表面だけ見たら、何かマイナスが噴き出したように思うけど、本当は、違う。
あの世の無限のマイナス、縁者のマイナスを全部含めたら、本当は無限のマイナスをどうして消してあげようかと、
神さまは一生懸命。だから、大きい光を投げかけたら、無限のマイナスがバッと消える。パッと消えるのだけど、
消したって気づかせないとダメ。残りカス、燃えた灰がちょっと表面に出てくる。そしたら、それで気づく。
表面だけ見ている人には分からない。勘違いするだけ。でも、無限のマイナスを消して、
気づかせようとしてくれている。神さまが、無限のマイナスを消したって。マイナスが増えたのでも、
出てきたのでもない。逆。無限のマイナスを消して、気づきをちょっと残して与えただけ。
それを常に繰り返してくれる。

本当にマイナスが無くなったら、今度は、プラスだけが湧き上がる。自分のマイナスが全部消え、
縁者のマイナスが全部消えて、本当にマイナスが無かったら、今度は、プラスだけがどんどんどんどん
大きくなって跳び出してくる。本当の借金返しができる幸せも大事なの。無限の借金を積んだら、
借金返しができたっていう喜びも必要になる。それが済んで初めて、プラスがどんどん無限に大きく大きくなっていく。
この喜びも本物になる。その借金返しの喜びが無かったら、いくらプラスを与えてもらっても、
浅い受け方しかできない。喜びが浅く小さくなるから。それだったら、いくらプラスを与えてもらっても、
当たり前になってしまったら、感謝も何も湧かない。だから、無限の苦しみ、無限のマイナスが一杯あっていいの。
それをまず、消してもらう喜びから出発する。

もう常に、マイナスの極を原点に置いて、ゼロが最高のプラスっていうくらいに感じないとダメ。
その心で初めて、本物を価値あるものとして感じられる。だから、そういう思い返しができるというのは、
思いの心ではない。思いを大きく消してもらって、本心を大きく引っ張り出してもらって初めて、
思い返しのできる自分。だから、プラスに感じられる自分になるというのは、本心の自分に引き戻してもらった後。
表面の言葉で、思いの心で言っていたらダメ。反対、反対、正反対。どれだけ幸せかって。
だから、感じ方は、一通りではダメ。本当は、無限通りでないとダメだけど、少なくとも十通りくらいに感じて、
喜ばないとダメ。

 お祈りしたら病気になったと言う人がいる。違う。反対なの。お祈りしたから、万病が一つの病気になって
消された。正反対なの。お祈りしたら、悪くなったと言う。正反対なの。言葉一つで、つまらない一言で、
無限通りを一通りに勝手に定めただけ。本当は、無限通りのプラスの見方があるのに、
マイナスの一言でつまらない一通りに決めただけの話。それが一番大きい間違い。

常に、無限通りの大きいプラスの受け方がある。マイナスに無限通りではダメだけど。マイナスは一通りでいい。
プラスに無限通りがある。でも、やっぱり大事なのは、真の神さまだけ、真のプラスだけって、
そこへ徹底して絞り込まないとダメ。どんなマイナスでも、一言マイナスがあるって言ったらダメ。間違い。
最高のプラスだけ。真のプラスというのは、もう一切のマイナスを寄せ付けない本当のプラスだけ、
本当のプラスがあるの。そこへやっぱり心を向けないと。言葉にしないと。やっぱり言葉選びになってしまう。
つまらないマイナスの一言が自分をそこへ落としてしまう。どういう言葉を使ったかって、本当に言葉通り。
蔭の言葉がプラスの無限通りあればいい。プラスの一言の裏に、陰の無限通りのマイナスの言葉があったらダメ。
反対にしたらダメ。どんなマイナスの一言が口に出ても、プラスの無限通りの言葉があったら、全部プラス。

だから、いつもいつも真の神さまだけという、この言葉でそれが信念にまでなっていたら、
この世に何があっても、真の神さまだけという信念が強い。全然引っかからなくなる。
いつも真の神さまだけという実感になってくる。そしたら、もう虚の世界なんか感じなくなる。
本当のプラスだけって感じるようになってくる。もう世界がガラッと変わる。
これもやっぱり、言葉の修練がいる。新たなプラスの一言。積み重ねた言葉ではない。新たなプラスの一言。
これが大事。虚の世界は、積み重ねた言葉だけど、本心の自分の生き方は、新たなプラスの一言。
これで全て支配できる。

(平成26年4月19日のお話 第2部)