勉強の仕方も、どういう勉強の仕方をするかが、大事。
まず鏡、本当の鏡とは何か。元々、天照大御神さまを燿身(かがりみ)と言う。これを縮めて鏡になる。
かがり身、輝く身って言う。だから、無限に無限に輝いたすがたを元々、鏡、かがり身と言う。
この部屋(勉強会をしているお祈りの部屋)に写真があるけど、太陽が昇って富士山が、
湖面に鏡のように映っている。虚の世界も、真実の世界が映ったものなの。
神さまは、もともとプラスマイナスに分かれて波打たない。波打たないというのが、本当の鏡。
そうすると、鏡に映るすがたそのままがきれいに映る。波立たないから、光がそのままぱっと鏡に反対に映る。
鏡に映るすがたそのままに、きれいに映るから、真実の世界と虚の世界と両方、どちらもプラスだけになっている。
この鏡が、本当なの。

波打つ世界になると、高い世界は千早ぶるっていう、細かい微振動の波だから、ちょっとは映る。
波が少ないから。ところが、荒ぶる波って低い世界に堕ちると、ちょうど鏡が割れたようになる。
細かく割れたようなすがたで、全体を映すことができない。部分的には、映る。
低い世界ほど、狭い範囲を映す、割れた鏡に映すという、すがたをとる。小さい部分を映してくれる。
そういう細かい鏡が周りに一杯ある。止めた時にはそう見える。静止させて止めた時に見える。
ところが本当は全部動いている、循環しているの。

まず神さまの世界は、絶対の中心を元にして、循環している。循環って言うのは、神さま自体が回転するの。
中心に立って、全体を振り回すように、回転する。全部が、ちょうどコマのように、
風車のように中心を元にして、循環して回転している。鏡の世界も同じように循環するの。
中心を元に回転しているから。万華鏡がそう。万華鏡は、三面の平面を見立てて、中に細かいのを入れて、
回転させて見る。回転させるから、万華鏡になる。そういう風に回転する鏡が本物。

一番大事なのが中心なの。中心がないとコマでも回らないし、中心に本当の力がある。
台風の目でも、中心がどういうものかというと、真空度が高くなるほど、大きい台風。
真空度が高いというのは、我が無い、思いがない。本当の真空状態になると、吸い込む力が強くなる。
逆に、高気圧の方、与える心が大きいと全体へ光を振りまく。全体へ流す働き、与える働きが大きくなる。
高気圧と低気圧と、両方神さまの働きとして見た時は、高気圧は与える働き。
低気圧は、絶対の中心へ戻す働き。引き戻す働き、吸い上げる働き。両方の働きで循環している。
だから与える愛の心が大きいほど、吸い上げる働きも大きくなる。
これは、同時に一つの働きとして循環している。与えることが吸い上げること。吸い上げることが与えること。
まったく一つの働きとして循環している。

神さまの働きは、そういう風に一大循環の相象(すがた)を常にとり続けている。
それでその中心を元に常に回転している。星の世界も同じ。地球自体も自転しているし、
太陽の周りを公転しているし、太陽も動いているし、銀河系宇宙全体も大きく動いている。
全部、大きい中心を元に動いている。またその小さい中でも中心があって動いている、
これも入れ子構造的に全部動いている。

だから輝きも、中心を元に動いている限り、無限に無限に複雑。入れ子構造的に動いている限り、
無限に無限に複雑な輝きなの。同じ光を組み合わせて放射していると言っても、
本当に、言葉で表現できないぐらい、素晴らしい表現。虚の世界になっても、万華鏡のように回転するすがたは、
虚の世界ですら、ものすごい美しい、荘厳なすがたをとる。本物と比べたら比較にならないけど、
虚の世界ですら、回転する鏡は素晴らしく見える。更に、低い世界に堕ちて、本当にプラスに見えない、
マイナスにしか見えないっていうのは、本当に鏡が粉みじんに砕けて、めちゃめちゃに混沌としているすがた。
本当にマイナスの言葉が一杯っていう世界なの。

それで一番元に戻る、根本に戻るって言うのが大事になってくる。今日の勉強会の「鏡の法則」なんてもう、
問題解決でも何でもないの。言葉で、一つ定めただけ。同じ一つのすがたを見た時に、無限通りある。
これを一つの言葉で原因を定めただけ。父親に感謝できなかったっていう、一つの原因に定めただけなの。
それで感謝っていうプラスを与えることで、それを自分の鏡に映したら、それが戻ってきたっていうだけの話。
無限通りの中の一つの見方しかできていない。本当の根本解決を願うんだったら、
無限通りの中の最高の言葉を一つ選べばいい。これはもう、真の神さまだけっていう、
真のプラスだけっていう一言で、全部解決する。ありがとうございますの一言で、全部、プラスに置き換わるの。
だから「違い」が大事。ありとあらゆる違いが、見抜けたら、最高のものが選べる。

だから、この真のありがとうございますの本当の意味が分かってきたら、大きい力が発揮できる。
そのために、本当の真のありがとうございますの意味と、世間で使っている、ありがとうございますは
感謝・お礼って言う意味と、本当の違いがはっきりしないとダメなの。ちょっと油断したら、感謝って
なってしまう。プラスに見るお礼とか、その程度に過去を掴んで、そこに巻き込まれる。
常にありがとうございますは、真の神さまって、しっかりと思い返さないと。
ありがとうございますは、真の神さまそのものって、そこまで行かないとダメ。

そしたら、一言ありがとうございますで、真の神さまの世界。本当の光の、螺旋の循環する、舞うすがた、
それだけしかないってなる。だから本当は、虚の世界もないし、鏡もないし、色眼鏡も無いの
そういう言葉が選べるかどうかだけ。無限の中から、一つ最高の言葉を選べるかどうか。
鏡にとらわれるのも、無限の中から鏡っていう言葉に縛られただけ。色眼鏡を通すのもそう。
無限の中から、一つ色眼鏡っていう言葉に縛られただけ。でもその違いが全部わからないと、
選びようがないの。

だから順番にすべてを卒業していかないと、いくら幼稚園児が大学のこと言われても
勉強していないからわからない。でも大学生だったら、幼稚園のことも、小学校も中学校のことも
全部わかっている、見通せる。違いがわかる。全部一応は勉強しないとダメ。
幼稚園に行ってない人が、大学に行っても、幼稚園はどんなものってきかれてもわからない。
体験していないからわからない。保育園もあったら、保育園はどんなんだったってきかれてもわからない。
違いを知るために、一応一通りは、全部ちょっとは体験しないとダメ。そして、上へ上へ上がっていったら、
下が全部見通せる。違いが全部わかってくる。そして全体像を把握できた時に、無限の中から一つ、
最高の言葉を選べる自分になる。そしてその言葉を支配することで、言葉通りに全部、変えていける。

最後は、ありがとうございますの一言。真の神さまを与え続ける。それも全体で、みんなで支え合って与え続ける。
真の神さまだけっていう生き方になる。その生き方で、虚の世界、全部を消していこうとする。

だからポスティングは真の神さまだけっていう祈りで、虚の世界を消そうとしている。
単なるマイナスを消すのではない。虚の世界を全部消そうとする、大きい働きになる。
だから徹底して、違いがわかった上で、ありがとうございますを選ばないとダメ。
真の神さまを本当の意味で与え続ける祈りなんだっていうことを、しっかりわかった上で、
ありがとうございますを唱えると、神さまのバックアップが、無限に無限に一杯ってなる。

(平成26年3月15日のお話①)