真の神さまを「じっかん」する。感じる方の感と、観察の観。両方の「実感・実観」がある。
やっぱり両方大事。これも無限通りの実感(実観)がある。無限通りの実感(実観)をして初めて、
神さまの愛の凄さがよくわかる。全て真の神さまが一人ひとりを最高の幸せな状態に、
引き戻すために色々働きかけして下さるの。そして本当の実感(実観)を与えようとしてくる。
神さまの働きかけってもう言葉では表現できない。無限の無限の護り、それも完璧な護り、
無限の無限の助け、これも万全の助け。無限の無限の支え、これも盤石の支え。
どれだけ大きいかわからない。本当に、真の神さまの無限の無限の、本当の後押し、応援、支え、助け、
バックアップ、色んな言葉を一杯つけて、全体を一つにまとめて初めて神さまの本当の護りになる。
護りは、山盛りの神さまの働き。

本当に神さまの愛の凄さに気付くために、神さまの側に立つ、これが一番大事なこと。
求める心ではわからない、受ける心でもわからない。小さく与えるのでもまだわからない。
支えるでもまだ小さい。本当の支え合うというところまで行かないと、
本当の真の神さまの護りが無限通りということは、わからない。だから支え合う、
本当の気持ちを起こさせようとしている。真の神さまの愛の波と一つにピタッと合わせるため。
支え合おうという気持ちを起こした時に、ピタッと波が合う。そうすると真の神さまの愛の凄さが
実感(実観)として湧き上がる。

だから支え合うっていうすがたには無限通りがある。支えるという言葉は、プラスに又って書く。
本当に必要なものがプラスなの。本当に必要なものをお盆に載せて、プレゼントして回る。
本当に必要なものを的確に与えるために、持って回るの。虚の世界の例えば地獄のどん底に堕ちた人は、
何が必要?この本当の苦痛を瞬間に取ってほしい。そしたらマイナスを消す、痛みをとる、
これも大きい支えの一つ。無限の思いが一杯あって、七難八苦の思いで、本当に押し潰されて苦しんでいる。
そしたら思いの重みを取って、心を軽くしてあげる、これも必要な助け。
全てに渡って、色んな必要性が無限通りある。この無限通りの、本当の助け方をするのが真の神さまの働き。
この無限通りの真の神さまの働きを、本当の意味で違いも分かって実感(実観)させるために、
真の神さまは、一人ひとりの中に降り立とうとしている。これがポスティング。

だから小さい表面的な、五感六感で感じる、感覚の助けなんて、無いのと同じ。
そんな小さいものではないの。無限のマイナスを小さいマイナスに変えて、消してもらった。
こんなのは、支える働きのほんの小さい一つ。でもそれに気付かなかったら、
まだ思いを大きく消してもらっていない。まだ必要な助けを受けていないすがた。
でもそういうのも全部含めて、本当はありとあらゆる助けが一杯加えられているの。
先に与えてもらっているの。でも小さい部分に、自分の心がとらわれたら、
小さい部分のことしかわからない。気付かないところに、無限通りの助けを与えられて、受けている。
末端の小さい助けだけで終わっているのではない。そんな末端の助けは、元から見たら、
大きい助けを受け続けた、一番先の小さい氷山の一角、それよりもっと小さいもの。
それにしか、気づかなかったというだけ。どんな表面の小さい支えでも、一番下から大きく支えてもらって、
一番上が支えてもらっている。一番上のほんの小さなところだけを支えてもらっているのとは違う。
全体をずっと支え続けてこなかったら一番上を支えるわけにはいかない。

だから人間ピラミッドを組むと、一番下の人が次の人を支え、次の人を支え、一番上に一人乗っている。
そしたら全体が支えてくれている。自分の下の一人が支えてくれているのではない。
自分の下の一人だけが支えているのだったら、すぐ崩れてしまう。残りの人が全部嫌だと言ったらおしまい。
高いところからどんと落ちてしまう。一番下から支えているのが大きい力。気付かない見えないところ、
表面ではわからないところの大きい支えが、無限に一杯、無限通りある。これに気付かせようとする。

それで支える、支え合う心を起こさせようとする。真似事でもいい。本当に倒れ掛かったような人を
支えようとするだけでもいいの。それも支え合う中の一つ。無限通りの中の一つの支え方、支え合い。
でもその支え合う気持ち一つを、真似事でも起こすことで、真の神さまは支え合う働きの本体だけど、
それがスーッと入ってくる。そしたら必ず色んな気付きを一杯与えてもらう。
いっぺんに沢山とはいかなくても、一人ひとりのその時の必要性に応じて、
本当に必要なものから順番に与えてくる。そしたら一人ひとり感じているもの、実感(実観)しているもの、
全部違うけど、それぞれに本当に必要なものを順番に与えてもらっている。
小さい助けも、浅い助けもあっていい。でも大きい助けも深い助けもある。
本当に真の神さまが自分の中を通り抜けるような、大きい実感(実観)も来る。
これも必ず、時機を見て、必要なものを必ず与えてくる。順番があるのは、全部順番に
色んな体験を通さないと、本当の意味の正しい実感(実観)が得られないから。

だから自分にとっては、一番必要なものを的確に、全体から与えてもらっている。
真の神さまは、必ず全体を通して、ありとあらゆる助けを用意して、必要な助けを与えてくる。
だから一対一、真の神さまと一対一っていう本当の意味は、自分の他に、真の神さましかない、
真の神さまだけだって絞り込むことだけど、これは自分だけに当てはまるのではない、
全ての人にも当てはまっている。自分にとっては、全体が真の神さまの働きかけるすがたとして、
一対一の関係で助けてくれる、でも自分以外に例えばAという人、Bという人、Cという人がいたら、
それぞれに全部、Aという人には、全体が真の神さまの助けで、一対一の関係で降り注ぐ。
全部そういう関係だから、みんな常に真の神さまと一対一。そこまで行って完璧な真の神さまの完璧な護りが
感じられる。愛が感じられる。最後はもう本当に真の神さまだけだっていう絞り込み。
真の神さま以外に何もないって。本当の絞り込みに持ってきてくれるの。
それまでは自分が小さいと、周りが同じレベルのものが一杯あるように見える。
でも自分が大きくなったら、全部自分の中に納まる。

だからいかに神さまが自分を大きくしようとしているか。受けるだけではダメ。
本当に全体を一番下から一番底から、全体を支えようという、支え合おうという気持ちになった時が、
本当の意味の神さまの働きの全てを感じ取れる、一番大きい生き方。それで本当の支え合いを目指すことを
させようとしている。だからポスティングは本当の支え合う生き方を、本当の意味で実感(実観)させるため。
それが一番幸せになる、最短コース。

どれだけ自分を大きくしていけるか。一番大きい自分に戻るため。過去に、思いの心を溜めて、
小さく小さくなった自分を、どれだけ無限大に大きく戻していくか。小さいから色んな問題がある。
大きい自分には、一切問題は無い。大きく自分を戻していく、一番の大きい助けを受けるため。
大きくなること。支え合うというのは、一番大きい自分に戻ること。
必ず本当の無条件の幸せが、本当に無限のスピードで湧き上がってくる。光が通り抜けるくらいではない。
無限の無限の入れ子構造の天照大御神が自分の中を通り抜けるようになる。もう言葉では絶対表現できない。
本当の喜びが湧き上がるの。これを実感(実観)させようと、神さまはしている。
自分が実感(実観)しようとしているのではない、神さまが実感(実観)させようと一生懸命になっている。

虚の世界を消す、どうのこうのではない、そんな浅いものではない。本当の神さまのすがたを
実感(実観)させたい、神さまの方が実感(実観)させようとしているの。
そのためにみんなをポスティングに参加させて、動かそうとしている。
実感(実観)させるためにって、神さまが動かそうとして来ているの。
自分が選んでどうのこうのということではない。どれだけ、嫌だと言っても、拒絶しても、
神さまが中から動かしてくる。実感(実観)させるため、最短コースで幸せを与えるためって。

思いの心が一杯溜まったら、拒絶するのは当たり前。光が恐いから、全部逃げるのは当り前。
色んな思いの縛り、無限の縛りでがんじがらめになったら何もできない。
でもそれを全部消しきって、なおかつ、無限大の大きい自分に戻して、本当の幸せを実感(実観)させようと
してくる。これはもう神さまの働きそのもの。だから神さまの働きが降りたところが、支え合いのすがた。
神さまが支えるすがたで出て来てくれている。

だからこのポスティングは一大奇蹟を起こす。見ていたらわかる。一大奇蹟を起こして、
みんなを大きい自分に引き戻してくれる。

(平成26年4月19日のお話)