真のありがとうございます 

 
 

 宇宙船護摩木を書く上で一番大事なところは、自分の命をまず神さまに捧げなければならない。
この命、神さまの御用にお使いください、神さまのお手伝いをさせて下さいって。
自分の気持ちを定めて、神さまのお手伝いを命懸けでやりますっていう感じで、神さまと約束をする。
そこに本当の自分の自由意志がある。真の神さまは、この自由意志を尊重して使ってくれる。
だから今回、護摩木登録制って、宇宙船護摩木の登録を、もう一回してもらおうと思って、手紙が行っているんだけど、
この宇宙船護摩木を書くのは、神さまが+αを何万倍も加えて書かせてくれる。神さまが、本心の自分を使ってくれる。
その時に宇宙船護摩木が、本当の力を発揮するように出てくる。

人が思いの心で何を祈ったって、神さまが使ってくれなかったらゼロ。いくら形を真似してもゼロ。
書く時の気持ち、目的、何のために書くか、そして誰が書くか。宇宙船護摩木を書くのは、真の神さまが降りて来て、本心の自分となって、
本心の自分が祈って書く。本心の自分になって祈れるかどうかは、この命を捧げますってまず誓わないと。
神さまのお手伝いをさせていただきます、これが一番最初に必要。それでもう一回、改めて登録しなおそうとしている。
目的を定めた時に、しっかりした自分になる。自分の自由意志で定めた時に、本心が出てくる。そしたら、祈り方がガラッと変わる。
普通の祈りは、大抵肉体の自分として祈っている。みんなのために祈るって言っても、肉体の自分の立場から光を送ろうとしている。これは真祈りではない。

どこが違うか。真の神さまに使ってもらって祈る時は、真の神さまが真の自分って降り立つ。
それが本当の自由自在な本心の心になる。自由自在な本心の自分は、どんな風に祈るか。
誰かの為に祈る、その時に、肉体の立場から光を送る祈り方ではない。真の神さまが自分の中を通り抜けるように、自分がその人の中を通り抜ける。
自由自在な本心の意識は、どこにでも立てる。だから本心の自分は、祈ってあげた人の中に入る。その中で祈る。
だから代わりに祈って、代わりに書いている。そしたらその人は、本心の自分として輝く。ちょうど真の神さまが自分の中に入ってきたら、
本心の自分と輝くように、他の人も同じ。その中へ入って、真の神さまを与え続けるお祈りをしてもらったら、その人の本心が輝き出てくる。本心として生まれ変わる。

真祈りを祈る目的は、虚の世界のマイナスを消すためではない。真祈りの目的は、本心の自覚を与えること、本心の自覚を深く大きくすること。
これは虚の世界でも本心の世界でも、一貫して共通している。一番奥の絶対の中心から、真祈りを祈って、本心の全ての全てに与え続ける。
真の神さまを与え続ける目的は何か。本心の自覚を無限に大きく深くし続けること。本心の自覚が大きく深くなるほど幸せが大きい。
これが真祈りの目的。病気の人を治すとか、そんな小さいちっぽけなことではない。本心の自覚を与えること、本心の自覚を大きく深くすること。
そうしたらすべての問題が元から消えてない。無条件の幸せが湧くように流れるだけ。元々の幸せな自分に戻っているすがたに気付くだけ。
これは真の神さまを与え続けるという真祈りでないと、本心の自覚を与えることが出来ない。

虚の世界はいくら与えても与えても、一番高いところからいくら与えても、虚の高い神仏がいくら与えても、外からの与え方。
太陽が大きい光を与える、それは外から与えている。それはそれでプラス。でも、外から与えてもらっているだけ。それを自分が受けて喜んでいるだけ。
自分に与える力が備わったのではない。真祈りは反対。真の神さまが自分の中に降り立つ。自分を通り抜けたら、自分が真の神さまを与え続けること。
最高の光を与え続けている。自分が与え続けている。ここが祈りと真祈りの違い。虚の世界の祈りと本当の本心の自分の祈りとの違い。

だから宇宙船護摩木を書かせてもらうのは、真の神さまが本心を使ってくれるだけ。神さまに使ってもらう、
そうすると真の神さまが、新たに新たに、絶対の中心から降り立ってくる。本心の自分として自分の中を通り抜けてくれる。これが真祈りになる。
そして全ての人の全てに対して、必要なものを的確に与え尽す働きになって出てくる。その一番必要なのが、本心の自覚。
思いの自覚ではみんな苦しんでいる。思いの集積でみんな、七難八苦で一杯になって苦しんでいる。本心の自覚を与えたら、思いが消える、我が自然に消える。
本心が出ていないから、我がある。思いの心が残っている。本心の光が出たら、闇の心が全部消える。
光が現れたら闇が消えるのと同じ。本心が出てきたら我が消える。我が残っているのは、まだ本心がそこに出ていないだけ。
外から与える祈りでは、本心は与えられない。一人ひとりの中を通り抜けないとダメ。中を通り抜けたら、本心の自覚になって出てくる。

いくら祈りなさい、祈りなさいって言ってもらって祈っても、我の自分、思いの自分の祈りだったらまだ足りない。本心にならないから。
それで、本心の祈りに変わるように、神さまの方が、あの手この手を一杯使ってきている。今回宇宙船護摩木っていう形で、神さまが使ってくれている。
本心の自覚を、神さまの方から与えようとしているだけ。神さまがその人を使うことで、本心の自覚を大きく与えようとしている。本心の自分に戻して祈らせようとしている。

それでないと、真祈りにまでなかなか到達しにくい。どうしても自分が何時間祈ったって考えてしまう。自分が祈ったように思う。そうではない。
1時間、神さまが祈り続けてくれる。自分が命がけで1時間祈ったって、大した祈りではない。虚の自分の祈りだったら、念力。光の祈りではない。
でも、神さまはそれの万倍以上の、本当の光をそこに注いでくれる。1時間の祈りを1時間の真祈りに変えてくれる。自分の祈りがどうのこうのはない。
神さまが自分を使って祈ったら、真祈り。1時間の真祈りに変わる。ここが違うところ。

自分の祈り方がどうのこうのは違う。自分の心の定め方。本当にこの命、神さまの御用にお使いくださいと定めること。
神さまのお手伝いをさせて下さいと、決めたらいいこと。後は、神さまが使ってくれる。この決意が無かったら神さまが使えない。
人の自由意志を無視できないから。大事なのはここだけ。心定め。

これを神さまに約束する。誓う。登録できる。そしたら神さまが使える。だから自分の自由意志で決めてほしい。真の神さまのお手伝いに生きますって。
そしたら自分がどれだけ大きいマイナスを背負っていても大丈夫。自分がプラスになったからできるのとは違う。無限のマイナスを背負っていても、関係ない。
神さまが使う時は、全部プラスに一瞬で置き換える。どんなマイナスも一瞬で消せる。
だから今地獄に落ちている、無限のマイナスで一杯、どうしようもないくらい苦しい、無限の借金を抱えてどうしようもない、っていっても、
でも自分が本当に神さまのお手伝いをしたい、この命を捧げますって言ったら、地獄に落ちている人でも、神さまが使ってくれる。
一瞬にして変わる。本心の自分がサッと輝く。地獄が一瞬に消える。極楽世界に一瞬で変貌するだけではない、本心の世界に変わる。


(平成27年2月7日のお話@)