真のありがとうございます 

 
 
 本心の自分が、これが正しいっていう道をしっかり選んで、それを一回定めて生きたら、何も邪魔するものはない。
思いの心ではダメ。思いの心は、業力に振り回されているだけ。操り人形、奴隷のように振り回されているだけだから、元から自由はない。
大きい業力に振り回されているだけ。渦巻く濁流に押し流された、木の葉のような、竜巻に舞い上げられた木の葉のようなもの。
そこに木の葉の自由があるか、ない。大きい業力で操られただけの話。

だから我の自分、思いの自分には自由は絶対にない。操り人形と同じ。本心の自分だけが自由意志があって自由がある。
本心の自分を生きようとしないと、自由を発揮できない。これを真の神さまはいつも確かめてくる。
しっかりと本心の自分を生きているかどうかって。本心の自分は必要なものを正しく選べるから、真の神さまを選べる。
真の神さまのお手伝いに生きようとする。絶対間違った道は歩まない。常に本心の自分を生きようとしているかどうかを神さまに確かめられる。
確かめてくれる。本心の自分を生きやすいようにテストしてくれる。いろんなテストがある。常に自分の自由意志で選んでいるかどうかって。

キリシタンの人の弾圧の時は、踏絵を権力者が用意して、キリストさんの絵を踏ませようとした。本当に信じている人は踏めない。
踏めなかったらお前はキリシタンだ、って殺された。でもそこまで信念を曲げなくて、踏まなかったら、
肉体は死んでも本心の自分をしっかりと選んで生きている。本心の自分として神さまの世界に引き上げてもらう。
やっぱり自分が神さまを選んでいるから。ここがものすごい大事なところ。何を選ぶか。
自分はこれが正しい、本物って選んだら、その護りを受ける。

そしたら自分が選ぶ時に、本気で自分が自由意志で選んでいるかって、いろんなテストが来る。
まず普通お祈りしなさいって、いいよって勧めてもらう。これはまだ自分の自由意志で選んでいない。
ああそうかな、真似してみようかっていうぐらい。これが本当に自分で選んでいるかどうかを確かめてもらう時は、
周りが全部猛反対してこないとダメ。猛反対していても選べるかどうかって、必ず確かめてくる。
真剣に生きているかどうか、本心を真剣に選んで生きているかどうかって、必ず確かめられる。
場合によったら、殺しに来るかもしれない。それでも選んだら本物。

でもそのくらいの真剣さが必要。本当の悟りを開くためには、本心の自分に本当に戻り切るために、とことん選び続けないとダメ。
でも本心が真剣に選んで決めたら、妨害するものは何もない。全部消える。本心の自分の選んだことには何も反対できない。
鬼のような神さまって鬼神っていう力があって妨害する神さま。鬼神も避けて通る。妨害できないから、逃げていく。
ましてや人が、思いの心が、妨害するものは無い、そんな力は無い。
悪魔やサタンでも本当に悟りを開きたいって人が真剣に選んだ道を妨害できない。
誘惑はしてくるけど、断固として、悟りの道を選んだら全部逃げ出す。

イエスさんもそう。悟りの寸前、いろいろまやかしがある。サタンから色んな誘惑が来る。
でも全部、サタンよ去れって一喝する。全部打ち消す。自分が本当の神さまを選ぼうとしているから。サタンも消えてしまう。
お釈迦さんも同じ。悟りの寸前に、悪魔波旬(はじゅん)ていうのが出て来て、まやかす、いろいろ妨害してくる。
でもそれに負けたら、悟りを開けない。やっぱり自分の自由意志でしっかりと本物を選んだら、悪魔もスーッと消えてしまう。
悪魔やサタンっていうのは、本当は思いの心の集積、業の塊。本心にとっては、過去の思いなんて、本当は力がない。残像に力なんかない。

だから本心の自分に戻って生きようとする時に、妨害するのは、過去の自分の積み重ねた思いの心。
思いの心の惰性が、妨害して邪魔して誘惑してくる。それが色んな悪魔やサタンのすがたをとってくる、いろんな妨害のすがたをとってくる。
だから自分がしっかりと本物を選んだらいいだけ。真の神さまを選ぶ、本心の自分をしっかり生きようとする。これだけでいい。
そうしたら他は、全部必要ないから消えていく。真の神さまの与え方は、必要なものを与えてくる。
必要なくなったらすぐ消してくれる。必ず消える。自分が正しい道を選んだら、他のまやかしの、迷いの道は全部消える。
必要ないから消してくれる。

常に試してもらった方がいい。間違った方向に進まないように、試してもらう。油断したら惰性に流れるから、
反対の間違った方に進んでしまう。だから常に最短コースで、真の神さまへ、悟りの道へ歩めるようにしてくれる。
ちょっと間違った方向に行ったら軌道修正しないとダメだから、その時に、何か出てくる。邪魔するものが、出てくる。
その時にもう一回自分が本当の道を選んでいるかどうか、確かめたらいい。

邪魔してくるものが何か。本当は神さま。間違った方向に進むのを止めてくれている。
常に真の神さまが、自分を護り続けている、導き続けている。
だから表面のすがたはプラスにもマイナスにも受けられる。本心の自分だったら、全部真の神さまの導きだってプラスに受けられる。
でも我の思いの心だったら、自分の都合のいいものをプラスに見るだけ。自分の思い通りにならなかったらマイナスに見るだけ。
どっちにしても間違った方向に進んでしまう。せっかくの神さまの導きを受け取れない。

でも本心だったら、神さまの導きとして、全部受けられる。行く道を妨げられたら、ああこっちに行ったらダメなんだなっていう導き。
こっちに行かないで、別の方向を選びなさいっていう意味。常に全てをプラスにプラスに受けて最短コースを歩めるように、
神さまは導いてくる。本心をしっかりと生きているかどうか。これが我の思いの心を生きていたら、反対になる。
判断が正反対になって間違う。常に本心の自分をしっかり生きようとすること。そうしたら全てをプラスに受けられて正しい道になる。

だからこの世に現れた全ては、全部本心の自分に戻るための導き、勉強課題。全てがそう。
小さいことも大きいことも全部、世の中の全部が、自分が本心の自分をしっかり生きて、本心の自分の自覚を深める、
悟りの道をしっかり歩む、この勉強材料。全てがそう。それをみんな助けてくれている。
もし自分にマイナスがあって、前に進めない時は、身代わりに、誰かマイナスを背負ってくれている。
プラスが出てきたら、プラスで引っ張って押し上げて、前へ進めてくれている。全てがプラス、プラス。

みんな、ありがとうございますの真祈りを祈れる。本当に、みんなに猛反対された時に選んでいるかどうか。
反対してくれないと、本物か偽物かわからない。まず自分が本当に選んでいるかどうか、わからない。
周りが猛反対してくれた時にしっかり選んだら、本物。普通は、師匠の方が弟子に、本物かどうかを確かめる時に、試す色んなやり方がある。
弟子入りしたい、駄目だって言う、とことんダメだって言い続ける。見込みのある弟子ほどそう。
この弟子は本物になるかなって思ったら、徹底してダメだって拒絶する。それをどれだけ反対されても、押し切って選ばないとまた間違う、
本物になれない。だから真の神さまが、自分をどういう風に導いてくるか。一番反対されたら困るような人が反対してくるかもしれない。
本物かどうか確かめる時は常にそう。一番嫌な人が勧めてくれて、一番大事な人が反対してくれる。これが本物。

なぜと思う?一番嫌な人から勧められたらいやでしょう。絶対受け取らない。そんなの見たくもない真似もしたくもない、ってなる。
自分が一番嫌な人から勧められて選べたら、すごいこと。本物。本物を選んだことになる。
今度一番賛成してほしい人が反対してきたらどう?一番喜んでほしい、賛成してほしい人が猛反対してきたら、
それを振り切って選び続けられたらこれもまた本物。この両方のテストで合格。本物を選んだ、自由意志で選んだってなる、
そしたら神さまに弟子入りしたことになる。

神さまに弟子入りするかどうかで、護り方が違う。弟子入りしていない時は、神さまが本当に護れない。
ちょっとお節介してくるくらい。でも弟子入りしたら、本当に定めたら、とことん護り抜く。全力で護ってくれる。
それは、その人の自由意志を大事にしているから。本当の自由意志で弟子入りを選んだら、神さまは全力で護り抜く。
どんな妨害も災いも全部消してくる。完璧な護りの中に自分を置いてくる。でも選び方が中途半端だと、まだまだダメ。
ちょっとお節介はしてくれるけど、自由意志で選んでくるのをいつまでも待たないとダメ。
いろんな試練をいろんな形で与えてこないと、心を定めることが出来ないから、いろんな試練が出てくる。

みんな一番嫌な人に勧めてもらった?一番大事に思っている人に反対されていない?反対されるほどいい。
全部真の神さまのお芝居。真の神さまが上手にお芝居して、心を定めてくれている。根本は真の神さまだけ、それ以外何もない。
どれだけ真の神さまの愛が深いか。そしたら真の神さまとの一対一の関係に早く戻れる。真の神さまの愛だけが感じ取れる自分になる。
枝葉ではない。表面ではない。



(平成27年1月10日のお話A)