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 本心の自分に戻るにはどうしたらいい?

 …まず、本心の自分とは何か。本心の自分は、真の神さまが真の自分として出てきて輝いたら、本心の自分。
真の神さまが出てこないとダメ。思いの自分、我の自分は、真の神さまからどんどん遠ざかっている。
過去をつかんで、残像をつかんで、どんどん小さくなって、真の神さまからどんどん離れているのが、我の自分。
我の自分からは神さまに近づけない。ますます離れるだけ。どんどん一方的に離れるだけ。どうしたら近づけるか。
自分から近づけなかったら、真の神さまの方から、自分の方に近づいてもらわないとダメ。
真の神さまが自分の中に入ってきてくれたら、降りて来てくれたらいい。どうしたら降りて来てくれるか。

真の神さまは絶対の愛。みんなを幸せにしたいだけ。何をしたらいいか。本当に必要なものを与えてくる。
この必要なものも、我の自分の必要なものとは違う。真の神さまが必要と認めるもの。本心の自分にとって必要なもの。
これを与え続けてくる。これが本当の幸せになる。だから何が必要か見抜かないと、ダメ。必要なものを受け取ったら幸せ。
必要なことをさせてもらったら、そこに神さまが降り立つ。後押し応援として、バックアップとして降り立つ。

周りに対してでも、必要なものを与えたら、みんなを幸せに出来る。欲しいものを与えても、幸せにならない。
幸せを与えようと思ったら、何が必要かって、本当に必要なものは何かって見抜くと、真の神さまを与える以外ない。
単なる物とか、そういうものではない。真の神さまを与え続けてこそ、本当に必要なものを与えたことになる。
人や物が人を幸せに出来るかっていうと、何もできない。真の神さまだから、自由自在に必要なものに変身して、的確に与え尽せる。

そしたら真の神さまの御心を生きる、願いを生きる、真の神さまと共に生きる。絶対に離れたらダメ。
常に真の神さまと共に歩む。神さまのお手伝いだけに生きるということ。人生の目的もそう。
本当の人生の目的とは何か。偽の浅い目的もある、本当の深い目的もある。

本当の人生の目的、これは真の神さまの目的を生きること。だから真の神さまは、自分自身を愛の心で与え続けている。
真の神さまを全てに与え続けるのが、真の神さまの目的。そうしてみんなを幸せにしようとしている。
本当に無色透明の大きい働きを与えないと、その時その時必要なものを的確に与え尽せるわけがない。
本当に無色透明のものを自由自在に変身させて与えないと出来ない。最初から一つの形あるものを与えても無理。
どう変化するかわからないものを与えてもダメ。本当に無色透明のもので自由自在に変身できるものを与え続けて、
その時本当に必要なものを的確に与えないとダメ。

そしたら我の自分が何をしてもダメ。我の自分がすることはみんな間違っている、余計なもの。
必要なものではなしに余計なこと、邪魔すること。我の自分がすることは邪魔ばかりする。何もしない方がいい。

 我の心は、余計なことをし過ぎて、マイナスを一杯溜めて、思いを溜めて、借金を一杯溜めて行き詰まる。
必要なことを何もしてない、余計なことをし過ぎている。神さまが与えようとする邪魔ばっかりをしてきたことになる。
思いの心、我の心は邪魔ばっかりしてきている。邪魔ばっかりすることをちょっとでも減らしたら、辞めたら、プラスに置き換わっていく。

根本は神さまの愛の働きだけ。プラスだけ。本当の一大循環の必要なものを与える働きだけが、根本にある。
これは、永遠に循環するもの。その邪魔さえしなかったらいい。本心に戻るのも同じ。邪魔さえしなかったら戻してくれる。
自然に本心の自分に戻れるようになっている。本当は、自分が何かをして戻るのではない。
神さまの邪魔さえしなかったら、本心の自分に戻っていく。真の神さまが出て来てくれたら、本心の自分になる。

だから余計なこと、難しいことをするから、我の自分に陥っていく。神さまにお任せしていたらいいだけ。
元から愛の働きとして、一大循環の相象として、本当に必要なものを与え続けてくる神さまの働きが、根本にある。
その働きが自分の中に降りてきたら、真の神さまが真の自分っていう、大きい深い本心の自覚になって出てくる。

だから真の神さまの本当の目的、願いは何か、何を願っているか、何を必要としているか、一瞬一瞬、見抜く必要がある。
特に周りに何かを与えたい、プラスを与えたい、幸せを与えたい、こういう時に、本当に何を必要としているか見抜けないと、
何を与えたらいいかわからない。自分の与えたいもの、人の欲しがるものを与えてもダメ。どちらも間違い。
必要なものではないし、本当の正しいものではない。親が子供に何か与える。
親が本当の愛の心で、必要なものを与えたら子供は、幸せになる。でも思いの心・我の心で、親が子供のために何を与えても、マイナスになる。
必要なものを与えるのではなしに、余計なものを与えすぎる。余計なものを与えたら、マイナスを殖やしている。

幸せ、本当の幸せとは何か。本当の幸せを手に入れたかったら、神さまから必要なものを受けとらなければならない。
本当に必要なものを受け取ったら幸せ。我の心で何を手に入れても、ダメ。反対にマイナスになっていく。
食べ物一つを見てもそう。本当に肉体を維持するために必要なものってわずかなものだけでいい。美味しいものや贅沢なものではない。
本当に体に必要な良いものってちょっと。それも質素なもの。そしたら口当たりの美味しいものを食べてもいいのとは違う。
贅沢なものを食べてもダメ。みんな思いを、借りをどんどん殖やすだけ。マイナスが殖える。病気になるのも食べ過ぎで病気になる。
ちょっと断食するくらいだったら、病気も治る、健康になる。必要なものだったら、神さまのバックアップがいつもある。

元々肉体って、例えばビタミンをとらないと病気になるとか、健康になれないと言う。反対。
もともとビタミンを作り出す能力がある。外から余計なものを与えすぎて、中から働く力を隠してしまう、働かなくしてしまう、
これが大きい病気の原因。本当に全細胞を置き換える、全部を新たに置き換える、大きい力が奥にある。
元々何もないところから生み出す力がある。

だから栄養学なんて言って、美味しいものや良いものを食べないと健康にならないというのは大きい間違い。
イエス・キリストさんも言っている、「何を食らい、何を飲まんと思い煩うことなかれ。」
本当の肉体を健康に守り続けてくれる力の根本は、真の神さまの働き。そこからの光が全部を生かしている。余計なことをするのが間違い。

余計なことをするのは暇だから。根本はそう。何をしたらいいかわからないから。必要なことが出来ないから。
本当に必要なことがわかったら、必要なことをするだけで忙しい。そしたら絶対に余計なことをする時間はない。
だから何が必要かって必要性を見抜く、これが大事になってくる。まず言葉。
真のプラスの言葉を駆使する、本当に自由自在に使いこなす、これが一番必要なこと。

そしたらつまらない虚の世界の言葉なんか相手にしない。真のプラスの言葉を駆使するとなったら、24時間忙しい。
余計なことは何も出来ない。言葉通りの自分になって、本心の自分の自覚が深くなる。
どれだけ真のプラスの言葉を駆使しているか、祈っているか、となる。言葉通りの自分になるから。
必ず本心の自覚が大きく深くなる。ところがつまらない言葉を使うと、虚の世界のプラスでもダメ。マイナスは余計ダメ。我の自分に陥る。
マイナスの七難八苦の心の自分になってしまう。言葉通り。言葉でも必要なものを選び続けないと。
必要なものを選んで使い続けないと、本当の力にはならない。

本当に必要なのは、真の神さまの口から出る言葉。これが本当に生かしてくれる言葉。真のプラスの言葉だけがそう。
虚の世界の言葉は違う。どれだけ自分が必要性を感じて選んで使っているか。自分の自由意志で選ばない限り、選べない。
本当に何が必要か。真のプラスの言葉を選べる自分が本心の自分。また真のプラスの言葉を選んだら、本心の自分に戻る。
でも虚のマイナスの言葉を選んだら、我の自分。またその言葉を選んだら、どんどん我の自分に陥っていく。一言でもそう。
言葉だけではない。他の全てがそう。本当に必要なものを追いかけないとダメ。


(平成27年1月24日のお話@)