今日は、本当に必要なものは何かってもう一回確認したい。本当に、本当に、本当に、必要なものは何か。
真の神さまが何を本当に必要としているか。これが本物の必要なもの。真の神さまの働きっていうのは、
絶対の中心、一番大きいところから、全方向から、本当に必要なものを的確に与え続けるすがた。
それで循環するすがたをとっている、一大循環のすがた。このお手伝い。虚の世界は、循環の止まった世界。
過去を掴んで残像になっている世界。だから循環していない。循環していないところに
神さまの循環を持ってこないとダメ。だから真の神さまのお手伝い。循環させること。虚の世界を循環させること。


虚の世界は、どういう風になっているかというと、まず求める心、受ける心は、完全にストップをかける。
求める世界は、完全にストップした逆流の世界。受ける心もまだ止まってしまう、止めてしまう世界。
与える世界は、与えるのでも、どこに与えるか。菩薩・仏っていうのは、求める人や受ける人に
いくらプラスを与えても、結局与えたものが、求める心と受ける心で止まってしまう。
そしたら同じ与えても循環しない。虚の世界で上の方は、与えるけど、大きく与えても、
虚の世界に与えるのだったら循環しない。

どこへ投げ出すか。真の神さまに投げ出すのが必要。このいのち、神さまの御用にお使いくださいと
投げ出した時、真の神さまが使ってくれた時に、マイナスも虚のプラスも、真のプラスに置き換えてもらえる。
その時から、循環を始める。だからプラスになってくる。虚の世界の中だけでの働きでは、
求めても受けても、与えてもダメ。虚の世界は絶対に消えない。思いや我は絶対に消えない。
最初はみんな求める心を生きて、受ける心になって、与える心を起こして、今度は段々と真の神さまを
相手に生きるようになる。真の神さまに対して、このいのちをお使いくださいっていう風に。
そして神さまに使ってもらうようになって初めて、支える・支え合う生き方を身につけさせてもらう。
支える・支え合うまで行かないとダメ。そこまで行って本当の神さまのお手伝い。
神さまのお手伝いにならないと、まだ神さまの邪魔をしている。

真の神さまのお手伝いに入るために、何が必要か。まず自分自身が、求める心を起こしたら、
求める世界と波長が合う。そこに自分を置いている限りは、真の神さまの助けもないし、
お手伝いは絶対にできない。受ける心でもダメ。自分がいくら感謝して全部プラスに受けたって、
これは受ける心だから、真の神さまのお手伝いは出来ない。与える心も同じ。虚の世界の、困っている人に
いくら与え尽して、与えっぱなしで与え尽しても、これもダメ。真の神さまのお手伝いには絶対ならない。
そういう立場に自分を置いたらダメなの。真の神さまに、降り立ってもらうという立場に自分を置かないと。
真の神さまに自分を使ってもらうこと。神さまの御用に使ってくださいと使ってもらった時から、
真の神さまのお手伝いに入る。

そしたら自分たちはいったい何をしたらいいか。本当に必要なことをさせてもらうために、何が必要か。
まず求める心を相手にしたらダメ。受ける心の人を相手にしてもダメ。与えるって言って、
いくら世の中のために、与える生き方の人を相手にしてもダメなの。自分たちは、あくまでも、
真の神さまのお手伝いに生きようとする。真の神さまのお手伝いに生きようとする人をピックアップして、
必要なものを与えて、助けあわないとダメ。そうしないと、本当のお手伝いにならない。

今までは、全然区別をしていなかった。全部ごちゃ混ぜになって、混沌としていた。必要なものを必要なところへ
与えていない。だから考え方によっては、保育園があって、幼稚園があって、小学校、中学校、高校、大学と、
全部一緒に勉強をしていたような感じ。それが、神さまがだんだんと違いをはっきりさせてくれている。
まず神さまが、少しずつ順番に降り立って、振り分けてくれている。
保育園は保育園、幼稚園は幼稚園、小学校は小学校って全部わかるように区分けしてくれている。
それぞれに必要なものを与えようとする。

でもみんなのしなければならない神さまのお手伝いは、保育園や幼稚園や小学校、中学校を相手にするのではない。
高校、大学の人を相手に、真の神さまのお手伝いに入りたいという人を相手にするの。
いくら世の中を良くするために、っていくら与える心になっていても、それは役に立たない。
真の神さまのお手伝いにならない、邪魔するだけ。我の心でいくら素晴らしいことをしていると言っても、ダメ。
そこには真の神さまは働けない。だから我を積み重ねる。だから菩薩や仏の世界でも、真の神さまのお手伝いに
生きようという人でないと、ダメなの。そういう人と波が合って、助け合いで、必要なものを与え尽すことによって、
真祈りが祈れるように、みんなが助け合って順番に上っていくの。

だからみんなのこれからの真の神さまのお手伝いをする活動っていうのは、真祈りを祈れる人を、養成する、
育て上げること。そのお手伝い。そうしたら真の神さまが降り立ちやすくなって、虚の世界がすっと消える。
真の神さまが虚の世界に降り立つというのは、本当のプラスを与え続ける。マイナスを相手にしていない。
プラスで埋め尽くす。新たなる無限の無限のプラスが無限に無限に一杯って。
これが絶対の中心から、一番大きいところから、中に向かって循環して、そして戻って行く。
一番末端まで、降り続けてくれる。縦線のプラスだけが、全方向から降り注ぐ。
また一大循環の相象で、必要なものを全部的確に与えようとして降り立ってくれる。
そして無色透明の光になって、本当に必要なところで、スッと変身する。必要なすがたに変身して、
的確に必要なものを与え続けてくれる。そして本当に清らかな流れを循環させてくる。
下がどれだけ濁った濁流でも、清らかな水の流れが上からサッと来たら、全部を押し流す。
一瞬で全部が清らかになっていく。神さまの清め方は、そういう働き。大きい清らかな流れをすっと与えてくる。
マイナスを相手にしなくていい。マイナスをすっと押し出してしまうだけだから。押し流して消してしまうだけ。
マイナスを消すための努力なんか要らない。そのままプラスの大きい清らかな流れをすっと与えてくるだけ。
だから真の神さまに降り立ってもらうことだけが、虚の世界を清めて消すの。一切の思いを、我を消すの。

今までは色んなこと、要らないことをしすぎていた。そうすると本当に必要なことが絞り切って出来ていない。
無駄が多すぎる。本当に必要なものの循環になっていなかった。邪魔するものが一杯あった。
みんなまだまだ支え合うという、力を一つに合わせるという生き方が、なかなか取れていない。
やっぱり能力のある人は個人プレーに走る。自分一人でしてしまう。これが間違い。
真の神さまのお手伝いに生きるというなら、個人プレーに走ったら絶対ダメなの。
神さまのお手伝いだったら自分が出たらダメ。下から支えてみんなでしないとダメ。
そうしないと真の神さまはそこに降り立てない。まず波が違うの。

どんないいことをしているようでも、例えば虚の世界で、高い神仏というのは、これが必要だと言って、
自分の全てを与え尽している。ところがそれは真の神さまのお手伝いではない。
自分を与えているけども、本当の循環、真の神さまのお手伝いになっていない。
それは真の神さまに自分を使ってもらってないから。真の神さまに自分を使ってもらわないとダメ。

だから一つのことをする時に、一旦自分を白紙に戻して、自分の願いを全部捨てないとダメ。
自分が、能力があるからと言って、一人でしてしまったらダメ。我が出ているの。
真の神さまは絶対に降り立たない。みんなでしないとダメ。みんなで力を合わせた時に、支え合うすがたで、
神さまが降り立ちやすい。本当に神さまのお手伝いに生きる人が一人しかいなかったら、仕方がない。
一人しかないというのであれば、真の神さまは、ちょっとは降りてくれる。
でも大きく降りてもらうのは、支え合いにならないとダメ。一人や二人が、真祈りを祈ったからってダメなの。
大勢が支え合った時に、真の神さまは降り立てる。

だからどんな仕事をするのもそう。どんな小さいことも、みんなでしないとダメ。
真祈りを目指す人が支え合いをして、真の神さまに降り立ってもらう。それで1つのことをした時に、
真の神さまは降り立って下さる、その時に大きい働きをして下さる。その徳を全部みんなが平等に、
大きく全体にもらわないとダメ。自分一人いいことをして、自分一人高めてもらっても、これは役に立たない。
みんなが同時に上げてもらわないと、真祈りを祈れる人を増やすわけにはいかない。
だから真祈りを祈る人を、一万人早く養成したいとなったら、それが一番必要となったら、
そのための生き方が必要。だから支え合わないとダメ。どんな小さいことでも支え合って、
一つのことをしてしまう。それも支え合うことで、スピード化することで、より真の神さまが降り立ちやすい。

そしてその必要性が一瞬一瞬変化する。絶対に過去を掴めない。今右に行くのが必要、次に左に行くのが
必要になったら、瞬間に変わらないとダメ。過去を掴む思いの心には、これが出来ない。
我の自分には絶対できない。右に行くのがいいと思っていたら、右に行き続ける。方向転換できない。
一瞬に変わらないとダメなのに、変えられない。特に一人だったらダメ。
支え合う時は、みんなの力で方向転換出来る。我を出さなかったら、全体を大きく動かすのは、
神さましか動かせないから、個人で動かない。神さまが動かしてくるから、必要なところで方向転換がスッと行く。
でも一人一人がばらばらになったら、みんなが違う方へ行ってしまう。

今までは、混沌とした中でそれぞれに精一杯やった、これでいい。でも今からはまた違う。
真の神さまの本当のお手伝い。それも本当の本当の、本当のお手伝い。これを目指さないと。
そして真の神さまに大きく降り立ってもらう。それも絶えず降り立ってもらうようになってこないと。
今降り立ってもらった、またずっと降り立ってもらっていない時間があって、また降り立ってもらった。
これではまだ足りない。回数多く降り立ってもらう、虚の世界の清めのために、虚の世界を消しきるために、
これが必要なの。

だから真祈りを一人一人が祈る、まだまだ一人一人の祈りはまだ真祈りになっていない、本物ではない。
でもみんなが心を一つにして祈りあった時は、真祈りに近づく。そこはみんなの最高レベルに合わせて、
色んな神様が応援するから、全体を真祈りに近づけてくれる。でも個人のお祈りではまだまだ足りない。
祈りの練習も回数も足りない。護摩焚きも同じ。真祈りの護摩焚き。
相乗効果を起こして、本当に大きい働きになった時は真祈りになる。ポスティングも同じ。
真の神さまが、降り立ってくれるポスティングは、真祈り。虚の世界を大きくスッと清らかな流れで押し出して
消してくる。最初から最後まで、真の神さまに降り立ってもらうことだけが、必要なの。
そのためのお手伝いをこれからしていくの。

(平成26年6月21日のお話①)