鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰ですか?答えは、真の神さま(笑)
虚の世界の鏡も大事だけど、真実の世界にある本当の鏡、これも神さまにとっては大事なものなの。
まず絶対の中心から、一大循環の相象(すがた)で、神さまが舞い降りてくる。
Uターンするっていうのは、そこで反射しているの。反射しているっていうのが鏡になる。
そのUターンを何回も繰り返している。その度に、鏡が生まれている。
止めて平面的に見た時に、最初大きい鏡が生まれている。その中に、もう一つ小さい鏡が生まれる。
その鏡の中に、もう一つ小さい鏡が出てくる。更に、その鏡の中にまた小さい鏡が映る。
鏡が無限にずーっと続く。鏡の中に鏡がある。その中にまた鏡があるっていう風に。
だから上から眺めるのは、そういう見方。全部見通すの。

真実の世界と虚の世界の違いは、まず真実の世界が映る時に、クロス、広いのが一点に集約されて
さらに広がる。神さまの世界は最初が絶対の中心で、一番大きい。大きいものが小さくなってずっと
一点にまで来る。虚の世界は反対に一点から大きく広がる。虚の世界の仕組みは全部、
ゼロから一点から出発して大きくなる。今日、万華鏡の図柄を見たけど、あれは一点から広がっているすがた。
一点からワーッと広がるすがたを色々見せてくれている。でも真実の世界のは、反対。
大きい方から小さくなるすがた。それがどれほどすごいものか。比較にならない。

虚の世界でも素晴らしい。そしたら真実の世界はどれだけ素晴らしいか。
それも入れ子構造で一段上がるごとに、どれだけ素晴らしくなるか。真の神さまを知ったと言っても、
表面を浅く知っただけでは、まだまだ本当の凄さはわからない。
奥へ奥へ、入れ子構造的に自分が大きくなっていかないとダメ。でも自分が大きくなるのは不可能。
反対にならないとダメ。だから神さまが、自分の中に降りてこないとダメ。
自分から上っていくのは絶対不可能に近い。でも神さまが降り立つのは、神さまがそれをしているから、
常に、大きいところから、下へ下へ一生懸命降りようとしているから、受け入れてくれたらいくらでも
降りてくれる。

受け入れるっていうのがどういうことか、これが一番大事な問題。必要なだけ降りてくる。
だから与え尽せば、そこに必要なものが沢山降りてくるの。だから大きく与えるほど、大きく降りる。
小さく立ったら、小さくしか降りない。だから大きく与える自分になろうとすること。
神さまと同じように、大きく大きく与えようとしたら、そこは必要だから、神さまがそのまま
スーッと降りてくる。

だから与える心をしっかり生きるっていう、これだけでいい。そしたら自分は何もしてない、
しなくても、神さまが自分を通して、大きく働く。だから与える生き方を、しっかりと生きること、
与える生き方を取ること。そしたら循環が大きくなる。与えるのを忘れた時に、ストップをかける、
止めてしまう。求める逆流を起こす。ますます循環が入ってこない。小さくなる原因がそこ。
過去を一瞬掴むだけでも、循環を止めているから、大きい循環が流れ込んでこない。
一瞬でも止まってしまったらそうなる。

常に与え続ける。それも大きく大きく与え続ける。いつも自分を空っぽにする。
自分を空っぽにして、器もパイプも何もないようにしてしまえばいい。全て無くしてしまったらいい。
自分を、我を、思いを無くしてしまったら、真の神さまの循環だけが、大きく入れ子構造で降りてくる。
自分を主張するのではないの。本当に真の神さまだけ。真の神さまだけしかないんだって、
いつもそれを言い続ける。

ありがとうございますっていう言葉は、真の神さまの名前、働き、神さまの全てそのもの。
真の神さまだけっていう言葉と同じ。ただ、ありがとうございますの方が全てを束ねるから、
真の神さまだけって言う言葉もあり、真のプラスだけって言うのもあり、一大循環の相象っていう
言葉も含めて、ありとあらゆるもの全部を含めて、ありがとうございます。
だからありがとうございますだけでいいの。いつもありがとうございます、ありがとうございますで、
全部束ねた、ありがとうございます。これが本当の意味の、真の神さまを与え続けているすがた。

一瞬一瞬、新たに新たに、真の神さまを大きく大きく与え続ける。そしたら循環が絶対に止まらない。
鏡が出来ても、その鏡に映るのは、磨きに磨かれた鏡に、自分の輝いたすがたを映すだけ。
だから大きい鏡に最高の輝きが映って、更に小さい鏡が中に、ずーっと連なって、
そこに輝いている自分のすがたが映るとなったら、どう?小さくなるっていうと小さくなるように思うけど、
でも、全部に自分のすがたが映るってすごいこと。全ての鏡に、無限の鏡に、入れ子構造的に映るだけでも、
その鏡ってすごい。更にそれが、回転し始めてご覧?回転を加えたらもっとすごい。
全然歪みのない、完璧な鏡。それが真実の世界のすがた。本当の輝きと、鏡のすがた、両方を持っている。
これが虚の世界にも映し出されている。

(平成26年3月22日のお話①)