真のありがとうございます 

 
 

生きているっていうことは、肉体の自分でもそうだけど、血液が流れている。全てが正しく循環している。
本当の自分の、一番の命の本源ってどこにあるか。真の神さまにある。真の神さまの一大循環の相象が根本にある。
絶対の中心から無限のスピードで、必要なものを的確に循環させてくださっている、これが一番の根本にある。
一大循環の流れの中に入っていたら、常に必要なものは与え続けてもらえる。それで無条件の幸せ、本当の幸せが湧き上がる。
本当の幸せっていうのは、本当に一番必要な、大事なものを与え続けてもらうこと。

本当の自分にとって何が一番大事で必要か。肉体の自分、魂の自分はまだ本当の自分ではない。本当の自分の小さい模型。
本当の自分は、永遠の完璧な実在でないと、納得できない。肉体は必ず死ぬ。儚い虚しい。これでは心は絶対安らがない。なぜか。
奥に、根本に永遠の自分がいるから。本当の幸せな自分が奥にちゃんと控えている。
その自分と比較した時に、儚い虚しいものでは、幸せになれない、感じない。だから本物を求める、目指す。
本当の自分に戻るまでは納得できない。

自由と平等という考えでもそう。本当の自由を知っているから、自由を求める。本当の平等が、根本がわかっているから、平等を求める。
この世の人にとっては自由と平等というのは理想のすがた。本当の自由とは何か、本当の平等とは何か、みんな探し求めている。でもまだ現実化していない。

本当の自由も本当の平等も、真の神さまをとらえないとダメ。命の本源、根源をしっかりとらえないとわからない。
元々が、一大循環の相象の中に自分を置いてもらっている。でも一大循環の相象というのは、新たに新たに受け直せる世界。
新たに新たに受け直さないと、その中に入っていられない。ある時ふっと循環の中から外れてしまう。
その原因は何か。過去をつかむこと。過去をつかむと、過去の残像の中にはまりこんでしまう。
その時には、新たな受け直しが出来ていない、忘れてしまっている。

太陽の光でも、新たに新たに降り注いでいる。でもちょっと他へ心を向けたら、太陽の光の降り注ぐすがたに目がいっていない、忘れてしまっている。
太陽があってもわからない。気付いてない。真の神さまの与えてくるものがそう。無限の無限の素晴らしいものを与え続けてもらっていても、
そこへ心を向けない限り、忘れて気付かないようになってしまう。常に真の神さまに心を向けないとダメ。
真の神さまの絶対の愛が、どういう風に自分を守り導き続けているかって、嫌と言うほど実感できないと、本当の幸せではない。
そのために真の神さまを思い続ける。心を向け続ける。感謝し続ける。恩返しに生き続ける。
真の神さまから離れないための方法は沢山ある。色んな方法が一杯ある。どれかを実行しないとダメ。

一番いいのは、絶対の愛である真の神さまは、みんなを幸せにするために本当に必要なものを与え続けようとしている。
その真似をすればいい。みんなを幸せにしようとして、本当に必要なものを与えようとするだけで、真の神さまとピタッと生き方があってくる。
そうすると神さまに愛されて、必要なものを順番に与えてもらっていることに気付きやすい。気付けばいい。与えてもらっていることに気付けば、幸せ。
そのために真似をする。神さまの真似をする。

法則っていうのは、誰一人例外なしに適応されるけど、まず言葉通りになるっていう法則がある。自分の自由意志を言葉で表現している。
言葉通りに全て成っていく。自分の必要な欲しいものを言葉で表現する。お茶が欲しかったら、お茶が欲しいって言う、誰かがお茶を入れてくれる。
喫茶店でコーヒーが飲みたいと思ったら、コーヒーって叫べばいい。サッと運んで来てくれる。全部言葉通りにしてくれる。これが法則。
でもプラスのいい言葉だけだったらいいけど、マイナスの言葉にも適応される。過去のマイナスのすがたでも言葉にしただけで、過去のマイナスを繰り返す。
同じことが出てくる。

地震、地震っていうと余震が続く。また大きい大地震に出会うかもしれない。運命的にそう。言葉で呼んでいるというところがある。
同じ呼ぶのだったら、真の神さまを呼び続けるのが一番幸せ。本当に必要なものを与え続けてくる。自分にとって一番必要なものは何か。
本心の自覚。真の神さまが自分の中に降りて来て、真の神さまが本当の自分というすがたで、本心の自覚として与え続けてもらえるのが、一番幸せ。
小さい魂や肉体の自分って、小さいものではなしに本当に大きい自分、永遠の自分、完璧な自分、こういう自分を与え続けてもらえたら、
無条件の幸せで一杯になる。条件を付けない幸せが本物。

健康だから幸せ、は小さい。お金があるから幸せ、これも小さい。色んな条件を付けたのは、小さい部分的な幸せ。
条件を付けない無条件の幸せが、全ての幸せ。自分一人のものではない、みんなの幸せも自分の幸せになる。
根本は、真の神さまの幸せが自分の幸せになって来る。一番大きい幸せをいつも与え続けてもらえる。
これが、無条件の幸せがいつも湧き上がる自分。そのために真の神さまと共に生きる。真の神さまと一つになって生きるのが幸せ一杯。
元から真の神さまが、バックアップしてくれている。与え続けて、応援し続けてくれている。それを忘れない生き方が、神さまと共に生きるという生き方。

そしたら神さまが願っていることを自分も願えばいい。神さまはみんなの幸せだけを願ってくれている。
それも本当の本心の自覚を与え続けようとしている。本心の自覚を与えるって、どうしたら与えられるのか。
本心の自覚というのは、過去の残像の思いの心ではない。真の神さまが今新たに降り注いで本心の自覚になる。
真の神さまが真の自分と受け直した時は、本心の自覚。新たな自分、新たな自分。一番幸せな自分がそう。
一番大きい新たな自分。それを与え続ける。与え続けてもらうためにも、自分が真似事で与え続ける。
これがありがとうございますって唱え続ける、与え続ける生き方。

ありがとうございますが感謝の言葉っていうのは、枝葉の小さい意味。真の神さまの名前、真の神さまそのものっていうのが、本当の意味。
ありがとうございますって、与え続ける祈り続ける、真の神さまを与え続けて本心の自覚を呼び覚ます。
みんな真の神さまなんだっていう、そういう意味の言葉。みんな無限の無限の幸せで一杯だ、色んな意味が一杯ある言葉。
その本当の大きいプラスの言葉を心で唱え続ける。それが法則通りにプラスになっていく運命。
本当の幸せって、自分一人でどれだけ幸せって言ったって小さい。本当に全体からみんなから支えてもらえる自分でないと、幸せって言えない。
いくら自分に能力があっても小さい。大自然の素晴らしいすがたから見たら、肉体人間のすがたなんてちっぽけ。
ましてや、本心の自分にとっては虚の世界の宇宙なんて、残像のすがただから、たいしたことはない。
本当の本心の自分にとっての幸せは、真の神さまの一大循環の相象。全体から、全方向から、本当に必要なものを与え続けてもらえる自分に、気付くこと。

真の神さまだけなんだ、真の降り注ぐプラスだけなんだ、本当に一大循環の愛の相象だけなんだって、嫌と言うほど感じないとダメ。
これだけが全てなんだっていうくらい感じ取れる自分に戻ること。ありがとうございます、ありがとうございますってその確認。
全体に大きく生かされている、みんなに支えてもらっている。みんなの幸せ、全体の幸せが、全部自分の幸せ。
自分一人だけが幸せなんてありえない。みんな不幸なのに、自分一人幸せって、そんなの幸せの内に入らない。
比較して優劣を決めて、自分がプラスになったから幸せなのではない。一人でも不幸な人がいたら心が痛む、苦しむ。
どうしたらこの人を幸せに出来るのかって悩む。やっぱりみんなが幸せでないと幸せに感じない。

みんなが幸せになるにはどうしたらいいか。真の神さまが一人一人の中に循環して降り立って下さらないと、幸せ一杯にはなっていない。
真の神さまを与え続ける、みんなが力を一つにして与え続ける、みんなに支え合ってもらって与え続けるというのがいい。
一人の人に対して、大勢の人が真の神さまを与え続けるお祈りをしてくれたら、必ずその人は幸せにしてもらえる。
自分も周りの人のために祈り続けたら、同じように周りの人が全部自分のために祈り続けてくれる。
本当の支え合いのすがたが、神さまの一大循環の相象の根本。支え合いのすがたが取れたら、神さまの世界に戻っていける。
元から支え合いのすがたが、神さまの一大循環の相象になっている。

小さい自分になると、大きい幸せからどんどん外れていく。幸せがない状態になっていく。
そうすると幸せでないから、求める心を強く起こす。求める心も欲の心もみんなそう。ないから、求める。幸せな人は絶対に求めない。
幸せな人は与えるだけ。余っているから与え続けるだけ。それでも与えるものでも、小さい自分をつかんだら限界が来る。
与え続けたら無くなってしまう。絶対与え続けてもなくならない生き方は、常に神さまがバックアップしてくれないと。
神さまがバックアップしてくれるのだったら永遠に、どれだけたくさん与え続けても、さらに大きくなって循環して出てくる。それが支え合う生き方。

自分の力だけでは、いくら神さまがバックアップしてくれても限界が来る。でもみんなを通して神さまが働いてくれたら、本当の支え合いのすがた。
みんなで一人を支えたら、大きいバックアップが出来る。そしたらどんな人でも幸せにしてもらえる、なっていく。
世の中にこんな悪い最低ない人はいないっていう位、不幸な人はいる。みんながその人のために祈り続ける、
本当に真の神さまを与えようとして祈り続けたら、その人の持っているマイナスはみんな消える。大きいプラスに置き換わる。

人の力なんて本当は何もない、無力。真の神さまの助けを受け損なったら、みんな無力、マイナスになっていく。
その人の責任って言ったら責任かもしれないけど、マイナスに落ちた人には、もうどうしようもない。まず自分のことを考えても同じだと思う。
マイナスに落ちた自分が、どうして自分の力で幸せになって行けるか。難しい。もし地獄に落ちたら、そこから這い上がれるかって考えたら難しい。
そしたら大勢の縁者が自分を幸せにするために祈り続け、助け続けてくれているはず。
今自分が幸せだったら、大勢に助け続けてもらっている結果。先に色んな形で助け続けてもらっている。そしたら恩返しって必要。

助け続けてもらったから恩返しに生きよう。恩返しに生きる人が、一番運命が開ける。幸せになっていける。
どんなに行き詰った運命になっても、恩返しに生きる人は道が開ける。全体から全てから、助け続けてもらえる。
自分の与えたものが与え返されるという法則からもそう。恩返しは報いを求めず、無償で自分の出来ることを一生懸命して、
周りの人を幸せにしようとする働き。何か求めるのは恩返しではない。助け続けてもらったから、恩返しでというのは、無償で与え続ける生き方。
その通りに必ず周りの人も無償で与え続けてくれる。大きく助け続けてくれるから、運命がガラッと開ける。いくら八方塞がりっていったって大丈夫。
全方向から門が開かれる。

 
(平成27年3月14日のお話@)