真の神さまの降り立つところは、いつも一瞬一瞬、新たにというところ。過去を掴んだところには降り立てない。
過去を掴んだところは思いの世界。だから色んな団体や組織や規則や決まりやって作ったらもう、降り立てない。
ここは厳しい。過去を掴むというのは、思いの心になっているから、波が全然違う。
真の神さまは、いつも新たに新たに。新たに新たに、最高のプラスに受けて、新たに神さまが降り立てる。
それも受けるだけでは止めてしまうから、新たに与え続けるという気持ちになって初めて、
神さまがそこに降り立って下さる。降り立てるの。お祈りも与え続けるという気持ちにならないと、
お祈りも、止めるお祈りになってしまう。だから真の神さまを与え続けるだけ、真のプラスを与え続けるだけ、
一大循環の相象を与え続けるだけ、無色透明の光を与え続けるだけ、真の清らかな流れを与え続けるだけ、
っていう風に、それだけでありがとうございますを唱え続けて与え続ける。
そしたら真の神さまが降り立って使いやすい。

真の神さまが降り立って使ってもらった時に初めて、本当のお手伝い。邪魔にならないの。
それ以外は、いつも邪魔していることになる。まず邪魔が小さく少なくなる方がいい。
だから、絶対我を出さないこと、過去を掴まないこと。自分の考えを主張しないこと。
謙虚に謙虚に、神さまの御心を一瞬一瞬伺うこと。必ず神さまの方は、一瞬一瞬変化するはずだから、
絶対過去のことを考えたらダメ。今何が必要か、今何が必要かって、常に新たに新たに、
今必要なことを受け直さないと。そうすると必要なものがスーッと流れ込んでくる。
邪魔さえしなかったら、止めなかったら、絶対の中心の与える圧力は無限に大きい。
無限の水圧になる水が流れ込むような感じ。蛇口を開けたらいいだけ。蛇口を締めるから流れない。
蛇口を開けっ放しにするの。神さまの御用にお使いくださいと言うのは、蛇口を開けないと。
開けることが、お手伝い。そうしたら、必要なものがさーっと流れる。ほとばしるように流れる。
一番根本の考え方をしっかりと身に着けて、自分が真の神さまのお手伝いだけに生きるって定めて、
あとはみんなで支え合う、助け合う。そこに神さまが降り立ったら、全部神さまがしてくれる。
自分がするのは間違い。神さまが自分を通して全部してくれる。こういう感覚が正しい。

自分のするのは、我でしている。過去の経験、体験なんて、自分の能力として見ている、これは大きい間違い。
みんな神さまの与えるものにストップをかけている。だから自分がしたら絶対ダメ。
自分がするのはみんな我の動き。全部神さまにしてもらっているという気持ちになってきたら、本物になる。
だから与えっぱなしでいいの。与えっぱなしの心になって、神さまのお手伝いに生きる。
そうしたら自然に神さまが働く。神さまはみんなのいのちを使って、虚の世界を全部清めたい。
そのためにみんなが必要だから、使ってほしいっていう願いをみんなに出してほしい。これを待っているの。
いくら虚の世界を清めようと思っても、みんなの願いが我の心だけだったら、絶対に降り立てない。
虚の世界のどこも清めることはできない。いくら虚の世界がどんどん膨らんでも、手の施しようがない。
願いが違うから。人の自由を縛って、全体を清めて消すわけにはいかない。

虚の世界にいて、なおかつ神さまのお手伝いをしたいという人が出て来て、初めて降り立てる。
そして虚の世界を清めて消し去るのが可能になる。ただ、一人や二人だったら、ダメなの。
我の強い人があまりにも多すぎて。その人たちの自由意志を無視しては出来ない。
真祈りを祈るようになって、神さまのお手伝いをする人が、一万人くらいになったら、
地球全体でもスーッと清まる。神さまが人の自由意志に従って降り立って働けるから。
百人ぐらいでもダメだと思う。他の人の数があまりに多すぎる。多数決で言ったら負けてしまう。
自由意志って一番大事なの。真祈りを祈って、神さまのお手伝いをしたいって、願いを起こす人が、
一万人になったらいい。そこへ真の神さまが降り立ったら、大きい働きで、みんなの思い、我を消せる。
縁者の思い、我を消したら、自然にスーッと清まってしまう。

これから真祈りを祈れる人を増やすために、どういう働きかけをしていったらいいか、色んな働きかけが、
自由自在に出来てこないと。今はポスティングを主力にしている。まだ、本を読ませたり、そんな考えはないの。
真の神さまに降り立ってもらう、この練習。無色透明の光に降り立ってもらって、
必要なところにスーッと、第一段階、清め尽くしてもらわないとダメ。でもそれだけで全部終わるのではない。
次の段階、次の段階ってまた出てくる。必要な勉強材料を与えるのは、またその後。
それも、それを必要とする人を与える。だから求める心、受ける心、低い虚の世界の与える心ではダメ。
やっぱり本物を目指す人、真の神さまのお手伝いに生きて与え尽す人、この人を相手に、
必要なものを与えないとダメ。だから本当に必要なものを与えて行かないと、本当は役に立たない。
無駄になってしまう。

だからここから色んな資料を送っているけど、数でいうとわずか。千や二千じゃわずか。
これから本当はもっともっと大勢を対象に、必要なものを与えて行かないと、真祈りを祈れる人を
一万人に殖やすわけにはいかない。だから本当に必要なだけの送り方をしていかないとダメ。
いつも百万人に送って、必要な一万人をピックアップ出来るか。そんなことは不可能。
いつも百万人に送ると言ったら、大変なこと。無駄も多すぎる。ポスティングですら、百万部を配るのは大変。
お金もかかる、手間暇がいっぱいかかる。大変。それももっと必要な資料を一杯与えると言ったら、
百万人を無造作に選んで、対象を決めずにやったら、もっと大変。何倍も大変。
やっぱり厳選していかないとダメ。必要な人を選ばないとダメ。真祈りを祈れる人にしていくために
可能性のある人を選んで、そこへ必要なものを、的確にずーっと与え続ける。
これを色んな角度から点検して工夫して、それを実行しないと。それが真の神さまのお手伝いに入っていく。

これは一人や二人で出来ることと違う。常にみんなで点検しないと。ここにいる人だけじゃダメ。
全国の全部が手を取り合わないとダメ。必要な情報が手に入らない。自分一人でちょっとした情報を
持っていたって、役に立たない。自分一人でするのは、ダメなの。これは真の神さまのお手伝いではない。
真の神さまのお手伝いはみんなでするの。常にみんなで力を合わせないとダメ。そしたら本当に必要なことが
スーッと出てくる。みんなで支え合うというところに、真の神さまの大きい知恵が働く。
智恵と知識の違いって、天地ほど、雲泥の違いがある。知識で掴んだものは、全部一通りにしか受けられない。
智恵の場合は、無限通りに降りてくる。だから、必要なものがスーッと必要に応じて入ってくる。
全体を動かすために、支え合う人の誰かを通って入ってくる。

だからこれから色んな働きかけをする上で、名簿作りも、色んな名簿作りが必要になる。
色んな資料作りが必要になる。必要なものを必要なところに届けないといけない。
無駄を全部省いて行かないといけない。小学生や中学生に大学の本を送ったって役に立たない。
みんな無駄になるだけ。将来役に立つかもしれないってしても、必要ない、無駄なの。邪魔するだけ。
本当に必要な人に必要なだけを与えて行くのがいい。自分たちの生き方が、支える、支え合う生き方に
なっていたら、そこへ波の合う人が必ず、導かれてくる。みんな神さまが計らって導いてくる。
縁繋ぎしてくる。だから新しい人の中に、それが必ず出てくる。過去にあった人でも、
心境が変化したらまた出てくる。これは常に過去をどうのこうのではない。いつも常に、新たに、新たに。
過去の繋がった人、新たに繋がる人、全部無関係。常に神さまの働きかけは、新たに新たに、一瞬一瞬、
新たに新たに。それで波の合うものを寄せてくれる。そこでどれだけ必要なものを支え合えるように
与えて行けるか。

真の神さまに降り立ってもらうために、一番必要なことは、絶対過去を掴まないこと。
絶対組織や団体を作ったらダメ。組織や団体は、過去を掴んで積み重ねたことになる。
そこには絶対真の神さまは降り立たない。そしたら本当の力は全然ない。何をしてもマイナスを積み重ねる。
大きい業が溜まっていくのはそこ。絶対過去を掴まない生き方で、組織や団体にならないようにする。
一人ひとりが真の神さまと直結できるように、助け合わないとダメ。みんなが真の神さまのお手伝いに生きる、
これだけでいいの。そしてみんなが支え合ったら、神さまの世界の、支え合う一番高い世界のすがたになる。
一人ひとりが支える、これはまだ個人プレー。いくら全体へ真の神さまを与え続けて支えているって言っても、
これはまだ個人プレー。それが本物になったら、神さまの世界の支え合うは、みんなが同じようにしてくれる。
だから支え合いで、無限の人がいたら、無限の力が一つになる、無限倍になるっていう、その支え合いが本物。
だから絶対自分一人でっていうのは、間違う。常に全体と一緒に、みんなと一緒に、って
自分がどんな生き方をしても、常にそう。自分が本当の支える生き方を取っていても、自分一人ではダメ。
みんなに支えてもらう生き方にならないと、自分が偽物、小さいものになってしまう。

(平成26年6月21日のお話②)