本当に真の神さまを選び続けるというのが、本当の意味で真の神さまを本当に愛していること。
忘れたら愛しているのでも何でもない。一瞬も忘れない生き方が大事。真の神さまだけを、本当の意味で思いつけるくらい思いつめたらいい。
ありがとうございます、ありがとうございますって。そしたら真の神さまと一体化する。
本当のお祈りは、肉体も、魂の感覚も全部なくさないとダメ。本当に無色透明の感覚になる。
真の神さまだけを、しっかりと思いつめるくらい思いつめないとダメ。
キリスト教のイエスさんの教えがある。一番大事なのは、神さまを愛すること、次に隣人を愛すること。
神さまを愛するとはどういうことか。汝心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、主なる汝の神を愛せよ。
全部すべてを尽くして、自分の全てをそこへ捧げ尽くして、神さまを愛する。ありがとうございますって神さまを呼ばないと、神さまをしっかりと認めないとダメ。
心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、全てを尽くし、そこまで本当にしているかと問われたら、
本当にしているって言える人はまだ少ないかもしれない。それを徹底して本当のものにしないと、神さまを愛しているとは言えない。
他にちょっとでも心を向けたら別の言葉を使ってしまう。選んでしまう。そしたら神さまを忘れたことと同じ。
本当に大事なのは真の神さまだけなのに、一瞬でも忘れたらダメなのに。
本当にありがとうございますって選び続けられたら 全てが真の神さまそのものに置き換わる。
世界全体が、宇宙全体が、全てが真の神さまそのものになる。もし真の神さまと感じられなかったら、言葉通りにつまらない言葉を選んでいる。
どうしたら徹底して真の神さまだけを言葉として選び続けられるか。色んな工夫が大事。どうしたら祈り続けられるか。
ありとあらゆる工夫を凝らして、実行していかないと。
もう、寝ても覚めてもありがとうございます、寝言でもありがとうございます、絶えずありがとうございますって湧くように唱えていないと。
本当のアホに成り切れていないと、出来ない。賢いと他の言葉を使いやすい。本当にアホに成り切るって必要なの。
法然さんが南無阿弥陀仏を選んだように。日本一の碩学、大学者。それが全部捨てて、南無阿弥陀仏、一言だけに絞り込んで、それだけを唱え続けた。
選び続けた。凄いこと。法然さんにとっては、阿弥陀様だけが、ただ一つの大切な大事なものだった。それ以外何もいらない。
だから南無阿弥陀仏を一日5〜6万回を唱え続けていた。
そしたらみんなにとって何が必要で大事か。阿弥陀様よりもっと上の真の神さまがいい。
ありがとうございますを選び続けて、真の神さまだけを選び続けられたら、本当の本心の自分に戻れる。
本当の意味で支え合いが大事なのは、自分がみんなに代わってありがとうございますを唱え続ける。
これはみんなを支える働き。自分が出来ない時は、みんなが自分を支えてくれる。みんなが自分に代わって祈り続けてくれる。
そうすると真の神さまを選び続ける自分に、必ず成ってくる。そしたら常に本心の自覚が湧き上がる、無条件の幸せがいつも湧き上がる自分に変わってくる。
みんなを支える祈りを、自分の方からまず実行していくこと。それが宇宙船護摩木を書くこと。みんなの代わりに祈って書く。
それを神さまの前に提出する、神さまに捧げる。神さまの万倍以上の大きい力を添えてもらう。
みんなを支える祈りも、神さまがバックアップしたら本物になる。それでみんなから全体から真の神さまから、大きく支えて祈ってもらえる自分に変わってくる。
自分の祈りで悟ろうというのは難しい。みんなの、全体の大きいバックアップで本当は悟る。みんなの本当の助けを大きく受けられる自分が必要、大事。
だから自分から、周りの人を支えようとする。中から真の神さまを与え続けて、本心の自覚を与え続けて、支える。
この真祈りが、一番本当の生き方。だから真祈りの祈りを実行するとなっても、ただ祈りなさいと言ったら、忘れる、実行しない。
1時間祈って護摩木を書きなさいと言われたら祈りやすい、実行しやすい。形に出しておくと、確認できる。
自分はこの1時間みんなの代わりに祈れた。神さまのバックアップで、大きい万倍以上の力をもらって、誰かを幸せにするために祈ったことになる。
この積み重ねって大きい。一枚宇宙船護摩木を書くことは大きい徳積。お金なんかで換えられない、無限の価値のある徳積み。
思いの心は、つまらないものを求めている。お金があったら、物があったら、何か幸せになっているように錯覚するけど、
お金や物や人に頼って、幸せなんかどこにもない。本物ではない。本当の幸せは、永遠の完璧な真の神さまの方から降り注ぐものを感じ取らないと、
受け取らないとダメ。儚い、空しいものではダメ。お金や物はすぐに消えてしまう、人に頼ってもすぐに消えてしまう。
消えていくものに安らぎなんかどこにも無い。真の神さまを本当に感じ取れたら、本物。永遠の幸せ。
絶対言葉通りになるっていう法則からしても、真の神さまを言葉にして選び続けないと出来ないこと。
何が何でも、ありがとうございますって祈り続けること。
そしたらどれだけ悪い運命でもよくなる。どんなマイナスも問題も消える。もし問題が消えなかったら、本気で祈っていない。
まだ祈りが浅い、足りない。真の神さまが出て来て力を添えてくれるまで祈らないと。真剣に祈り続けたら必ず出て来てくれる。
呼んでくれるのを待っている。真剣に呼ぶのを待っている、真剣に選んでくれるのを待っているだけ。
神さまがお節介で無理やり出てこられないのは、人の自由意志を尊重しているだけ。
マイナスを選んでいる人に、真の神さまが出てきたら、その人の邪魔をする。本当に真のプラスを選んでいるかどうか確かめてしか、出て来られない。
だからもう真剣にありがとうございますって 選んで唱え続けたら、神さまは喜んで飛び出せる。さっと出て来てくれる。
だから真の神さまがいつも喜び勇んで飛び出してくるようにならないと。呼んであげないとだめ。
ありがとうございます、ありがとうございますって呼び続けないと。朝目が覚めたらすぐ呼ばないと。目が覚めた時に一番に呼ばないとダメ。
人間の親でも、子供がお母さんと呼んだらサッと飛んでくる。神さまは飛んでくるどころではない、身近にいる、離れていない。
ありがとうございますって呼んだら即、必要なことをちゃんと与えてくれる。常に完璧に守り続けている。だから自分が呼ぶかどうかだけ。
呼んだから来るのではない。呼ぶ前に来ている。欲しいって願わないでも、必要なものを与え続けてきている。自分がそれを受け取らないだけ。
ありがとうございますって唱えたら、自分が受け取れる。選んだら、受け取れる。
喫茶店でコーヒーを飲みたかったら、コーヒーって言わないとダメ。ジュースって言ったら、ジュースしか来ない。言葉が違ったらダメ。
絶対コーヒーを飲みたかったら、コーヒーって叫ばないと。一回でダメだったら2回3回と叫び続けたら必ずサッと来る。
真の神さまが呼び続けてこないことは、絶対にありえない。必ず呼び続けたら身近にサッと来て必要なものを与え続けてくれる。
あれが欲しい、これが欲しいって言わなくていい。神さまは、もう必要なものを、最高の本当に必要なものだけを与え続けてくれる。全てが良くなる。
一番幸せな状態というのは、物が一杯あるのが幸せなのではない。何もないところに、必要なものがサッと一つ出てくるのが幸せ。
思いの心は、たくさんあったら幸せだと錯覚している。反対。何もないのが一番幸せ。そして、必要なものがサッと出てきたらいい。
余計なものが一杯あったら、やっぱり違う。本当に必要なものをサッと手に取れない。邪魔をされる。だから、本当は幸せではなくなってしまう。
もう常に、何もない状態で一番必要なものがサッと出てくるのが一番幸せ。だから、過去をつかむ必要がない。
過去にしがみついて、溜めておくことは要らない。常に新たに、必要なものがさっと降り注ぐ。そしたら、自分自身も同じ。
過去の自分をつかむ必要はない。過去の自分をつかんでおかないと、幸せになれないなんて思ったらおかしい。
過去の自分も放してしまった方が、新しい自分の方が幸せになる。
新たな自分って、これが本当の一番新しい、新たな自分が本心の大きい自分。
本心の自分に戻りたい人は、常に新たな自分、新たな自分って受け直したら、大きい本心に戻っていける。
でも、過去をちょっとでもつかんだら小さい自分になっていく。小さくつかめばつかむほど、小さいものが自分や自分のものになっていくから。
何もつかまなかったら、大きいものが自分、全体が自分。
(平成27年3月7日のお話A)
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