根本の目的、真の神さまはなぜ、今の時期にこうやってポスティングをさせてくるか、
真祈りを祈らせようとしてくるか。それが神さまの愛の凄さ。
何億年以上、虚の世界で彷徨って、苦しみ続けて、やっと真の神さまに心を向けるように、
仕向けてもらっている。真の神さまの働きが降りなかったら、虚の世界で迷い続けるだけ。
真の神さまの存在に気付かない。本当にプラスだけの世界なんてものがあるとは思わない。
今までの地球上でも、虚の世界の教えは全部そう。必ず対極にマイナスが生まれた教えばっかり。
だから虚の世界になっている。それを本当のプラスだけに変えて、虚の世界を消す。

だから虚の世界を本当の意味で消すには、真の神さまの本当のプラスだけが降りないとダメ。
それが今の時期、神さまが時期を選んで、必要なものを与えてくる時期になっている。
それが今のポスティングの一つの働きでもある。

だからポスティングも神さまの視点で観ないと、何もわからない。神さまが、全部してくれている。
全て、100%、全部神さまがすること。それで虚の世界の一番高い世界の神仏全部、総動員をかけている。
神さまは全部を使ってくる。守護霊さん守護神さんを使って、みんなを動かしている、その程度ではない。
虚の世界の最高レベルを全部使って、救済の神さまを全部使って、守護神さんを全部使って、
そして一人の肉体人間も動かしてくる。そこまでしないと、真の神さまが降り立つポスティングは出来ない。

だから肉体人間一人が何かをするのではない、全然違う。正反対。真の神さまの世界は、一通りや二通りとは違う。
無限通りでもない。無限の無限通り。無限×無限。無限の無限通りの神さまの働きが、常にある。
虚の世界に降り立つ時に、初めて、無限通りに分かれた働きになる。それがこの現実まで降り立ってくる。

だからありとあらゆる方法を全部加えてくる。そして1冊のポスティングになって、現実化して、この世を通って、
神さまの世界を循環させて、消してもらっている。この世に現れたら、全部消えている。この世は結果。
消えていく結果。原因ではない。だから何が起こっているか、思いの心では絶対わからない。正反対に見る。
本心側に立たせてもらったら、一通りや二通りで実感してもダメ。無限通りでないとダメ。
光が通っているのを感じた、これは一通り。こんな感覚では間違っている。

真実の世界は一番大きい。更に、絶対の中心は、もっと大きい。その真実の世界から虚の世界全部にと言ったら、
全方向から全部、無限通りの働きが降りている。それが加わって、現実の一冊のポスティングになる。
だから、無限通りに感じて、正しい感覚の感じ方になる。十通りや、二十通りではダメ。偽物になる。五感六感の色んな感覚で感じた、プラスの感覚で嬉しい、幸せと言うけど、まだ本物ではない。一通りや二通りで喜んでいたら、間違っている。無限通りの喜びを言葉にしないと、本当の神さまの働きを拒絶して、無視したのと同じになる。

だから色んな体験を一人一人がしてくれた。その全部違う体験をして、それを全部束ねても、まだ足りない。
みんなの体験が全部違うはず。違いを見せてくれているはずなの。でもそれでもまだ足りない。
全部を束ねて、更にもっと大きく束ねて、更に無限通りまで、神さまの働きは、そういう無限通りになって、
一瞬に現実化する。そこまで違いがわからなかったら、真実の世界の違いなんてとても分からない。
真祈りなんて言えない。

真祈りは、無限の無限通りに必要なものを、的確に全てに与え続ける。
虚の世界でも、無限通りのプラスを与え続けている。だから真の神さまは、真祈りに戻そうとする。
みんなが神さまの祈りを、自分の祈りとして祈れるように変えようとしている。
まずその違いを気付かせて、体感させて、やっと真祈りになるようにしてくれる。
神さまが本当の違いをこれからみんなに実感させてくる。

だから色んな人の体験も、大きい自分から見たら、全部自分の体験。
総責任者になって、300万回、その体験を繰り返す。小さい思いの、我の自分ではわからない。
常に総責任者、本心の大きい自分に戻って、一冊一冊に、無限通りの神さまの働きが降り続けている、
それを300万回繰り返して、やっと少し気づかせてもらうと思う。だから浅い意味ではない。
真祈りを伝授するための、神さまの大きい愛の働き。それでも、これは真祈りの一番最初の初歩。
本当の真祈りは、絶対の中心に立たないとダメ。一番大きいところで、全方向から全方向へ。
本当の神さまの全体像をすべて与え尽す、与え続ける生き方。

まだ虚の世界は、上下とか天地とか、左右とか前後とか対極に分かれる。
同じ神さまの働き・動きでも、限定した動きでしか、入ってこない。
それが、縦横無尽に神さまが働きだしたら、虚の世界が消えていく。
色んな目に見えない働きが、大きく加わる。だから一つに限定してみるのは間違い。
常に無限通りあるといつも言葉にした方がいい。無限通りの神さまの働きが加わっているって。
無限の神仏がいつも守りについてくれている。虚の世界ですらそう。

真の神さまの世界は、虚の世界の神仏の、無限倍素晴らしい、天照大御神様が、一番末端でも無限についている。
更に奥に入れ子構造で、大きい天照大御神が無限についている。本当の支えは、絶対の中心からの支え。
どれだけ大きく支えられて守られているか。本当の真祈りを伝授するために、バックに本当の大きい力が、
支えとして出て来ている。それを認めていくのが、本当の勉強。真祈りを伝授する、そのための勉強を、
今しっかりとさせてくれている。

だから小さく言葉で定めないこと。一通りや二通りではダメ。大きく大きく、無限通り。
常にそういう風に言葉で定めた方がいい。それが本当の意味の、
「真の神さまは一大循環の相象(すがた)で、今ここに厳然と在(ま)します、新たなる無限の無限の入れ子構造の
天照大御神、今ここに在します、新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯」という
真祈りの祈り言葉になる。これを実際、厳然と今ここにあるって、本当に実感していかないとダ。
単なる言葉ではない。本当は、それしかない。真の神さまだけ。
これを骨身にしみて、実感するまで叩き込まないと。最高のプラスの言葉で埋め尽くす。
地球を真のプラスの言葉で埋め尽くすって言うけど、その程度ではない。与え続けて、
もっともっと一杯にしないとダメ。だから真の神さまを与え続ける。そして埋め尽くす。
それしかないという風に変えてしまう。本当の真祈りの練習。

(平成26年6月7日のお話②)