう。いくら水を汲むと言っても、
長い曲がりくねったようなホースを使うものではない。一番短くてできる最短のコースを使わないとダメ。
そういう用意も兼ねて、100万の護摩木を用意するという、そういう契約・約束。それが出来たら、神さまの本当の助けが降り注ぐ。
それぐらいのことが出来なかったら神さまの助けを受ける資格がない。万分の一もしていない。後の神さまの助けが、万倍億倍無限倍。
そのくらいの小さいことは、本当に命懸けで約束をしてこそ、神さまの助けを願える。願掛けってそんなもの。
そしたら自分一人の力なんて不可能。絶対できない。みんなで支え合わないと、地球を守るための願掛けなんて不可能。

1月に始まって3月の末までに全部整えるというのだけれど、その1週間前が期限。だから厳しかった。
でも325日が期限でも、明日の朝2万作って終わり。だいたい作る場所も一通り出来上がって、もうちょっとだけで完成。
神さまも納得して願いを聞いてくれる。これから宇宙船護摩木を書くと、本当の力が降り注ぐ。今までのはまだ違う。
みんな書いて喜んでくれているけど、まだ本番本物ではない。約束を果たしたから、あとは神さまの本当の力が湧き上がるように降り注ぐ。
宇宙戦艦ヤマトぐらいではない。100万の凄い宇宙船が、大きく働く壮観。

だから一大奇蹟を起こしてくる。本当に大きい我を消し続ける力が降りる。本心に戻す本心の自覚を深める大きい力が降りてくる。
人の力なんか何にもない。人の力は邪魔するだけのマイナスの働きだけ。真の神さまの働きだけで全部マイナスを消してプラスに置き換えてくる。
これでないと絶対不可能。自分が祈って護摩木を書くのと違う。神さまが自分を使ってくれる。神さまが全部してくれる。それでなかったら出来ない。
だから自分がこれだけ能力があるから護摩木を書けるのではない。反対。謙虚なほど、神さまが使える。命を投げ出すほど、神さまが喜んで使ってくれる。

だからこの命神さまの御用にお使いください、神さまのお手伝いをさせて下さい、恩返しをさせて下さい、この気持ち一つ。
これさえあったら、神さまは人の自由意志を尊重して、その人を使える。これが宇宙船護摩木の書き方。能力は要らない、全くの無力でいい。
ただ謙虚さがいる。100%神さまのお蔭っていうこの謙虚さがないとダメ。我があったら邪魔する。
邪魔しても神さまは我を消しながら助けてくれるけども、我がない方が、神さまは大きく力を奮える。

 
(平成27年3月21日のお話A)