自分一人に対して、真の神さまは、全体のすがたで、必要なものを的確に与え続けてくれている。
自分が気づこうが気づくまいが関係ない。必要なものを与え続けてくれている。
これはもう、1番奥の方から末端まで、全部そう。表面だけ見ていても、表面に必要なものを全部
奥から支えてもらわないと、表面に出てこられない。何一つ無いの。表面だけ、1個だけというのは無いの。
全体が一つになって動いている。

肉体のこの人間の血管の長さでも、どれだけの長さがあるの?肉体の中に流れている血管には、
血液が流れている。血管の長さを合計したら、どのくらいの距離があるのか?びっくりするくらい長い。
細かい血管を全部含めたら、10万キロ。10万キロって凄い。光の速度は、1秒間に30万キロで、
地球を7回り半する。血管の長さは、地球を2回り半する。それだけの血管が肉体にザーッと配置されている。
その中を血液が流れる。誰がそんなことをするの?信じられない。肉体という模型においてすら、
それだけの凄い働きを降ろしてくる。そしたら、他の全て、小さい模型も大きい模型も一杯ある。
虚の世界って、みんな模型のようなものだから、底知れない大きさ。その根本に、真の神さまの世界がある。
そしたら、真の神さまの世界は、その凄さは無限の無限倍。

本当の一大循環の相(す)象(がた)というのでも、そう。血液の流れくらいではない。無限のスピードで、
もの凄い動きをしている。それが完璧な一つになって動いている。それだけの与え方をする神さまの働きって、
もう言葉では表現できない本当の絶対の愛の働き。自分がどういう小さい自分になっていても、そこへ全体から全部自分に神さまの愛が注がれている。奥からずーっと全部通して、全体を通して注がれている。この肉体のどの部分を自分と考えても、全部の血管を通って、血液が流れ込んでくる。全てが支え合って、助け合って、一つのすがた、働きをして、直接、間接に色んな働きで、1つの部分へ必要なものを送り込んでくる。直接だけではないと思う。間接的に、もう全体が常に、全身のどの部分に対しても、必要なものを送り込んでくる。

そしたら、神さまが全体であるという風に見た時に、この一人の人に対して、全体を通して神さまが
働きかけている。それで、真の神さまと一対一という関係に置いて、自分を観る。真の神さまが全体となって、
全てを通して、全てを使って、一人の人に愛を投げかけてくる。必要なものを与えてくる。
だから、一対一。この本当の一対一というすがたを感じ取る為に、支え合いを目指している。
本当に支え合っているって気づく為に。

自分が、この支えようとする立場に立ったら気づく。みんなを悟らせようとしたら、自分が悟る。
みんなを救おうとしたら、自分が救われる。みんなを支えようとしたら、神さまの本当の支え合いのすがたが、
本当の愛がわかる。本当の意味で一人の人を支えようとしたら、1番上の末端の小さいものを1つ支えるのでも、
どれだけ下から全体から、全部で支えているか。全体を通して、1つのものを支える。
これが本当の盤石の支えで、支えてくれる。

だから、もう表面の1点くらいの自分は、何の努力も力も発揮していない。本当に全体が、真の神さまが
力を発揮しているだけ。だから、自分が私がって言ったらダメ。それは、いらない。
真の神さまだけ、ありがとうございますだけで、それでいい。それだけで完璧になる。それも、一瞬一瞬新たに。
一瞬だけで止まって、そのままっていうのと違う。一瞬一瞬新たに、大きい変化を与え続けてくる。
それも、永遠に、絶対変わらない。永遠に与え続けてくれる。そしたらもう、どこを見ても真の神さまだけ。
本当のプラスばっかり。これを具体的に実感していくために、色んなものを通して、神さまの働きを、
違いを分からせてもらって、気づいていく。

だから、奥深く、大きく深く気づくほど、神さまの愛がわかってくる。神さまの愛に気づく為のみんなの勉強。
一つ一つが全部そう。どれだけ神さまの愛が凄いか。これに気付かせてもらっていく。
本当に真の神さまだけ。だから、ありがとうございます一言になる。

ありがとうございますは、真の神さまだけという意味。もう一瞬一瞬、新たなすがたで真の神さまだけ。
それも、与える側に立つほど気づきやすいから、真の神さまを与え続けるという真祈りを祈るの。
真祈りのありがとうございますは、真の神さまを与え続ける祈り。だから、いつも真の神さまだけと
実感(観)する。その為の真祈りでもあり、護摩焚きでもあり、ポスティング。

だから、ポスティングも真の神さまを与え続ける具体的な実行になっている。真の神さまを与えているというのが
ポスティング。護摩焚きも同じ。真の神さまだけという真祈りを与えているという実行。普段祈るのもそう。
ありがとうございますを唱えるのが、真の神さまを与え続ける、この祈りの実行。与え続けていることになる。
だから、与え続けるから、真の神さまの働きを実感(観)する。自分の中を神さまが通り抜けてくれるから
実感(観)できる。だから、ありがとうございますというのは、ただその為だけ。

(平成26年4月26日のお話 第2部)