自分の生き方を定めないとダメ。どの生き方を自分の生き方として定めるか。求める心を全部捨てないとダメ。
受ける心も捨てる、与える心も捨てる。この3つは、完全に捨てないとダメ。どっちも自分がのさばり出ている。
自分が表に出てくる。与えると言っても、自分が出てくる。自分が与えているになるから。
自分を出したら、みんな邪魔をしている。支えるになって初めて、自分を出さずに神さまを出そうとする。
邪魔を少なくしようとしている。だから、神さまの力がそのまま降りてくる。神さまが力を振るって、
マイナスを消して、プラスを与える必要な助けをちゃんとしてくれる。

だからどんな生き方を選ぶか。どの生き方も選べる。自分が今低い立場でいる、つかんでいる、
でも一瞬に変えられる。一瞬の言葉通り。いつまでもマイナスの言葉を使い続けたら、その立場から離れることは
不可能。言葉で言葉通りの立場に立てる。高い世界の言葉ほど、一瞬で全部を変える力がある。
低い世界の言葉は、同じマイナスの言葉でも、積み重ねないと力を発揮しない。
高い世界ほど、一瞬の言葉で変わってくるから上りやすい筈。低く落ちるのはマイナスの言葉を沢山積み重ねないと、
落ちることができない。低い立場に立つ方が難しい。それを自分が自由意志でどこを選ぶか。

やっぱり自分で選んでいる。勝手にはなっていない。自分がしつこく、とことん選んでいる。
マイナスの低い世界を選んでいるのは、自分がその言葉通り、しっかりマイナスの言葉を使い続けている。
過去に使ったというのは違う、今使っている。今使わなかったらマイナスにならない。
しつこく心の中でもマイナスの言葉を使い続けている。これが問題。自分がマイナスの言葉を選んでいるから。

だから本当に、真の神さまだけ、真のプラスだけって選んでいるか考えたら、自分をしっかりと見つめたらわかるはず。
本当に支え合う生き方を選ぶんだ、本当に神さまだけを前に出すんだ、真祈りだけを祈るんだって決めたらいい。
その通りになる。本当の支え合う生き方が実行出来る自分。そしたらみんなに支えてもらう自分。
支え合いに必ずなる。だからまず自分を出さないこと、我を一切出さないこと。一番自然で楽な生き方。
自分を出さないこと。全部神さまがしてくれている。何もかも全部してくれているのに、自分を出すから間違うだけ。
神さまがしてくれていることを自分がしているって、虎の威を借りる狐以上。間違う。
みんな神さまがしてくれているのに、自分がしているなんて、一言も言えるわけないのに、
自分を出したい人はそう言う。

徹底して我を消すこと。それが神さまの第一段階のお手伝い。邪魔しないっていうお手伝い。
我がなくなったら、神さまを与え続ける、加速する本当のお手伝い。そしたら、真の神さまだけっていう
実感(観)を神さまの方から与えてくる。いつそれを選んで自分のものに出来るか。本当の悟りは、一瞬で決まる。
時間をかけてではない。一瞬で決まる。これを忘れてはダメ。高い世界の本当の祈り言葉は、
一瞬で全部変える力がある。元々の自由自在な本心の自分が最高の言葉を選んで、一瞬に命を懸けて唱えたら、
その言葉は無限倍の大きな力になる。そしたら過去の我が全部消える。過去の我があるからどうのこうのとは言えない。
そうではない。下から上っていく悟りは偽物。新たに降りてくるのが本物。だから一瞬に新たに降りられる。
過去を全部消してからと違う。新たに降りたら過去を全部消せる。みんな反対に見ている。

過去を消さないと上に上がれない、これは下から上ろうとする生き方。これは永遠に不可能。
でも新たに降り注ぐ、新たに降りる自分は過去を一切全部消せる。悟った自分がスッと出てくる。
これから悟るのではない、悟った自分が降りてくる。一瞬で悟った自分。だから過去を一切相手にしないこと。
常に新たな自分。真の神さまだけを相手にする自分、これが正しい生き方。だから肉体が自分なんて思ったら
大間違い。魂が自分も大間違い。そんな我の自分を生きたら、絶対幸せになれない。
みんな真祈りから外れたら、地獄への道をまっしぐらに進んでいる、転がり落ちている。

宗教団体に入るとか、入らないとか、そんなことは問題ではない。真祈りを実行できるかどうか。
真祈りを実行出来たら、悟りへの道。真祈りを実行できなかったら、地獄への道、破滅への道を転がり落ちている。
だからどれだけ助けてもらっても、自分が真祈りをできるようになかったら、本物ではない、独り立ちできない。
助けて続けてもらって地獄に堕ちないというのと、自分が真祈りを祈って地獄を消してしまえるのとでは、全然違う。
まず自分が真祈りを祈れる自分に早く戻ること、一瞬に決めないとダメ。一瞬一瞬決めて、真剣に祈ること。
そしたら祈れる自分になる。

(平成26年11月1日のお話④)