真のありがとうございます 

 
 

 どれだけ真の神さまの必要性を感じ取っていくか。神さまの御心を問い返さないとわからないから。
これも一瞬一瞬、今何が必要ですかって問いかけないとダメ。そうしないと受け取れない。自分の必要なものっていうのだったら惰性に流れてしまう。
今の自分に必要なものは、神さまの必要なものとは全然違う。遠く離れていく。ましてや、思いの心、我の心だったら、無限に遠く離れてしまう。
つまらないものになっていく。肉体の自分に必要なもの、我の自分に必要なものって、つまらないもの。必要なものですらそう。
我の自分の欲しいもの、したいもの、全部大きいマイナス。自分のしたい事なんかしていても、欲しいものを手に入れてもダメ。
必要なものから、遠く離れてしまう。遠ざかる一方になる。 

それでお祈りが大事。真の神さまを常に呼び続けて真の神さまをしっかりと捉えないと。一瞬一瞬、真の神さまに問い返す。
ありがとうございますに全部含まれる。神さまを呼ぶことも、神さまの御心を問い返すことも、神さまのお手伝いをすることも、
神さまを与え続ける大きい働きもある。ありがとうございますを一言を唱える中に、全部ある。
本当の必要性を感じるために、ありがとうございますを祈り続けるしかない。それを忘れたら必要性から外れていく。

だから言葉で信念を作って、その信念を投影して虚の世界を生み出すって言っても、言葉が一番大事。一番最初に言葉。
これが一番のひな形、要になるもの。それがありがとうございます、真の神さまだったら、最高のひな形になる。
だからありがとうございますを祈り続けると、本当のひな形がそこに出来上がる。それが投影されたら、プラスだけの世界になって来る。

だから言葉選び、一瞬一瞬の言葉選びって大事。神さまの御心を問い返す気持がなかったら、ありがとうございますを唱え続けることは出来ない。
他の言葉を選んでしまう。現実がどうだこうだって言ってマイナスの言葉を使いやすい。これは神さまを無視している。
神さまの御心を問い返そうなんて思っていないから。本当に現実を言葉にしていても必要性はなにもない。
過去の残像を言葉にしたって、何の役にも立たない。現実がどうだこうだって言ったって、全然必要性がない。
プラスに変える力も何もない。マイナスの言葉だったらマイナスを繰り返すだけ。まず要がなくなる。要が無くなったら全部崩壊する。みんな壊れて消えてしまう。

扇の要も同じだけど、絶対、要をしっかり握らないとダメ。要のない生き方ではダメ。自分にとっての要は何か。
一番大事な必要なものは何か。一つしかない。神さまにこの命を使ってもらうこと。神さまのお手伝いに生きることだけ。
そしたら神さまと一体。常に神さまと一緒。絶対に神さまから離れることはない。神さまと一緒だったら、いつも本心が大きく無限に輝く。
最高の幸せがいつも湧き上がる。神さまから離れたら、どんどん思いの心、我の心になる。七難八苦の状態に必ずなっていく。
光の循環ではなく、虚の世界は業想念のマイナスへの逆流。渦巻く濁流は、何処へ行くか。地獄へまっしぐらに滝つぼに落ちる。
流れにそのまま乗ったら、底なしの滝壺に叩きこまれる。逆流ではダメ。思いの惰性に流れたらみんなそうなる。逆にならないと。
滝壺へ落ちそうになったら、空中に浮かばないとダメ。空中に自由に浮かぶだけの自分にならないと。惰性に流れたらダメ。
常に新たに新たに、天から舞い降りるような自分。この自分は空中を自由に飛び回れる。

だから、本当に幸せになりたい人もそう。必要なのは何か?幸せになるために必要なものは何か。
本当の必要なものを手に入れたら幸せになれる。本物でないとダメ。お金があったら幸せになれると思う人は、お金を手に入れようとする。
でも、お金では幸せになれない。偽物。実際にお金を沢山持った人がみんな幸せになれるか?なってない。
お金があっても幸せになれない。幸せな人は、お金があってもなくても幸せ。お金で手に入る幸せは、偽物。小さいもの。全部崩れる。

他の条件もみんな同じ。どんな条件を付けて、これさえあったら幸せと言ったって、みんな崩れる。条件付きの幸せなんて全部崩れる。
健康だから幸せと言ったってダメ。健康で幸せな人は僅か。健康でも幸せでない人は、一杯いる。
もう生きているのが嫌と言う人は、一杯いる。健康だから幸せになるのではない。幸せな人は、病気でも幸せ。そういうのは、関係ない。
色んな条件を付けて本当の幸せが手に入るかって、全部崩れる。だから、本物は、無条件の幸せという。

一切全てに関わりなく、常に幸せというのが、本当の幸せ。これは、真の神さまと一体の自分。本心の自分に戻ったら幸せ。
本心の自分は、常に幸せ。無条件の幸せが常に湧き上がる幸せ。常に、本心の自分であり続けることが、本当に必要なこと。
本心の自分をしっかり生き続けることが、幸せに必要なこと。でも、本心の自分を生きるのを忘れたら、我の思いの自分になってしまう。
そしたら、幸せからどんどん遠ざかってしまう。

本当に幸せが必要という人は、本心の自分を生き続ける以外、方法は無い。そしたら、本心の自分を生き続けるために何が必要かって。
16項目が必要。第1番目に出てくる、真のプラスの言葉を駆使する自分。これが1番大事。
真の言葉、真のプラスの言葉をしっかり使いこなさないと本心の自分を生きていることにはならない。
本心の自分をしっかりと生きる、これが必要。幸せになるために。幸せであり続けるために。

だから、祈り続けるしかない。それも浅い祈りではダメ。本当の祈り、真祈りを祈り続けるしかない。
そしたら、どうしたら祈り続けられるか?これも必要性を持たないと祈り続けない。「祈ったらいいよ」と言っても、なかなか祈り続けない。
そしたら、護摩木でも書いて、相乗効果を起こしましょうって、護摩木を書くように祈って下さいって、これも何カ月に一回だったらあまり祈らない。
そしたら、毎月1回護摩木を書いて護摩焚きしましょうって、これも一枚だったら祈らない。密度濃く祈るために、宇宙船護摩木が必要になった。
一時間祈って書く、それも大きく、真の神さまに使ってもらう書き方がいる。やっぱり、真の神さまと約束したら、約束を守ろうとする。
そうすると、大きい助けを受ける。本心の自分から外れることが無くなってくる。祈り続ける幸せが湧き上がる。
だから、祈りを忘れずに済むようになる。本当の真のプラスの言葉を駆使できる自分に変わる。これが一番の狙い。

神さまも必要性を追いかける。みんなに真祈りを祈らせるために何が必要かって。真祈りを伝授するために1番必要なものは何かって。
本当に必要なものをずーっと追いかけて、与え続けてくる。みんな同じことをしてもらっても飽きてくるから、飽きたらもうしなくなるから。
祈りも同じ。変化を持たせながら、必要性を与え続ける。

だから、神さまの御心を汲み取る、これが1番幸せに必要なこと。本心の自分として生きるために1番必要なこと。
だから、神さまが何を必要として与えて来てくれているか、これを汲み取らないと。汲み取ろうとしたら、本心になる。
無視したら、我の自分になっていく。一瞬一瞬、神さまの御心を問い返すというのも必要。大きく問い返していく。

日常生活の全てを本心開発のための、本当の勉強材料として神さまは与えてくる。その時に、自分が本当に必要なものをとらえようとしたら、
その中から最高のものを選べる。本当に必要なものを選ぼうとしないと、最高のものは選び取れない。何が本当に必要かって考えたらわかる。
一瞬一瞬変化している。一回これが必要、大事って選んだのがずっと続いたらいいのではない。それは、惰性に流れてしまっている。
必ず飽きてくると、惰性に流れて忘れてしまう。常に、新たに新たに、一瞬一瞬というのが大事。新しい新鮮な方がいい。
新しい新鮮なものは、いつも感動を持って受けられる。惰性に流れたら、感動が失われていく。喜びが無くなっていく。
だから、神さまの与え方が違うのはそこ。新たに新たにというのがそう。1回与えてそのままというのは、ない。
常に、新たに新たに変化させてくるのはそこ。

神さまの御心を汲み取ろうとするとわかるはず。無限に変化させてくる。同じものは与えてこない。無限に変化させて、与えてくる。
一瞬一瞬与えてくる与え方が、小さく見ても大きく変化している。全体を見たら、無限に無限に大きく変化している。
虚の世界の変化ですらそう。真実の世界の変化はもっとすごい。その変化をとらえていくのが、神さまの御心をしっかりととらえる生き方。
儚いとか虚しいという変化ではない。楽天的な楽観的な、本当に二度と同じことを繰り返さないという無常。本当の無常。そうでないとダメ。
一瞬一瞬大きな変化が繰り返されてないと。この変化を見出していくのが大事。同じというのは間違い。
一瞬一瞬新しい変化が、新しい素晴らしいものが与えられているという、これに気付いたら、過去を放せる。
より素晴らしいものが降り注いでくる。そしたら、過去を放すしかない。新しいものが来ないとなったら、古いものをつかむ。

だから、新しい変化が最高なんだということがわかったら、過去を絶対つかまなくなる。変化を本当の意味で喜ばないと。
この世でも同じものと見たらダメ。周りの人を見るのでも、別人と見るくらいでないと、喜べない。
一人の人を見て、同じ人と見ていたら間違う。一瞬一瞬、変化しているくらいに見るのが大事なんだけど、何十年同じと見ている。
これも大きい間違い。そういう見方は、我の思いの心の奴隷になってしまう。
常に、真の神さまの一瞬一瞬の変化と見ていたら、全体が真の神さまの大きい変化に見える。
だから、変化をしっかりとらえて、それを必要だと、とらえること。新しい変化が必要と、とらえるといい。

 
(平成27年2月14日のお話B)