真のありがとうございます 

 

 どんな気持ちで護摩木を書くか。喜び勇んでは、まだ駆け出し。もう心臓が踊らないとダメ。
もうワクワクして、ドキドキドキドキして、全身の細胞が踊りまくらないとダメ。そのくらいの気持ちで、護摩木を書かしてもらうのがいい。
それ以上の価値がある。全身の細胞が、小鳥が躍るように踊らないとダメ。

仏教で6つの種類の震動、六種震動(りくしゅしんどう)というのがある。悟りのすがた。
これはもう、世界の全部、宇宙の全部が本当に喜びで踊っているすがた。この喜びのすがたが自分の中に入ってくる。
もう全てが喜び一杯になる。地震とは違う。宇宙の全てが喜びの心で、心が震えるだけではない。本当の喜びで踊り狂うような感覚。

真祈りってみんなそう。何も要らない。もう必要なものは、新たに新たに、全部備わってくる。
そして、喜びだけになる。だから、過去をつかむことも追いかけることも要らない。全部を捨てて大丈夫。
新たに新たに生きたらいい。新たに新たに本心を生きるだけ。過去をつかんで未来を心配して、ではない。

本心の自分さえ生きようとしていたら、神さまの助けがスッと流れ込んでくる、入ってくる。
本当は、神さまの世界は、必要なものを与えてくるスピードが無限のスピード。有限ではない。無限のスピード。
必要なものがスーッと循環してくる。この世で本当にそれが可能か、実現できるかって、みんな必要なものが入ってくるのがまだ遅い。
まだまだ時間がかかっている。必要なものがサッと入ってこないとダメなのに。
これがもっと速くなる。10倍速くなる、100倍速くなる。万倍速くなる。必要なものがスッと入ってきて、全てがさっと実現しないと。
そしたら、真の神さまの世界に戻れる。その世界に戻ったら、全部無限のスピード。もう過去を掴まないから。
絶対過去を追いかけない。必要なものがさっと入ってくるようになったら、新たに新たにってなる。 

体の健康でもそう。神さまは、無限健康、完全健康。新たに新たに、置き換えて現してくる。
でも、過去を掴んだ人は、過去の病気を全部掴んでいる。置き換わらない、絶対。掴んだ分だけ置き換わらない、治らない。
過去をつかみ続けたら、過去世のものまで引っ張り出してくる。無限の病を引っ張り出す。過去を掴んだら全部そう。
波を合わせていくから。でも、全部新たに新たに受け直せたら、いつも完全健康だけ。過去は無関係。
新たに完全健康、無限健康を与えて来るだけ。それもスピードを速く受け直せたら、過去は全部消えて、
一瞬一瞬大きい変化で、完璧なすがたに置き換わってくる。

もう全てがそう。健康だけではない。何から何まで全部そう。過去さえ掴まなかったら、新たに受け直せたら、全部プラスばっかりになる。
みんな自分で分かるはず。過去を掴んだ時どうなるか、新たに受け直した時どうなるかって。
ただ、新たに受け直すのも2通りある。現実の中で新たにというのは、過去の残像の受け方の、新たに。これはまだ偽物。
本当の新たには、真の神さまからの、新たに。ここが大きい違い。現実で新たに新たにって言ってもダメ。
遠い昔の残像がこの世だから。この世での新たに新たには、過去の残像を受けているだけ。それでは、まだ置き換わらない。
真の神さまから、新たに新たに。そこは真のプラスだけ。プラスだけが降り注ぐ。だから、言葉が要る。
真のプラスの言葉を本当に駆使しないと受け取れない。単なるプラスの言葉だったら、過去の現実の残像の新たに。
だから、真祈りが、本当の真のプラスの言葉が、必要になる。だから、お祈りの特訓が大事。真のプラスの言葉だけを使って、
本当の新たに新たにだったら、全部置き換わる。

だから、現実を相手にしたらダメ。病気でも治そうとしたら治らない。真の神さまから何を受け取るかだけ。
新たに新たにってね。真の神さまだけを相手にする。だから、ここでも本心の自分を生きるか、我の自分を生きるかって試される。
本心の自分を生きるのは、真の新たに。我の自分は、過去ばっかりつかんでいる。必ず、過去を掴んで言葉にして、
それを我の心で主張する。それで、マイナスを積み重ねる。みんな根本は、言葉選びの違いだけ。どういう言葉を選んでいるか。
マイナスを選んでいるか、プラスを選んでいるか、真のプラスを選んでいるか。言葉選びだけ。

だから、現実を見て言葉にするようでは、選べない。マイナスかプラス。真のプラスの言葉を選ぶのは、現実は関係なし。
自由な心で、真のプラスの言葉を選んだら、神さまの世界が出てくる。

だから、一心不乱に祈り言葉を唱えたらいいだけ。寝食忘れて、脇目も振らずに、一心不乱に祈り言葉を唱えたら、現実化する。
全部プラスに置き換わってくる。だから、そこまで真剣に選べるか、祈れるか。難しいのと違う。
本心の自分だったら、それが1番幸せだから、選ぶの。実行出来る。本心の自分をしっかり生きようとしたら出来る。
それしか道がないから。それだけが必要な幸せな道だから、選べる。

根本は、本心の自分を生きようとしているかどうか。本心の自分を生きるか、それを忘れるか、どちらか。
過去の思いが、業が邪魔するのと違う。今、本心の自分を生きようとしているか、それを忘れているか。
だから、本心の自分を生きようとしたらいいだけ。それだけ。本心の自分の生き方は、常に新たな生き方。総責任者の生き方、支え合いの心の生き方。
神さまのお手伝いの生き方。どれか一つを選んだらいいだけ。新たに生きるか、総責任者として生きるか、支え合いの心で生きるか、
神さまのお手伝いに生きるかって、何か一つしっかり生きたら、もう本心の自分の生き方。どの一つも忘れたら、思いの心、我の心の奴隷。

本当は難しいことは無い。真の神さまを選ぶのだったら、ありがとうございますって選び続けたらいいだけ。
一つも難しくない。ありがとうございますは、真の神さまそのもの。言葉を選ぶって、ありがとうございますを選ぶだけ。
もし、選んでなかったら、他を選んでいる。真の神さまを無視して拒絶して、選んでないだけ。
そのくらいは自分の自由意志でしっかり選んで確かめないとダメ。そこまで神さまは選びなさい、選びなさいってお節介できない。
自由意志で選んでほしい。

神さまは、絶対の愛で無限に無限に愛してくれている。でも、神さまはお返しを求めないから、私を愛しなさいって言ってこない。
神さまを愛しなさいって言わない。でも、愛してほしいのは確か。自分の自由意志で、愛してほしい。
愛するというのは、ありがとうございますを祈ること。真の神さまを選ぶ、祈ることが、神さまを愛すること。
だから、神さまを愛することまで神さまは強制しない。愛しなさいって言ってこない、絶対。
自分の自由意志で選んで神さまを愛する。それが、ありがとうございますって、真祈りを祈り続ける自分。
そしたら、神さまに愛されているというのが、実感として湧き上がる。
それが、無条件の幸せになって、無限のスピードで喜びが湧き上がってくる。 

だから、本当はみんな単純。難しいのは、みんな偽物。1番単純な最短コースが本物。
偽物というのは、脇道を堂々巡りして迷う道。本物は、正しい一直線。1本道。最短コース。
だから、一番単純で、わかりやすくて明快な道。難しいのほど、偽物。だから本物は、ありがとうございます、一言。
悟りへの道、一本道、最短コース。ありがとうございますの一言。何もいらない。
余計なものを付けたら、迷いの道。最短コースになっていないだけ。



(平成27年1月10日のお話C)