真のありがとうございます 

 

 今年は、護摩焚きが毎月一回あって、宇宙船護摩木を書かせてもらうようになった、
これはみんな神さまの愛に気付かせるため。ちょっとでも気付いたら、神さまの大きい愛の中に入れる。
もし宇宙船護摩木が100万枚出来たとしたら、神さまが全部作ってくる。
その護摩木を使って、大勢の人、地球上の全てを救い上げたら、神さまがその何億倍以上の働きを、更に加えてくる。
真の神さまの働きだけが、大きく大きく加わる。それで、本心の自分に戻してくれる。人の働きと違う。
人は邪魔するだけ。その邪魔するのをやめないとダメ。過去世の自分が、我の自分が、思いの自分が、
神さまの無限のスピードを邪魔して邪魔して、遅らせているだけの話。過去の自分、我の自分が、
無限のスピードの流れを邪魔して止めている。いかに我の自分が間違ったことをしているか。
邪魔しなかったら、神さまが自分を通して働いたら、スーッとスピードアップする。何でもそう。
大きいプラスに瞬間に置き換わってくる。邪魔さえしなかったらいい。

だから、常に神さまの声を聴かないとダメ。神さまの声は、隻手の声(せきしゅのこえ)と言う。
隻手(せきしゅ)というのは片手。両手で叩いたら、パンと音が鳴る。片手で手叩いたら、音が鳴らない。音にならない声。
無色透明の声。汲み取らないとダメ。汲み取らないと。声が聞こえて、操られるのは、奴隷、操り人形。
真の神さまは、絶対にそれはしない。こうしなさいって命令してきたら、大変なこと。
自分が神さまの心を汲み取らないとダメ。自分の方から。それで、神さまの心をキャッチして、何が必要か、大事かをつかんで、
それを実行に移していく。そしたら、その後押し、応援が、神さまから降りてくる。人の自由意志を尊重して、神さまが働ける。

だから、人に言われてするのは、何でも大きい間違い。宗教の教祖が神さまの心を受けて、
それを言葉にしているって、みんな本当は偽物。真の神さまの声ではない。みんな偽物。
真の神さまの言葉は無色用明。隻手の声。聞こえない言葉。

本当に本心の自分が汲み取らないとわからない言葉。人の口を通して出た言葉を真の神さまの言葉と思ったら、みんな間違う。
それを絶対視したら奴隷になる。恐ろしいことが起こる。イスラム教でもそう。みんな言葉に縛られている。
みんな人の言葉に縛られているだけ。真の神さまは愛だって、これは絶対のもの。
人を殺しなさいなんて絶対言わない。これだけが正しい、正義だなんて言わない。我の自分は、人に言ってほしい。
自分が操り人形になって喜んでいる。

でも、本心は違う。本心の自分を生きている人は、人の言うことやそんなことは絶対相手にしない。
全部自分で選んで判断する。その代わり、全部自分が責任を持つ。自分が責任をとって全部する。
何が必要か大事かって、自分で見抜いて実行に移す。そしたら、そこへ真の神さまが降り立つ。常にそう。
だから、本物の生き方がいる。本心の自分、本当の自分を生きないと。それでないと、本当に幸せな自分になれない。

なぜ、神さまが本物の生き方を、本当の生き方をしなさいと言うのか。幸せな自分に戻す為。
総責任者の立場に立ちなさい、支え合いに生きなさい、真の神さまのお手伝いに生きなさい、恩返しに生きなさい、
新たに新たに生きなさいって、色んなことが一杯出てくる。全部、本心の自分に戻りなさいという意味。
我の自分を喜ばせるためとは違う。そんなものと違う。本心の自分をしっかりと自覚して、生きて幸せになること。
その為だけに、神さまは、あの手この手を一杯使ってくる。

だから、一瞬も、ありがとうございますを忘れたらダメ。本当に呼吸のように、ありがとうございますを唱え続けて、祈り続けないと。
呼吸を止めたら死んでしまう。真祈りを、ありがとうございますを祈り続けるのは、本心の呼吸。
本心の呼吸が止まったら、本心は気絶して、意識がなくなる。

だから、護摩焚き、宇宙船護摩木を書くのも、祈りを忘れないようにさせるため。24時間祈り続けさせるための、神さまの計らい。
護摩から護摩へ1か月で500枚書きなさい、書いた方がいいって、ずーっと起きている間、祈り続けてないと書けない。
いかに祈り続けることが大事か、そうさせようとしているか。祈り続けることだけが全て。
自分が、我の自分が何かするのではない。祈り続けるだけが、本心の自分。
後は、本心の自分の中を神さまが通り抜けて、神さまが全部してくれる。必要な大事なことは、神さまが全部してくれる。
自分が何かをするのは間違っている。我の自分。まず、自分がすることは、真祈りを祈り続けるだけでいい。
それで、神さまと共に生きる。神さまは全部してくれる。必要なものは、的確に与え尽くしてくる。
自分に必要なものは、ちゃんと与えてもらえる。全部必要なものは循環させて、周りに必要なものは的確に与え尽くそうとする。
そのお手伝いに生きる。それが本当の支え合いのすがたをとる。

だから、まず神さまの側に立とうとすること。何でもそう。護摩木を作るのでもそう。
自分が自分の力で一回作ってみようとすること。そしたら、全て神さまの大きい支えで出来ていることに気付く。
宇宙船護摩木を書くのでも同じ。自分がまず書いてみること。そしたら、人に書かせることがどれだけ難しいか、
ということがわかるはず。本当は、自分も書くのは大変。人に書かせるのは、もっと大変。
それを真の神さまは全部、書かせようとして、大きい力を奮ってくる。

100万枚書かせるのは真の神さま。自分でも人でもない。どこまでも真の神さまが、愛のすがたで降り立つ。
だから、今年は大きい光が循環する。大きい光が流れる。みんなを本心に戻すため。だから、我を出さないこと。
徹底して我を出さないこと。神さまのお手伝いだけにしっかりと生きようとすること。


(平成27年1月17日のお話C)