今回この護摩焚きが大きく変化する。真の神さまが直接、自ら降り立って下さる。すごいこと。
みんなの自由意志に誘われて、降りているのと違う。強制的に降り立つ。
でもその時に、真の神さまのお手伝いをしようとしている人が少なかったら降りない。
真の神さまのお手伝いをしたいという人が殖えているから降りてくれる。
それはもう、ポスティングを通して、みんなが神さまのお手伝いをしたいということで、
かなり一生懸命働いてくれた。それをしっかりと見極めて、降りるのを決めてくる。
いろんな計画を一杯用意している。その時その時の最善の方法をとろうとしている。
もうありとあらゆる計画がある。どの計画通りに進むかは、人の自由意志を見てする。
本当に必要なものを与え続けてくる。人の側が本当に神さまの願いを感じて、神さまのお手伝いをしたいという
気持ちになったら、同じ神さまの働き、降り方でも、全部違う。大きい力を奮える降り方をする。

だから人の願い一つ。本当に人の願いがまともな願いだったら、地球でも一瞬に変わる。
虚の世界を一瞬に消してくれる。そんなのなんの力も要らない。真の神さまの力から見たら、
虚の世界を消すくらい、一瞬。

だからそれが出来ないのは、人の自由意志がまだ神さまを受け入れていない。
だからマイナスや虚の世界のすがたに力があるからではない。マイナスに力は無い、闇に力は無い、虚に力は無い。
ただ真の神さまを受け入れるかどうか。光を受け入れるか、プラスを受け入れるか、本物を受け入れるか、
この、人の願いがどこにあるかだけ。だから虚の世界のつまらないものをつかんで満足しているようだったら、
何も願っていない。真の神さまを完全に無視している。受け入れようとしてない。
本当に無視して受け入れない、完全に拒絶する、そんなところに神さまは無理やり押し込んでは入れない。
扉を全部閉めているのに、窓を叩き割って出来ない。そこが問題なだけ。それで真の神さまのお手伝いを
したいという気持ちを起こさせるため、色々計画しながら、助け続けて、させてくる。

今回はみんなのポスティングのすがたを見て、大きく降り立てるって、神さまが決めた。
だから護摩木の書き方まで大きく変化させてくる。というより、真の神さまが降り立ったら、
真実の世界のすがたがそのまま同時に降りてくる。本当の支え合いのすがたが降りてくる。
神さまが一人ひとりを使ってくる。神さまが使うというのは、神さまが一番いい方法を降ろしてくる。
一人ひとりが神さまに使ってもらえる。自分の中を通り抜けてもらうから、神さまの智恵で導かれる。
一番必要なふさわしい方法を、神さまが実行させてくる。

護摩木の書き方が大きく変化するのもそういう一つ。お祈りの仕方もどんどん変化させてくる。
大きいお祈りが出来るように変化させてくる。絶対の中心へ戻れるように引き上げてくる。
全てにおいて、真実の世界と同じようなすがたを具体化させてくる。だから虚の世界を変えるのではない。
真実の世界のすがたをそこで埋め尽くしてくる。虚の世界は、真実の世界のすがたがないという世界。
そこを真実の世界のすがたで埋めたらおしまい。だから埋め尽くしてくる。我の自分、思いの自分、
マイナスが一切消える。そしたら幸せな自分、本心の自分に戻ってくる。ただ本心の自分に戻っても、
小さかったら、また虚の世界に転落する可能性はある。もう一回過去をつかんでしまうかもしれない。
大きくだったら本当はつかまない。小さくなるからつかんでくる。

絶対の中心っていうそこから大きく与えている自分は、絶対大丈夫。それを忘れるから、同じ真実の世界でも、
小さい世界に落ちる、小さい世界に落ちて、更に小さい世界に落ちて、小さくなってスピードが落ちたような
状態になると、掴みやすくなる。そこで執着が起こる。だから常に自分を大きく大きく引き戻していかないとダメ。
それが真の神さまを一番大きく与える生き方。絶対の中心から、真の神さまを全ての全てに与えようとする生き方。
そこまで戻らないとダメ。小さく与えるのだったら、下に落ちていく。同じ真実の世界においてもそう。
一番大きく与えていく生き方が必要になってくる。だからその練習も兼ねながら。虚の世界でもみんな練習。
虚の世界でも、本心の自分に大きく戻っていく、大きく与える練習。本心の自分に戻ったらさらに大きく与える
練習。でも自分を与えても、大きくならない。反対。真の神さまを、自分を通して前に出さないとダメ。
自分が出しゃばっているのは、小さくなる。虚の世界でもそう。我を出したら、もう一つ小さくなっていく。
本心の世界もそう。自分が前面に出たら、本心の自分が小さくなる。

自分を引っ込めて、真の神さまを前へ前へ押し出すこの生き方。それもスピードを速く。
大きく大きく押し出したら、自分が大きく戻っていく。そしたら自分の中を真の神さまが循環する、
通り抜けてくれる。これが一番幸せな大きい自分に戻っていく生き方。

それで真祈りが必要になる。真の神さまを与え続けるという真祈りがいる。大きく大きく与え続けるという、
真祈りの練習が一番必要になる。護摩木を書くのが、一番の真祈りの練習。目的がないと祈れない、忘れる。
護摩木に書くというのは、目的が定まる。書かなければならない、いつまでに、となったら、
絶対祈らないと書けない。祈りの練習がしっかりとできる、本当はそのためにある。

そしてその今回からの護摩の書き方が、どれだけ自分が救いの対象を大きくしていくか。
これも大きく与える練習。出来るだけたくさんに真の神さまを与える練習。これも真祈りの練習。
大きく大きく与えていこうという練習になっている。またその練習をすると、本心の自分に戻ってからも、
更にそれがプラスに変わる。大きく大きく、与えていこうとする練習を積み重ねていることになる。
そしたら、絶対の中心に早く戻してもらえる。今は地球を真の神さまで埋め尽くす。この練習。

これもやっぱり、自分のふさわしい場で練習しないと身につかない。あまりにも大きすぎたら、
漠然としすぎて実行できない。小さすぎても役に立たない。だから今の自分にとって、何が一番ふさわしいか。
本当は地球規模で、地球の全体で真の神さまを与え続けるというぐらいの気持ちには、早くなってほしい。
地球全体を真の神さまで埋め尽くす。それを新たに新たに与え続ける、このぐらいの気持ちになると、
早く本心に戻れる。でも一足飛びにはまだ行かないと思う。まだ自分の事ばっかり考えている人に取ったら
小さくなる。でも自分の周りの全てに幸せを与えたい、身近から、本当の幸せを与えたいっていう願いを
起こしたら、周りに真の神さまを与え続ける、祈りの練習が出来る。

ただ真の神さまを与えなかったら、どんな問題もマイナスも消えない。人を幸せには出来ない。
自分の力で出来ると思ったら違う。周りの人の持っている問題、自分が解決できるか。
どういう原因でそうなっているか、見抜けない。どれだけ根が深いかもわからない。
真の神さまは全部見通している。何を消して、何を与えたらいいかわかる。マイナスだけ消したって役に立たない。
また同じことを繰り返すかもしれない。本心の自覚を与えてこないとダメ。
本心の自覚は、真の神さまでないと与えられない。真の神さまが前面に出て、マイナスを消しながら、
本心の自覚を与える。だから真の神さまを与えるしか方法は無い。身近から、周りの人に真の神さまを与え続ける、
これが真祈りの練習。その時は、神さまが小さく自分を使う。大きくまだ使えないから、
小さく自分の中を通り抜ける。だから救いの対象をどんどん殖やすほどいい。
そうすると大きく自分の中を循環してくれる。だからどれだけ救いの対象を広げて、護摩木をしっかり書けるか。
沢山書くほど、大きく書くほど、真の神さまは自分の中を大きく通り抜けてくれる。
そしたら本心の自覚が深くなる。大きい本心に戻っていける。

だから人を救うのが目的と違う。みんなを護摩木に託して、救うために宇宙船に乗せて、
神さまの愛の光の流れの中に入れてあげる、これは本当は違う、反対かもしれない。
自分のお祈りの練習のため。自分を本当の自分、本心の自分に戻してもらうため。神さまのお手伝いってそう。
本当は、大きい意味で自分のマイナスを全部消してもらうすがた。虚の世界は全部自分のマイナス。
もし自分にマイナスが無かったら、真実の世界に戻っている。虚の世界が自分の中に出てくるっていうのは、
やっぱり自分が虚の世界を作っている。虚の世界のマイナスは、全部自分の作ったマイナス。
そういう意味だったら、神さまにただ助け続けてもらうための、護摩木書き、お手伝い。
護摩木を書くことで、真祈りを祈ることで、神さまの助けを受け入れて、全てのマイナス、虚を消してもらう。
本心の自分に戻してもらって、真実の世界に戻る。

常に神さまと一対一の関係に立つほど、本物になる。一対一を忘れたら、自分が小さくなる。
小さくなると、本心から遠ざかっている、我の自分に陥りやすい。だからすべて自分のマイナス、
責任と思った方が、大きい自分に戻れる、本心に戻りやすい。だから総責任者の心って必要。
一番大きい立場に立つ自分になる。それと同時に、自分一人でしようというのは、表に我が出てくる。
真の神さまの助けだけ、支えだけ、って見る方がいい。それが周りの全てを通して出てくる。
それが、みんなの助け・支えになっている。これも誰かの支えではない。真の神さまの支え、助け。
みんなを通して、全体を通して出てくる真の神さまの助け。ここでも真の神さまと一対一ととらえないと
間違うのはそこ。誰かの助けと言うと、ここで真の神さまを無視したことになる。
常に真の神さまからの、支え、助け。どこを通して出て来ても。そしたら本心の自分に戻る生き方を
とったことになる。

でも、ここまで神さまがずーっと護り続けて、変えてくれた。常に変え続けてくれているけど、
更にここでまた、人の自由意志が問われる。どっちを選ぶか。常にプラスかマイナスかって選ぶのは自分。
安心したらダメ。プラスを選び続けて、本当の自分に戻っていく。

(平成26年12月27日のお話②)