中心という言葉をもっと深く考えたいんだけど、中心は、軸として必要なの。
ところがその軸を中心に回る、例えば、もし風車の羽が、長いのと短いのと、色々になったら、回転しない、
ぶれる。部分が我を出すとダメなの。洗濯機を回す時、洗濯物を放り込む時、乾燥させる時、
遠心分離器でがーっと回す、その時洗ったものをどういう風に入れているか。均等に入れたら、
静かな音で、芯がぶれずに、ちゃんと回る。ところが一カ所に片寄って、重たいものを載せたら、芯がぶれる。
滑らかに回転しない。芯がぶれて、芯がだんだんと削れて、音が高くなってくる。やっぱり部分的に我がある。
全体が平等でないの。部分が平等という立場に立っていたら、ぶれないの。

だから中心という言葉、中の心。中って言うのは、御中(みなか)の心、真の神さまの絶対の中心ということ。
天之御中主神とも言うかもしれないけど。御中の心という。一番奥の中心はそう。
神さまの絶対の中心の御心なの。その中心が、末端にまで、色んな中心が生まれてくる。
常に、中心と言うのは、中心軸はあるけれども、本当は、形は無いの。形でとらえると間違う。
表面の姿は、全部中心ではない。

例えば肉体人間、この肉体のすがたを見た時に、肉体のこの体の中心は、どこ?心臓?丹田?頭?・・・
形ではない。肉体を動かすのは、心。中にある心。本当は、本心の心が動かすの。
本心の心のままに動かしたら、肉体は自由自在に何の働きでもできる。

だから頭も、手足もみんな道具の一つ、部分の一つ。頭が偉いのでも無いの。足が低いのでも無い。
どの部分も、立場はみんな平等なの。これが、頭が偉いって自慢すると、中心からぶれる。
ぶれたらダメなの。コマでも、ぶれさせたらひっくり返る。スムーズに回転させている時は、倒れない。
長時間回っているけど。ちょっとぶれだしたら、すぐひっくり返る。
回転するコマにちょっと手を当てただけでも、そこがぶれる原因になる。おもりをちょっと乗せただけでもそう。
だから形の中心っていうのは間違い。自分が中心で、上に立って偉いんだっていうのは、偽の方、間違った方。
本物の中心は、自分がないの。一切の我を無くして、中心になっている。

例えば、天皇陛下は日本の国の中心。天皇陛下は一切の思いを捨てて、我を捨てて、神さまの御心に、
一つに一致しようとする。だから思いやりの心一筋になろうとしている。だから中心になれる。
自分を捨てているから。自分の全てを捨てているから、中心になっている。自分があったら我になる。
自分を捨てただけが、中心に近づく。

そして肉体でも部分の働きは、表面だけではわからない。中に心臓があり、肝臓があり、
腎臓や大事なもの全部、いっぱい備わっている。本当は目に見えないところの部分ほど、大事な働きをする。
心臓がなかったら、体は絶対動かない。でも表面からは見えない。陰で働くすがたの方が、
大きい働きをしてくれている。だから常に、謙虚に謙虚に、我を死に切って、捨て切ってくらいではダメ、
我を死に切って、中心に従うの。だからみんなが中心に従ったら、本当の大調和のすがた。
常に大調和のすがたで循環する。この中心定めっていうのが、常に必要になる。何を中心に置くか。

真の神さまを中心に置くの。真の神さまの願いを生きる、真の神さまの目的を生きる。
真の神さまを知っている人は、よくわかるの。ありがとうございますって唱えたら、そこが中心。
自然に、中心に帰一した生き方になる。真祈りのありがとうございます、真のありがとうございますは、
中心定めの言葉。この一言で中心が定まるの。それで全体を調和させる動きに変える。

我が一杯っていうのも、動かしてくるの。ありがとうございますでこの我を消しながら、回転を加えていく。
そしてスムーズに動くようになる、バランスよく動かしてくる。このありがとうございますがなかったら
、我が消えない、思いが消えないから、いくら動かそう思っても、回転しない。ひっくり返る。
鼎の三脚って言うけど、この世の中では、三脚だけでも、なかなかバランスがとれない。
一本足を伸ばしたり縮めたり、色々するから、ひっくり返る。静止した、そういう三脚の姿でも、
なかなかバランスがとりにくい。ましてや、回転するものって、なかなか大変。

そこでこのありがとうございますの力がいる。思いを消す力が必要になる。真祈り。
真祈りまで行かなくっても、真の神さまを呼ぶありがとうございますでも、思いを消してくれる、
マイナスを消してくれる。感謝やお礼ではダメなの。真の神さまを呼ぶっていう、
このありがとうございます。真の神さまの働きを大きく受けるっていう、ありがとうございます。
真の神さまから大きく受けたプラスを与えるっていう、ありがとうございますになる。
最後は、真の神さまを循環させるために、真の神さまを与え続けるお祈り。

でも、ありがとうございますには、一貫して、真の神さまの働きが降りる。必ず思いを消してくる、
我を消してくる。だから中心が定まって循環が正しくなるの。調和の動きが出てくる。
中心があって正しく循環しないと、どんな場合も、やっぱり形が崩れている。
コマのような単純な動きではないけど、絶対の中心を元に、大きく動く、本当の神さまの動きそのものの、
循環のすがた。本当に必要な循環を神さまはしてくれている。

後はポスティング。これからの本当に大事な課題。神さまと共に、ありがとうございますを与え続けるの。
真のプラスの言葉を与え続けるの。これで本当の意味で、循環を正しくしてもらう。
今は循環が止まっている。大きい我が一杯だから。だから大きい我を消しながら、
正しいプラスの循環に変えていく。今は我が一杯で、逆流になっている。求める欲の心の逆流ばっかり。
反対に、順流の与える流れに変えるっていうのは、ずっと大きい力がいると思うけど、
まず邪魔する大きい岩を消していかないといけない、我を消していかないとダメ。
まず消してもらって、循環をさせてもらう。そうやって、与える循環が起こり始めたら、
世の中が急速に良くなると思う。

(平成26年3月15日のお話②)