真のありがとうございます 

 
 

 神さまに対する決意表明を、いつするか。この心定めさえ出来たら、神さまは誰でも使ってくれる。
この心定めをする人を今登録し始めた。助けてほしい人ではない。真の神さまのお手伝いをしたい人。
能力は関係ない。自分が背負っているものが何であろうと関係ない。無関係。神さまが全ての力を発揮する。
自分の自由意志を持って定めてくれたらいいだけ。そしたら、我のない自分になる。
真の神さまが自分を使ってくれたら、虚の世界の高級神霊が自分の中を降りるだけでも、本当は一瞬にして変貌する。
守護霊さん・守護神さんがスッと入ったら、自分の人格が守護霊さん・守護神さんそのものに変わる。瞬間にサッと変わる。
病気でもサッと治るし、守護神さんがスッと降りたら、怪我でもサッと消える。でも真の神さまが降り立ってくれたら、そんな程度ではない。
真の神さまが降り立ってくれる。一大奇蹟が起こる。まず本心の自覚が大きく深くなる。虚の世界の宇宙が自分というような、小さいものと違う。もっと大きい自覚。

この違いが、だんだん分かってきたら、本心の自分。その本心の自分は、誰が与えてくれているか。
わからなかったら、まだ神さまに使ってもらっていない。理解できるんだったら、もう既に神さまが自分を使ってくれている人。
わかったら神さまに命を捧げて神さまのお手伝いをしようとしている人。既に神さまに護られている人。これは本心の自分でないとわからない。

後はお任せ、100%の全託。自分の力で何ていったら笑われる。自分には何もできない。
まず肉体が自分の道具って思っても、自分の道具を自分で作ったのと違う。細胞一個、置き換え出来ない。
毎日6000億の細胞が分裂して、どんどん新しいのと古いのとを置き返してくれている。6000億の細胞を、自分が置き換えしていない。
1個も出来ていないのに、自分がしているなんて言えない。自分が、何か動かせているか。心臓を自分が動かせているか、動かしていない。
呼吸も自分でしていない。寝ている時、呼吸が止まっているか、止まっていない。そしたら
指一本動かすのも、神さまが動かさないと動かない。
神さまがしていることを、自分がしているなんて大間違い。虚の世界の残像のすがたでもそう。
真の神さまの残像の光でも、来ているからプラスになっている。そしたら自分に出来ることは何もない。自分がしていないのにしているなんて言う方が、嘘つき、バカ。

だから徹底して、自分を、我を消さないと。してないことを自分がしてるなんて言う我の自分は嘘つき。
本心の自分は、全て神さまがしてくれているってわかる。100%神さまが全部してくれているってわかる。
だからありがとうございますになる。すべて真の神さまって。これがずーっと徹底すればいい。そしたら真の神さまが自分の中に降り立つ。
真の神さまが真の自分っていう、本心の自覚になって出てくる。そしたら、自分の他にあるのは、真の神さまだけ。
自分が我の自分になったら、周りに我の自分と似たようなのが一杯他として出てくる。これは自分の我が映っているだけ。
鏡に映すように映っているだけ。我の自分が、周りの環境、鏡という環境に全部映る。もし自分が我のない自分になったら、どこにも我のすがたは無い。
真の神さまだけ。徹底して真の神さまだけになって来る。

だから、最終の目標は何?真の神さまと一体化して、本当の一つになること。真の神さまの爪の垢と一つになるのと違う。
真の神さまの全体と一つになること。そしたら絶対の中心に立てる自分。全てに大きく、真の神さまを与え続ける自分。
一番本心の自覚の大きい深い自分。思い通りになるのと違う。虚の世界の思い通りになって幸せなんて言うのと全然違う。
本心の自覚はそんなつまらないものと違う。これをいつ自分が最終目標として選ぶか。

目的・目標が違ったら、進むところが違う。世の中の人は大抵迷っているというけど、目的・目標がない。ある意味そう。迷っている。
目的が、目標が、一つに定まったら迷わない。本心の自分に戻るんだって定まったら、本心に戻ってしまう。
本心の自覚を無限に大きくするんだって、必ず大きくなる。言葉通りに絶対の中心に戻る。そこから与え続ける自分に変わる。全部言葉通り。
どういう言葉を選んで使っているかによって、必ず言葉通りになる。
どれだけ真のプラスの言葉を駆使する、しっかり使い続けているか、この結果を見せてくれているだけ。

もし、周りにマイナスがあったら、我のすがたがあったら、自分がマイナスの言葉を使い続けている。今現に。
プラスだけだったらプラスのすがたが周りに出ているはず。真のプラスの言葉を本当に使い続けていたら神さまの世界になっているはず。
それしか感じない自分になっていないと嘘。真の神さまだけって、徹底して断定して感じるようになったら本物。そこまで行かないとダメ。
真祈りの伝授って言うのは、そこまで神さまが行かせようとしている。本当の本心の自覚に戻そうとして、神さまが命がけで躍起になっている。
みんなの方が定めてくれてない。気持ちをまだ定めていない。どっちに行こうかって迷っている。本当に真の神さまを信じ切って全託して、
真の神様に心を向けたらいいだけなのに、一番の目指すところは真の神さまだけのはずなのにそこへ向かわずに背を向ける、他にいいものがあるかなって探している。

宇宙船護摩木を本当に書き始めたのは、今で300人くらい。もっともっと出てくると思うけど、本当に登録して真剣に書き始めたら、
みんな本心の自覚がどんどん大きく深くなる。書かせてもらっている内に、神さまがどんどん降りてくる。本心の自覚が本物になってくる。
周りの人のために、本心の自分として、その人の中に入って祈るようになったら、祈ってもらう他の人が、本心の自覚になって祈り始める。
真祈りを祈る人が、どんどん殖えるはず。

外から強制的に祈っているのと違う。反対。中からだから、強制力ではない。自然に祈るように変わる。
外から祈りなさいって言われて祈るのでもない。強制されて祈るのではない。お節介で祈らされるのでもない。
中から神さまが出てきて祈ってくれるというのは、自然に自分が変化してきて、自然に祈る。誰からも自由を束縛されない。
自分の自由意志で選んで祈るように変わる。これでないと本当の幸せな祈り方は出来ない。ここが単なる祈りと真祈りの違い。
真祈りは、人の自由意志を絶対縛らない。祈りはまだ人の自由意志を縛っている。強制的に押し付けている。


(平成27年2月7日のお話A)