まず自分とは何か。肉体が自分、魂が自分、いのちが自分、なんて虚の世界の姿を自分と掴んだら、小さすぎる。
どれだけ大きい自分でも、自分の為に生きたら小さくなる。本心の自分でも、自分の為にと言ったら小さくなる。
これが一番間違っている。自分の為にと言ったら、求める心。求める心を生きたら小さくなる。
求めるとみんなから奪う。同じ姿で、全部奪い取られて小さくなる、自分のものがなくなる。受けるのもダメ。
循環を止めるから。与えてもらって喜んで受けた、循環が止まる。今一回受けただけで終わる。
だから、与える練習を始める。でも、与えるのでも、自分のものを与えても、真のプラスを与えるのではない。
あくまでも、与える練習だけ。本当の清らかな流れではない。濁流を与えているようなもの。
汚れを与えているようなもの。

 本当の一大循環の相象も、真の一大循環の相象と虚の世界で言うような循環とは違う。
真の神さまの世界の清らかな流れは、どんな汚れもない。絶対汚れない。汚れが付かない。
絶対、汚れが付いていかない。濁らない。でも、虚の世界は、汚れる。濁る。濁っている。同じ流れでも違う。

本当の悟りを開く、真の神さまが本当の自分って、本心の自覚を本当に深める為に必要なのは、
真の神さまのお手伝いに生きることだけ。それ以外には、みんなに助けてもらえない。
だから、それをしっかりと目的・目標にして、神さまのお手伝いに生きたら、もうそれだけに生きたら、
みんなに助けてもらえる。全体に助けてもらえる。これも、自分が自分がって出たらダメ。邪魔するだけ。
一瞬一瞬、神さまの御心を問い返して、謙虚に素直に「はい」と言わないと。

神さまの指図というのは、一瞬一瞬変わるの。右へ行け、次に左に行け。前へ行け、後ろに行け。
上へ行け、下へ行けって、もう自由自在に変化する。なぜか?過去の縛りを全部解く為。
自分が、言葉・思いの縛りでがんじがらめに縛られて、くくられていたら、その縛りを解くだけでも大変。
過去の縛りを全部解いていかないとダメとなったら、大変なの。振り回される。
だから、その縛りを上手に簡単に解いてくれているの。神さまは、真祈りを加えるから、草薙の剣を持って、
自分をくくっているロープを全部断ち切ってくれる。断ち切ってくれても、そのロープを外さないとダメ。
断ち切ったロープを右に行け、左に行けって引っ張られるの。縛りを大きく解いてくれているの。
切っただけではダメなの。それを自分から外してもらわないとダメ。だから、ちょっと右に行け、左に行け、
次に右に行け、左に行けってどんどん変わるのは当たり前。ところが、草薙の剣が断ち切ってくれなかったら、
1本のロープがぐるぐるぐるぐる、全部繋がっている。巻き戻したらどうなるか。
ちょっとロープを解くだけでも大変なことになる。1本のロープを外すだけで無限に回転しないといけない。
1本のロープでもそう。それがもう、色んなロープが一杯絡み付いて縛っていたら、解けない。
だから真の神さまが降り立って、ロープを断ち切って、切ったロープを振り回して取ってくれないとダメなの。

だから、真の神さまの導きは、常に右へ行け、左に行け、色々一瞬一瞬変えて、指図してくる。
我を出さないように、謙虚になるように、素直になるようにって、訓練してくれている。
そしたら、我が思いが、消えていっている。縛りが全部解けていっている。それで、最後に本心が出てくる。
その時、本心も真の神さまの御心のままに、素直になっている。これも練習によって、どんどんどんどん
神さまのお手伝いができるように変わっていく。

本心の自分が、神さまに命を捧げて、お手伝いに入る時、まず自分が絶対出ない。自分を出さない。
真の神さまだけを前面に出して送り出す。だから、みんなに本当に必要なものを与えると言ったら、
真の神さまでないと与え切れない。もし、自分が出たら、自分がみんなの為に、一瞬にしてみんなの必要なものを
見抜いて、本当に必要なものを与えられるかどうか、考えたらよくわかる。一人の人に対してすら、与えられない。
一瞬一瞬変化することも見抜けない。何が必要か、一瞬一瞬変化していても、見抜けない。
また、それに気づいても、一瞬にして必要なものを与えられるか、与えられない。本心の自分でも不可能。
そしたら、我の自分、思いの自分は、何もできない。邪魔するだけ。

だから、一切自分を出さない生き方がいる。邪魔しない生き方が必要になる。真の神さまに全てを委ねる、
全託するというのが絶対必要になる。それで、真の神さまが自分を通して働いてくれたら、
みんなに必要なものを的確に与えてくれる。無色透明の輝きとなって、光源と光の流れになって、
一瞬に必要なものに変身する。段階ごとに、本当に必要なものに変身して与え続けてくれる。
その流れを加速するのが本心の役目。ありがとうございます、ありがとうございますで、流れを加速すればいい。
そうすると、早くみんなに必要なものが届く。このスピードが遅くなったら、必要なものが与えてもらうのに
時間がかかるだけの話。

だから、真の神さまのお手伝いは、真祈りを与える、一大循環の流れを加速するお手伝い。
これをちょっとでも我を出したら、流れを止める。逆流を起こすから、大きい間違いになる。
だから、まず邪魔をしないこと。我の自分を生きずに、本心の自分を生きようとすること。
本心の自分は、神さまのお手伝い。我の自分は、神さまの邪魔をしに行く。だから、思いの自分を生きたらダメ。
本心の自分を生きる。この違いはどこにあるか?過去を掴んだのが、思いの自分。
絶対の中心から、新たに生まれたのが本心の自分。だから、本心の自分は、一切過去を相手にしない。
常に、新たに新たに、自由自在な自分。神さまが真の自分っていう自分。そこは、神さまの働く場だけ。
自分の力って言ったら、もうおしまい。過去を掴んでいる。自分のものは何も無い。
自分も自分のものも、あったらダメ。過去を掴んでいるから。これは我の自分になっていく。
自分も自分のものもないのがいい。過去を一切掴まないのがいい。そしたら、常に無条件の幸せが湧き上がる、
流れ込む。そこは、全ての幸せが一杯つまっている。だから、我の自分には、幸せなんか無い。
本当の無条件の幸せが湧き上がる自分に早くなるには、もう、ひたすら神さまのお手伝いに生きるだけ。
自分を出したらダメ。だから、神さまを送り出すの。神さまを前面に送り出さないとダメ。
自分を送り出してもらうようだったらダメなの。自分を支えてもらうって、喜んだらダメ。大きい間違い。
自分を支えてもらったらダメなの。自分が神さまを押し出す、支えないとダメ。
そうすると、自分が消えて無くなる。本物の自分に変わる。

だから、本当の真祈りへの道、地図作りは、やっぱり自分自身でしないとダメ。
そして、どの道を歩むかって自分が自由意志で決めないとダメ。どれが最短コースかって。
自分で上ろうとしたらダメ。反対になる。だから、神さまから全て降ろしてもらう。神さまに降りてもらう。
神さまに使ってもらう。これだけ。一番の最短コース。

真の悟り、これは一瞬で決まること。本当に絶対の中心から新たに生まれた自分って、本当に定められたら
一瞬で悟っている。でも、下から上っていこうと思ったら、無限の年月かけても絶対不可能。上らない。
過去を掴んだら不可能になる。だから、過去を掴まない練習をする。新たに新たに、しっかりと自分を生きる。
新たに新たにってね。でもそれも、現実の新たにだったら、また過去の残像の中の新たにになる。それも間違う。
だから、絶対の中心から、新たに新たに。

真の神さまが真の自分。真のプラスが真の自分のプラス。常に、新たに新たに。
絶対の中心から新たに新たにっていう風に、言葉で定める。そしたら、本当の自分。
自由自在な無色透明の一切の我の無い、本当に幸せ一杯の自分になる。本当に言葉だけ。
虚の世界も全部言葉を使って、みんな自分が言葉通りになっている。言葉が食べ物。
虚の世界の自分を作るのは、言葉。マイナスの言葉を食べたら、マイナスの自分になる。
プラスの言葉を食べたら、プラスの自分になっている。でも、真のプラスの言葉は、本心の自分になる。
だから、真のプラスの言葉をしっかりと選んで使わないと、真の自分にならない。
だから、真祈りが必要になる。真祈りのありがとうございますは、本心の自分の最高のご馳走になっている。
常に、本心の自分が最高に幸せ一杯に輝く自分になる。

(平成26年10月4日勉強会のお話③)