菩薩でも無限通りの段階がある。順番に、どれだけありがとうございますを与え続けるかで、
実行の程度に応じて、順番に心境を上げてもらう。だから唱え続けるほど、回数を多く唱え続けるほど、
真剣に唱えるほど、神さまの助けがどんどん降りてくる。それで自分が変化する。
これも言葉通りになっていくの。自分がどれだけそのありがとうございますを選んで唱え続けたか。
それも言葉通りになっているすがた。

だからこの波の違いで、高校も、大勢高校生が増えたとしたら、神さまの働きで、自由自在に空間が伸び縮みする。
高校生、10人だけだったら小さい校舎。一万人だったら、一万人の入れる校舎になる。
いくら増えても無限大に広がる校舎。高校生っていっても、教室が学年ごとに違う。
全部必要なものがピタッと揃う。波の違いで出来ている、自由自在な世界なの。限定した形は無い。
波の違いだけで、全部備わる。

この波というのは言葉のこと。言葉だけで波の違いが起こる。全部言葉通りの波になってしまう。
マイナスの一言は、全部、マイナスの世界の言葉。六道の世界。声聞・縁覚からはマイナスの一言は使わない。
声聞・縁覚からは、プラスの言葉だけに変わる。どんなマイナスに見えても、大きいプラスに思い返す。
大きいマイナスを万分の一に済ませてもらった、って言ったら、言葉はマイナスではなく、プラスになる。

だから声聞・縁覚からは全部言葉をプラスに変えていく。そのプラスの言葉を大きくして受けていく。
でもその大きくするのでも、ありがとうございますが根本に無いと、大きくはならない。
どんな言葉を使っても、ありがとうございますに勝る言葉は、無いの。だから、ありがとうございますを
一心不乱に唱えながら、必要な言葉を加えていく。そうすると大きく変化する。
一瞬一瞬が、 新たなありがとうございますで、大きく現実化して、変化していく。

だから大事なのはその実行。高校だったら、高校生になって、順番に勉強して、進級して、
上がっていくすがたをとる。いかに、ありがとうございますを真剣に唱えて、それを与え続けるか。
でも、それが現実に具体化して、色んなすがたで与えても、それは、あくまでも言葉通りになったという結果だけ。
本当はありがとうございますは、もっと大きく大きく働いている。自分の周りのすがただけではない。
ありがとうございますの言葉は、宇宙全体に、大きい力を、現実化する大きい力を与えて、
自分の大きい世界を変えてくる。現実化させてくる。自分が小さい世界だけを見ているから、
変化がわからないだけ。本当は自分の見ている世界全部が、無限大の大きい宇宙が、変化する。

だからありがとうございますは、常に大きく全体を変えてくる。本当に必要なすがたを置き換えてくる。
だから常に無限通りの中から、どの言葉を選ぶかだけど、それでも言葉も無限通りあるから、
その中で最高の言葉を、選ばないといけない。そして真の神さまの助けを受け続けて、
進歩を無限倍に速くして、本心の自分に、真の自分に戻ること。

そしたら本当の意味で、絶対の中心から、全ての全てから、全ての全てへ、また全方向から全方向へという、
本当の真の神さまを与え続ける自分に置き換わる。この時、真の神さまと自分とが、
本当の意味で一体化した状態になっている。「支える」と「支え合う」はそこが違う。
「支える」だけだと、自分から全方向へといっても、一つの立場からだからダメ。小さい。
「支え合う」の方は、自分が全立場に立つ。絶対の中心というのは、全ての立場のこと。
だから全ての立場から、真の神さまを与える。小さい自分ではない。真の神さまの全体の助け、
バックアップを受けて、大きくなった立場。無限倍に大きくなった立場。だから支え合うというのは、
常に神さまと共に。全体と共に、バックアップがいつも無限倍ある。
それが本心の自分、総責任者の立場に立とうという自分。

だから現実で、総責任者の立場に立って全てを見ていくというのが、本当の支え合う、
本当に真祈りが出来る自分に変わるための、一番大事な勉強。これをおろそかにしたら、進歩が遅い。
常に総責任者という気持ちで、真の神さまの無限倍のバックアップを受け続けること。
必ず、神さまの助けは無限倍、それで足りなかったら、更に無限倍、入れ子構造の助けが降り注ぐ。
だから与えて与えて、与え尽して、これが正しい。それも大きく、真の神さまを与え続ける。

ありがとうございますを唱える以外に方法は無い。祈るというのは、「与える」という意味。
本当の祈るというのは、与えるという意味。だから与え続ける、祈り続けること。
一心不乱に、ありがとうございます、ありがとうございます、と祈り続けたら、菩薩行も進歩が速い。
本心に戻っても、絶対の中心に戻るのが速くなる。だから絞り込むことが大事。

(平成26年3月8日のお話③)