本当に実行するというのは、地図の上を見るだけではダメ。実際に歩むこと。
ミニ十界の方は、地図の上で遊んでいる。ままごと遊び。実際に歩むとなったら命懸け。
同じ借金を返すのでも、本当にプラスを持って行かないと消えない。お祈りも本物でないと同じ与えると言っても
消えない。マイナスを消す、その為にプラスを持って行かないとダメ。真剣なお祈りが必要になる。
同じ虚の世界のお祈りでもそう。借金を積み重ねる生き方だったらお祈りにならない。
要らないものを全部捨てて捨てて、捨て切って、邪魔するものを全部捨て切って、必要なだけを残して、
お祈りに入らないと、お祈りを邪魔される。なかなかお祈りに向かない。虚の世界のプラスのお祈りって言っても、
そこまでやらないとプラスにならない。波の合うものを引き寄せてしまう。

お祈りの時の姿勢一つがそう。霊媒に降りる色んな姿を見たらよくわかる。
高い高級な神霊が降りたら、威儀端然として本当に神々しい姿で姿勢がピタッと決まっている。
本当に威圧するようなものが出てくる。そしたら高級神霊が降りてもらう為の姿勢ってどんなものか。
やっぱり背骨を伸ばし、頭を上に上げないとダメ。これも一つの形から入る為の、波を合わせる為の一つの方法。
呼吸でも同じ。丹田呼吸に入らないとダメ。でも本心の自分に戻っていたら自由自在。過去をつかまないから
どんな姿勢でも自由自在。一瞬一瞬、新たにする姿には、形は無い、姿勢なんか問題にしない。
どんな姿勢を取っても一瞬一瞬、捉われた見方の姿は無い。でもそこまで自由自在になるまで行くのに、
最初は型を倣う、癖を直す。そして最後は全ての型を捨てる。

でもみんな下から上ろうとしたら、無限の年月がかかる。これは絶対に肝に銘じておかないとダメ。
なぜ真祈りが今降りてくるか。ポスティング、護摩焚きがあるか。無限の年月がかかるのを、本当に短時間で
悟りの世界に戻そうとする神さまの計らい。真祈りが降りたら、真の神さまが降り立ったら、地獄のどん底の人が、
一瞬で本心の悟りに戻る。ここが違う。ポスティングも同じ。なぜポスティングが必要になったか。
真の神さまが降り立ってくれたら、万倍億倍以上の、大きい力が降り立つ。マイナスを消すだけの力ではない、
本心を輝かす大きい力が降りる。マイナスを消しても本心の自覚がなかったら同じこと。またマイナスに転落する。
真の神さまが降り立つのは、本心の自覚を大きく与える。本心を大きく輝かせてくる。
だからマイナスに堕ちない。どんなマイナスもさっと消えていく。それで真の神さまのお手伝いに生きる、
この生き方をみんなにしっかり実行させようとする。

自分が何かするのではない。反対。自分は何もしない。したらダメ。自分がするのはみんな間違い。
我を積み重ねる、思いを積み重ねる。反対。全て神さまがして下さる。神さまのお蔭で全部出来る。
だから神さまのお手伝いだけに生きる。だから支える・支え合いっていうのは、神さまの為だけに生きる。
神さまの願いだけに生きる。神さまは、みんなの願いを全部叶える為に生きている。
どんな願いも、全ての願いを全部叶えるのが、神さまの願い。それも小さい願いではない。
大きいものを与えようとする願い。これはみんなを本心に戻して、最高の幸せを味わい続けられるように、
本当に神さまと一つになれるように、助け続ける願いを持って、神さまは働いている。

だから本心の自分に戻ったから、自分の大きい願いがどれだけのものかって考えたら、神さまと比べたら、
ゼロと同じ。本心ですら、自分の願いを生きたらダメなの。真の神さまの願いを生きないとダメ。
真の神さまの願いを、自分の願いとして受けて生きるのが大事。だから本当の人生の目的って、
みんな色々考えて答えを出しているけど、肉体の自分の人生の目的なんかマイナス。
魂の人生の目的、これもマイナス。いのちの自分の目的、これもマイナス。
本心の自分の目的、これもまだ小さすぎてダメ。真の神さまの目的が自分の目的に変わらないとダメ。
真の神さまの為だけに生きるのが本心の生き方。そしたら真の神さまの全てと、波がピタッと合う。
真の神さまのバックアップが常に無限に降り注ぐ。各段階ごとに、全部。これも本心の自分に戻っても、
入れ子構造的に無限に段階があるから、自分に合わせた助け方で、神さまは無限倍を降り注がせる。段階ごとに。

だから神さまの護りはいつも完璧。だから小学生は小学生の助けがある、中学生は中学生の助け、
虚の世界でも段階ごとに助けがある。真の神さまの世界、真実の世界に上がっても、真の神さまが段階ごとに、
自分の成長に合わせて、必要な助けを的確に与え続けてくれる。そしたら自分のしていることは何もない。
虚の世界で救ってもらうのも、自分は何もしてない。本心の世界で上に引き上げて助けてもらうのも、
自分は何もしていない。反対。自分がしたら邪魔をする。全て神さまのお蔭って言わないとダメ。
100%真の神さまのお蔭って言葉にして、それが本当の自分の信念になるまで、叩き込まないとダメ。
この信念が狂うようだったら、間違っている。神さまが絶対の愛なんだって、これも自分の言葉で、
信念になるまで叩き込まないと、ちょっとでも神さまの愛を疑うようだったら、間違っている。

だからその祈りが真祈りになるまでに、無限の祈りが必要になる。祈りを鍛えに鍛えぬかないと、
真祈りになるまで大変。だから一人の祈りではダメなの。24時間+α。+αが大きく加わらないと、
祈りが真祈りに変化しない。だからどれだけ+αを与えてもらえるか。だから自分は真の神さまの為だけに
生きないとダメ。真の神さまへの恩返しに生きるから、全体がそうするの。でも一人の人を助ける為に、
みんなが力を添えるわけがない。みんな真の神さまに奉仕したい。人の為に、誰かの為に、っていうのは、
虚の世界の小さい助け方。みんな偽物になってしまう。真の神さまの為だけに生きる、真の神さまの為だけに、
自分を捧げる、こう決めたら、みんなが助けてくれる、支えてくれる。自分の為にと言ったら、
誰も助けてくれない。人の為にと言っても、助けてくれない。小さすぎる。虚の世界でも高い神さまの出番はない。
出て来てくれない。真の神さまの為に生きるとなったら、大きくなる。虚の世界の神仏全部が、喜んで応援につく。
それでは足りない。だから本心の世界のみんなが、真祈りを祈り続けて支えに出てくる。
そしたら自分もすぐに真祈りを祈れるように、大きく助け続けてもらって、変えてもらえる。

(平成26年10月4日勉強会のお話②)