真のありがとうございます 

 
 

 もし自分が、我の自分だったら、周りが自分と同じように、我のすがたに見える。自分の他に他人が一杯いる。
真の神さまではなく、自分の他には他人が一杯ってなる。もう一つ自分がマイナスの自分だったら、周りがマイナスのすがたばっかりになる。
これは言葉通りになっている。まず言葉通りの自分になる。真のプラスの言葉を本当に使い続けたら、本心の自分に戻る。
単なるプラスだったら、虚の世界のプラスの自分。我の自分。マイナスの言葉を沢山使ったら、マイナスの自分になってしまう。
言葉通りの自分に必ずなってしまう。

自分に波の合うすがたが周りに必ず現れる。波長の合うものが周りに出てくる。本当は、あの世もそうだけど、この世はあの世の縮図として、
本当は自分とそっくりさんが周りに現れるのが本当。ただこの世はあの世の縮図としてあって、全体が見えるから、いろいろあるように見える。
でも自分の波だけで見たら自分の波に合うものしか寄らない。自分がマイナスだったら、マイナスだけ寄って来る。
プラスだったら、プラスだけ寄って来る。波の合うものが集まるようになっている。言葉をしっかりと真のプラスの言葉に変えていかないと。

護摩木を書くのが、その一番のいい方法。護摩木に書く言葉は、全部真の神さまを言葉にしている。
それを繰り返し繰り返し、徹底して、真の神さまだけを言葉にする。そうしたら、必ず本心の自分に戻る
しかない。
真の神さまだけを感じる自分になる。本当の真のプラスだけを感じる自分に必ずなってしまう。必要なものを必ず的確に与えてもらえるという、
一大循環の相象が必ず循環してくる。本当に必要でないものは全部消える。必要なだけが、新たに新たに自分の目の前に出てくる。絶対溜まらない。
必要でない要らないものが溜まることは絶対ない。全部循環して消えていく。新しいいいものだけが、必要なだけが出てくるようになる。これもやっぱり言葉通り。

本当に護摩木を書き続けたら、一大循環の世界が目の前にスッと出てくる。まず自分が護摩木を一生懸命書くこと。
まず自分の周りがその通りに神さまの一大循環の相象に変わる。同時に大きい自分にとっては、縁者って言うけど、全部自分の分身。
自分の全身の一個の細胞が悟ったからって、喜んでも小さい。全身の細胞が、正しい循環にならないとダメ。
頭だけ循環して、足の先が循環しなかったら、さっきの糖尿病と同じ。全身の細胞全部が循環するようになるのが、縁者の救いの働き。
本心の自分から見たら、全部自分。後は真の神さまだけとならないとダメ。その全てをすくいとってもらったら、真の神さまだけになる。
色んな我があったらまだ全部が救われていない。我の自分を全部すくいとらないとダメ。
その救う方法は、真の神さまを与え続けて、加え続けて、真の神さまだけに置き換えてしまう。そのやり方。

信仰の極致は、真の神さまだけという立場に立つこと。一切他を認めてはダメ。自分の他には真の神さまだけ。
そして自分をも消してしまわないとダメ。真の神さまの循環だけを実感するようになったら、真の神さまが真の自分、本当の自分。
これを目指している。そこに戻らないと本当の幸せではない
から。そうなったら常に絶対の中心に立つ自分。
本心の全ての全てに対して、真の神さまを一番大きく与え続けられる自分。
小さくではない。一番大きく与え続ける自分に変わる。
そしたら全体からも同じように与え続けてもらえる自分。

与え続ける自分は、与え続けてもらう自分、それも無限倍、更に無限の無限倍与え続けてもらえる。ここがすごいところ。
支え合いの極地。支え合いというのは、常に全てを無限倍にして返してくれる。まず自分が下から支えようとしたら、更に下から無限倍の力で支えてもらえる。
入れ子構造の仕組みがそう。必ず無限の無限倍大きい助けが来る。これは、本心でないと気付かない。なかなか理解出来ない、わからない。
本心だったら信じられる。理解も進む。だから本心を絶対に忘れてはダメ。

どうしたら本心に戻れるか、戻る方法は一杯ある。どうしたら今度は本心の自分を忘れずに済むか。これもいろいろ一杯方法がある。
常に本心を生きる、実行をすること。一番の実行のすがた、宇宙船護摩木を書き続けること。一番楽な方法。
お手本というのは、一応一つの型を見せてくれる。本当は自由自在にお手本を元にして書かないと偽物。なんでもそう。
真似したのでは偽物。こう書きなさいとお手本を示してはくれても、真似するだけでは偽物。自由自在にならないとダメ。型にはまったらダメ。
一人ひとりの書き方は変わってもいい。同じように書きなさいはない。名前は後から書いても、先に書いても、そんなことはどっちでもいいというのは、そういう意味。
ありがとうございますの言葉を裏にどれだけ書くか、これも自由。場合によってはありがとうございますは一つだけでもいい。
100書いてもいい、自由自在。忙しい時、祈り続けて仕事をして忙しい時、100も書いていたら時間がない。その時は「あ」だけでもいい。
あ、だけ書いて、その後家に帰ってから黄色でありがとうございますと書けばいい。ここらへんも自由自在でないとダメ。

1時間神さまのお手伝いのために一生懸命祈った、その結果宇宙船護摩木が誕生する。そこに+α真の神さまの万倍以上の力が加わる。
宇宙船護摩木を完成させてくれる。普段仕事をしながら書ける。本当に祈り続けて仕事さえしていたら、働く時間が全部祈りの時間になるはず。
台所仕事をするのでもそう、祈りながらしていたら、その1時間は宇宙船護摩木を書く時間。書きとめる時間は、本当は速く書いて1分。
丁寧に書いたら23分かかるかもしれないけど、その辺も自由自在に書いたらいい。上手に書いたからいいのではない。
残りをカバーするのは真の神さま。この+αが大きいから、本当の価値がある。

ところが、我の自分だととらわれる。一人の人のために名前を書かないといけないと思ったりする。100人の名前を書いたらどうなるかって思う。
これは自分の大きさによる。本心の立場に立っていたら、「地球のみんな」と言えばいい。みんな中に入ってくる。
一回地球のみんなのために祈る、これを無限回繰り返してもいい。質がどんどん高まる。1回だけで終わっていいのではない。
地球上の60億の人のために、一人ずつ書いて、1カ月で終わる?

どういう書き方をするかは、みんな違う。一人ひとり全部違う。本心側に戻って書くのだったら、特別にこの人を早くと言うのだったら、
その人を名指ししてもいい。でも、そこまで必要なかったら、「地球のみんな」で地球の全部を祈りの対象にしてもいい。
それを毎回繰り返したら、何回も何回も祈り続けたことになる。その辺の使い分けも、自由自在でないとダメ。本心だと自由自在になる。
我の自分は、やっぱりとらわれて、縛りの中で自分を縛って考えてしまう。

だから、どれだけ本心に近づくかが大事。大きい自分に戻ること、自由自在に戻ること。それで、真の神さまの働きが全てと認めること。
100%、真の神さまの働きだけと認めること。我の自分の力は、一切ない。全く無と言わないとダメ。
我を出しただけが、神さまを跳ね返している、邪魔している。我を出した時には受け入れてない、受け付けていない。
だから、どれだけ我を減らすか、我を出さないか。神さまの邪魔をしないようにすること。

大きい立場に立つというのは、神さまの大きい立場に立つから、邪魔をしない。自由自在になるというのもそう。
神さまは、自由自在に働いてくるから、邪魔をしないことになる。だから、神さまの働きの邪魔をしないことが、本当のお手伝い。
そしたら、神さまは、大きく力を奮える。

神さまが一人ひとりを使ってくれるのは、能力があるからではない。全く無力と感じて謙虚になれる人が使ってもらえる。
自分の努力で出来るという人は、まだ我がある。努力すらできないという自分でないとダメ。本当に自分には、何の力もないと徹底してわかった人が、
1番真の神さまが使いやすい。何のとりえもない自分がいい。自分にはこんな能力があると自慢する方が間違い。
まず、本心の自分は、絶対過去をつかんでないから、これが自分の力ってつかまない。常に、新たにもらった力だけが、その時の自分の力。
でも、全部神さまに一瞬一瞬お返ししている。だから、この力が自分の力なんて絶対言わない。自分がどんなことをしたって言わない。
どんな良いことをさせてもらっても、神さまのお蔭で終わる。「自分がした」は無い。神さまの力でさせていただいただけ。神さまのお蔭って、これだけ。

そしたら、自分はいつもなんの力もない無力の状態。全くゼロ。だから、神さまが使える。真の神さまが降り立てる。
大きく自由自在に降り立てる。それでまた、大きい働きをさせてくれる。でも、それも全て真の神さまのお蔭。それを一瞬一瞬繰り返すだけ。
だから、いつも真の神さまだけになる。これが神さまのお手伝い。邪魔をしないお手伝い。必ず無条件の幸せが湧き上がる。楽しいくらいではない。
手の舞い、足を踏むところを知らないくらいってね、三番叟(さんばそう)の喜び。本当の無条件の喜びは、そんな小さいものではない。
宇宙全体が喜びに打ち震え、踊りまくる。歓びの讃歌を歌う。でもこんな程度は、まだ形だから違う。もっとすごい。
本当の喜びが自分の中を循環する。言葉で表現できないくらいの幸せ、喜び、安らぎが循環する。これは、我さえなかったら出来ること。
だから、我を消そうとすること。みんな普通は我を出そうとする。世の中の人は、大抵そう。

勝負の世界だったら、勝とうとする。勝って喜んでいる。でも、勝って喜んだらダメ。勝って喜ぶ人は、必ず負けて悲しむ。悔しがる。
これでは幸せには絶対なれない。勝っても喜ばない。負けても悲しまない。これでないとダメ。他のことも全部そう。
大学に合格したと喜んだらダメ。不合格でも悲しんだらダメ。もう全てがそう。本心の喜びとは別個。思いの心を満足させたって、偽物ばっかり。
本心は、そんな波打つものでは絶対喜ばない。本心は、常に幸せだけ、喜びだけ。その本心の生き方が幸せ。

だから、この世のどんな生き方の中でも、本心に戻るための勉強材料ばっかり。どれだけ本心の側に立っているか。
本心を引き出せたか。本心を忘れずにいるか。これだけが大事なところ。
もし、本心を忘れたら、全部何の価値もない。
だから、本心開発、本心の自分にしっかりと戻る、本心の自覚を深める、これだけが一番の目的。そしたら、幸せな自分。
絶対に真の神さまの邪魔をしない、お手伝いに生きられる自分。そのために、真のプラスの言葉を駆使する、1番の真のプラスの言葉は、この護摩木。
護摩木をしっかり書くこと。

だから、1ヶ月に書く目標、500枚。出来ない数字ではない。必ず出来ると思う。もう、書かずにおられなくなる。
一枚書くだけでも、大きい変化が起こるけど、500枚書いたら、まず自分が大きく変化する。周りも大きく、それ以上に変化するかもしれない。
そしたら、祈りながら何でも出来る自分に必ず変わる。祈っていたら何もできない、ではない。
祈りながら、どんなことでも必要なことは何でも自由自在に出来るように変わる。これは、真の神さまの+αのバックアップがあったら、全部そうなる。
出来ないことが出来るようになる。不思議なことが一杯起こる。支え合いのすがたで一杯助けがやってくる。
どれだけ真の神さまのお手伝いとして、宇宙船護摩木を書けるか。一枚でも多く書こうとすると、本当の神さまのお手伝いになる。


(平成27年1月31日のお話A)