マイナス、マイって英語で私。私のすること為すこと、マイナス。
自分がって、思いの自分が我を出すと、自分も他人もみんな、マイナス。
マイナスって言うのは、真の神さまの働きがそこに無いっていうこと。我があると、神さまは入れない。
人の自由を縛れないから。自分がって言ったら、神さまは引っ込む。だから、私がって言ったらダメなの。
本当のプラスっていうのは真の神さまの働きだけ。この真の神さまの働きが、どういう風に働いてくるか。
本当の救われっていうのは、救って欲しいって言って受けて、救われるのではない。
自分が救う側に立った時に、救われる。救って欲しいではダメ。救いに立たないと。
自分の立場が救われた立場に立てない。救いに立つ時というのは、常に自分は救われた立場に立って動いている。
神さまと共に動いている。だから救いに立とうとしないと。これはもう神さまの目的、願い、御心。

その神さまの働きはどういう風に加えられていくか。虚の世界に働きかける時、必ず無限通りの働きがある。
神さまは、無限通りの方法を用意して働きかけてくる。一人の人に対してでも無限通り。
どの人に対しても無限通り。全ての人に対して、無限通り。それだけの用意をして、大きい光を虚の世界にも
降ろしてくる。真実の世界での神さまの働きはもう一つ上。無限の無限通り。無限の無限倍。
常に無限の無限通りを用意して、与え続けてくる。神さまの愛の働きってそういう風に降りている。

ところが、受ける側だと一通りにしか言葉を使っていない。一通りに言葉を使って、一通りに受けているだけ。
無限通りにではない。言葉通りに受けているだけ。我が出ている時は、自分が自分がっていう一通り。
小さいすがたで受けるしかない。そこに大きいプラスがないから、マイナス。

このポスティング、なぜ支え合いって、何回も口を酸っぱくして言うかっていうと、
神さまの本当の大きい働きを知るため。気付くため。無限の無限通りの神さまの大きい愛の働きが
加わっているっていう、これに気付いていくため。そしたら神さまの働きと一つになる。
いつも神さまの一大循環の相象(すがた)が、自分の中を、循環する、通り抜ける。
どこにも、もう一切マイナスがないっていう状態に、必ずなっていく。

だから虚の世界のマイナスを消すためっていうよりも、一大循環の相象をそこに持ってくれば、いいだけ。
マイナスを消すよりもプラスを持ってきたら、元からマイナスは無い状態になるから。
だから神さまの本当の働きを知ること、気付くこと。知ったら、気付いたら、それがそこにある。
ポスティングは一人一人がしているのではない。神さまだけがしているっていう風に気付いた方がいい。
真の神さまの無限の無限通りの、愛の働きが、絶対の中心から、全方向から、全てから降り注いでいる。
これが虚の世界にもすべて降り注いでいる。どれだけ凄いか。表面を見て、マイナスだ、プラスだって
言っているのと全然違う。無限の無限の大きいプラスだけが降り注いでいる。本当の愛だけが降り注いでいる。
現実は大きいマイナスを、無限のマイナスを消してもらって、小さくマイナスになって消えた。
そういうのもあるかもしれないけど、そういうのは取るに足らない。神さまはマイナスなんか相手にしていない。
無限の無限のプラスを大きく加えようとしているだけ。だから本当はどこにもマイナスは無いっていうのが本当なの。

ところが言葉がマイナスだと、マイナスがあるように一通りに、錯覚してしまう。一通りではダメなの。
虚の世界でも無限通りの大きいプラスの神さまの働きが加わっているという風に、気付く方がいい。
大きく気づくほど、支え合いの運動、みんなと一つになって支え合っているという運動になっている。
一番大きい運動になってくる。それでいつも支え合いを目指す。自分一人で、している、
出来ることなんて何もない。もし神さまが全ての働きをストップしたら、全部消えて無い。何一つない。
そしたら虚の世界で何かあるっていうのは、神さまが働き続けているから。
真実の世界もそうだけど、虚の世界も、何かあるように感じるのは、残像としてでも、神さまが働き続けて、
残像が出来る、足跡が残るわけ。だから神さまの働きが全て。プラスやマイナスなんて言う方がおかしい。

神さまの働きだけが全て。それも無限の無限通り。大きい無限の無限のプラスが加わっているだけ、
降り注いでいるだけ。これに気付いていくだけが、いつも神さまと一緒っていう、一対一の関係。
いつも神さまと一緒なんだ、それも真の神さまだけなんだっていうのが本当。すべて真の神さまの働きだけ。
絶対の愛のすがただけ。どこにも微塵もマイナスは無い。闇も無い。本当に降り注いでいる。
新たに新たに降り注いでいる。本当のプラスだけ。色々させてもらっているのは、みんなこれに気付くため。

自分がしているって言うのが間違いなの。すべて神さまにさせてもらっている。させてもらっているというより、
神さまが全てして下さっている。本当に神さまのお蔭。何から何まで全て、1から無限まで全て。
100%、1000%、10000%全て。本当にそう。すべて神さまの働きだけ。神さまのお蔭だっていうのが、
本当は正しい生き方。これも言葉定め。言葉で定めないと忘れてしまう。他の言葉が隙間に入り込む。
常に真の神さまだけって言い続けないと、真の神さま以外が、言葉で入り込む。
それが言葉を限定して一つにしてしまう。小さい言葉ほど一つになる。大きい言葉は中に無限通りを持つ。
更に無限の無限通りを中に持つ。

だから言葉を出来るだけ、大きく大きくすること。真の神さまだけって言うと大きくなる。
真のプラスだけって言うと、また大きくなる。一大循環の相象だけって言うと、また大きくなる。
大きくしていくっていうのが大事になっていく。だから常に、神さまと共に、真の神さまと共にって、
言葉にし続けるっていうのが必要になる。

だから自分の力や努力は何も要らない。神さまが働き続けてくれている。
そして必要なものを、的確に与え続けてくれている。だからその神さまの愛の働きに気付いたら、
小さく捉えたのが消えていく。どんどんどんどん、大きく捉えるようになって、神さまの愛が、実感されてくる。
だから小さく言葉にしたら損をする。表面の小さく浅くっていうのを、言葉にするだけで損をする。
その言葉で一通りに定めてしまうから。だから常に、真の神さまの働きは、無限の無限通り、
それも最高のプラスの働きで加わってくる。

(平成26年4月26日のお話)