真のありがとうございます 

 

 人間の肉体の細胞って60兆ある。その1%、6000億が毎日細胞分裂を起こす。古いのが消えて、新しいのを補っている。
1%が分裂していて、100日で全部が置き換わる。全身の60兆の細胞が100日経って、3カ月で全部置き換わる。
でもこれは虚の世界の末端の移り変わり。真の神さまの世界、真実の世界の移り変わりはこんな程度ではない。
一瞬一瞬、無限の無限の大きい移り変わり。それも古いものが消えて、新しいものが置き換わるような移り変わりではない。
プラスだけの循環、移り変わり。

そしたら本当の自分と肉体の自分との違いは、どれだけ大きいか。本当の自分は、一番新しい自分。
肉体の自分は、遠い昔の残像の一部。どれを自分としてつかむか。本心の自分は、新たに新たに、神さまから現れてくるものをつかもうとする。
思いの心、我の心は、古いものをどんどん小さくつかんでいく。どちらの心を生きるか。本心の心を生きようとしなかったら、
我の思いの心になって、自分が小さく小さくなっていく。そこはもう、マイナスの、プラスのない世界、幸せのない世界、
もう一つ七難八苦で苦しみ一杯の世界、苦難の世界。どちらを選ぶか。本心の自分をしっかり生きようとするか、それを忘れて我の奴隷になっていくか。

真の自分、真の神さまが絶対の中心から、新たに新たに現れてくる、絶対の中心から現れてくる真の神さまを自分として受け入れたら、
最高の幸せな自分。でもそれを忘れたら、どんどん残像の世界に落ちて、小さい自分をつかんで、どんどんマイナスの自分になっていく。
本当の自分は、一切の我のない無色透明の自由自在心、これだけ。これが自分ってつかまない。つかんだらそれだけが自分。
他が自分でなくなってしまう、小さくなる。

我の自分は、小さい自分。虚の世界に転落して、我の自分を無限に生み出して、小さく小さくつかんだのは、全部我の自分。
どの我の自分をつかんでも小さい。本当のプラスは無い、全部マイナスになっていく。それも、無限の我を自分は持っている。
過去をつかんだら我の自分。新たに新たに、神さまを受け入れたら本心の自分。それもより新しい自分が、大きい本心の自分。
だから真の自分、本当の一切の我のない無色透明の自分は、真祈りを祈り続ける。
絶対の中心に立って、全ての全てに対して、真の神さまを、真のプラスを、一大循環の相象を、最大限に与え続けるだけ。
全ての全て、無限の無限の全てに対して、一人ひとりに何を与えるかは違う。何を与えたら一番いいのか、全部与え方が違う。
同じプラスを与えるといっても、小さいプラスでいい人、大きいプラスの要る人、全部違いがある、
でもその小さいプラスでも、神さまは最大限に与える。全部に違うプラスを与えていても、最大限にプラスを与えようとする。

だから真の自分は、神さまの側に立たない限り、わからない。神さまが絶対の中心から、全ての全てに、
自分自身を、真の神さま、真のプラス、一大循環の相象っていうのは、自分自身、その自分自身を最大限に与え続けようとしている。
それが真の神さまの愛の働き。本当の絶対の愛の塊みたいなもの。それを永遠に与え続けて、循環させている。

だから親の心子知らず、その程度ではない。真の神さまの御心は、無限に無限に大きい、深い、言葉を越えている。
その神さまの愛を感じたら、幸せ。無条件の幸せ。条件付きなんて小さい。こうだったら幸せなんて小さい、無限に小さい。
条件の付かない、無条件の幸せは、神さまの愛を感じて、感じる。我の自分、思いの自分は、条件ばっかり付ける。
こうだったら、幸せって言うんだけれど、そんなの幸せの内に入らない。自分の思い通りになったら幸せなんて、そんな小さなものは、本当の幸せではない。

だから神さまの側に立たないとダメ、わからない。小さい立場に立ったら何もわからない。
本当に与える側の、支える側の神さまの側に立ったら、神さまの愛がわかる。神さまの愛の働きが実感できる。
そしたらいつも神さまと一体。その幸せは絶対崩れない。どうしたらそこへ戻れるか、なれるか。

やっぱり総責任者の立場に立たないとダメ。全ての責任を自分に持ってこないと、神さまの心はわからない。
神さまの側に立つって言うのは、総責任者の立場に立つこと。それもマイナスを消す総責任者ではない。
本当のプラスを、本当に必要なものを与え続ける、この総責任者。だから小さい自分ではダメ。一番大きい自分に戻らないとダメ。
戻るというより、一番大きい自分を生きようとしたらいい。そしたら神さまの側に立てる、神さまの愛がわかる、
神さまが自分を通して働くのが実感できる。

自分が何かするのではダメ。これは思いの心、我の自分。自分ではない。神さまが働く。自分を通して、自分の中を通り抜けて働く。
自分が、形があったらダメ。形があったら止めてしまう、邪魔する。我の自分は、全部神さまの働きの邪魔ばっかりし続ける。
どんなことをしても邪魔ばっかりする。自分がやっぱり無色透明にならないとダメ。我のない自分が必要。
我を全部消さないと、本当の無色透明の自分に戻らないと、自由自在の自分に戻らないとダメ。そうでないと神さまの働きを邪魔し続ける。
邪魔するというのは、本当に逆流を起こしている。流れが反対だから、幸せを拒絶しているし、マイナスばっかりになっていく。
神さまの流れに逆らったら、弾き飛ばされる。余計傷つく。

だから神さまの側に立てばいいだけ。神さまの愛の側に、神さまのお手伝いする側に立てばいい。
自分一人で何かをしようというのは、大きい我。自分の力でなんか何もできない。我の自分は自分で何でもしよう、自分だけでって言う。
でも何もできないし、邪魔ばっかりしている。全体の真の神さまの支えを、全部拒絶している。
支え合いっていうのは、神さまの世界のすがた。全体が本当に支え合って一つになっている。
全部働きが重なり合って、支え合っている、全部カバーし合っている。

本当の幸せ、本当の喜び、本当の安らぎ、どこに探したらいいか。本心の自分に戻ったら全部ある、
神さまの側に立ったら全部備わっている。他に求めても何もない。どこを探してもない。神さまの中にしかない。
それも、求めてもどこにも見つからない。求める心では手に入らない。逆流だけ起こしているから。
与える心でも、まだ小さい。だから本当の支える、支え合う、真祈りの実行。絶対の中心に立って、大きく全ての全てに対して、
真の神さまを一番大きいすがたで与え続けること、この気持ちが大事。それだけが全て。
そして、ありがとうございますって祈り続ける。ただひたすら、ありがとうございます、無心にありがとうございます、
淡々とありがとうございますって唱え続けるだけ。そしたら邪魔しない。真の神さまの働きを邪魔しなかったらいい。
邪魔しない生き方だけが必要。

我の自分がのさばり出たら、邪魔ばっかりする。そして弾き飛ばされて、苦しむ、傷む。
大きい壁に自分が体当たりしてご覧、大きい壁に跳ね飛ばされて、傷むのは自分。真の神さまと共に歩まないとダメ。
常に真の神さまと共に一緒に、同じ方向に進まないと。それが必要なものを与え続ける愛の働き、神さまのお手伝い。
これだけに生きないと、神さまの流れから外れてしまう。


(平成27年1月17日のお話@)