真の神さまが真の自分。真の自分の16の徳性を書いているけど、
その中に、「一切の責任を自己に帰す、総責任者の自分」ってある。
一切の責任というのは、全てのマイナスを消す責任と、本当に必要なプラスを与え続ける責任と、両方ある。
一切のマイナスって、これは誰のマイナスか?神さまの前に立った時は、全てのマイナスは自分のマイナス。
他人のマイナスと違う。神さまと1対1の自分が、神さまの前に立って見る時は、どんなマイナスも自分のマイナス。
そして、そのマイナスをどういうふうに消すか。その消すお手伝いをまた神さまがしてくれるの。

だから、一旦、自分が神さまにそっぽを向いたの。それで、マイナスの言葉を積み重ねて、
自分でマイナスの世界に落ち込んだだけの話。それをもう一回、神さまの前へ戻してもらうわけ。
だから、一切のこの過去のすがた全部、残像の世界を消してもらったら、マイナスは全部なくなる。
それはもう、新たに受け直す自分に変わればいいだけ。

 だから、この世のマイナスもあの世のマイナスも、虚の世界の全てのマイナスも、まず自分自身のマイナス。
こういう受け方が大事。それが総責任者の自覚。そしたら、どうなるか。
自分がそのマイナスを、どれだけ背負っている?背負っていない。1つも背負っていない。
この世のマイナスだけでも、自分がどれだけ背負っているか考えてごらん。無限分の一背負っていない。
更に、あの世の世界、虚の世界全体をひっくるめたら、無限の無限のさらに無限分の一くらい。
自分がもし、マイナスを背負っているとしたら、残り全部、神さまが自分の身代わりに背負って、
借金を背負って借金を消してくれる働きばっかり。そしたらもう、どれだけ嬉しいか、幸せか。
自分の責任に持ってくるだけで、どれだけ神さまの助けが大きいか。
神さまが背負って消してくれているだけとなれば、マイナスなんてどこにもない。

 このポスティングは、マイナスを消す為っていうけど、それをきっかけにして総責任者の自覚に戻って、
神さまの愛を感じ取る為。どれだけ神さまの愛が大きいか。地球のマイナスを消す、
そんなちっぽけなものとは違う。神さまの大きい愛に気付くため。どれだけ幸せか。
言葉で表現できない、本当に大きい幸せ。これが総責任者の立場にちょっとでも立ったら、
色んな感じ方が出てくる。1つだけだったら、まだ足りない。色んな感じ方をたくさんした方がいい。

 ポスティング、自分が1人で300万所帯をてくてく歩いて、配ることを思ってごらん。
1年ではできないかもしれない。でももし条件が付いたら、期限がある、1年でしないと帳消しにするとなったら、
1年ではできない。自分の責任って言ったら、絶対に助けがいる。1年で300万冊配ったら、
借金を棒引きにしてあげるって言われたら、本当は命がけでしないといけない。猛スピードで走って。
でも、みんなが助けてくれて、できるとしたら、この全体の助け、バックアップって凄いじゃない?
本当に、支えてくれている助けって大きい。

 本を作るのに、自分が一人、例えば1億円、必要で出さなければならないとする。
もう絶対作らないといけないから、1億円が絶対必要。早く作るほど安くなるから、そしたら、
今すぐ、1億円を用意してでも、本を先に作らないといけない。どんなことをしてでも、自分のこの命を引き換えに、
お金を借りてもいいっていうくらいの気持ちで、1億円を先に用意する。
本当はそのくらいにまず定めないとだめなの。無限億万円の借金を返す為だったら、
この世の一億円の借金なんて、はした金。そのために、この肉体の命くらい、
どうでもいいっていうくらいの覚悟を決めて、気持ちだけ、そういう風に総責任者の立場に立つだけで、
自分はちょっとしか出さなくてもバックアップが大きい。

 1億円、タダでもらったようになる。大大大おまけつきの大おまけ。でも気持ちが総責任者の立場に立ったら、
それを感じられる。神さまのバックアップの凄さが。1年で1億円、お金をもらったのと同じ。ただでもらった。
これが本当に、自分が感じ取れるか。感じ取らないと、神さまは自分の中を降り立ってない。
感じ取った時に神さまは、自分の中を降り立っている。その時にポスティングに光がものすごく入っている。

  これは、神さまが自分の中を通り抜けるための、感じ取れる自分になるためのポスティング。
神さまが自分の中を通り抜けたら、そういう風に感じるの。神さまの愛をもう、ひしひしと感じるの。
言葉ではない。もう本当に、神さまの愛そのものを感じるの。これが1番の目的。
それで、総責任者の立場に立とうとする。一人でも、そういう立場に立たせてあげたいって。
それで、色々働きかけをしているの。

 神さまの愛を感じた人が、真祈りを祈っている人になる。神さまがその人を通り抜けているの。
神さまの愛を感じ取っている人は、神さまの一大循環のすがたが、その人の中を通り抜けているの。
それが真祈りを祈っている人になる。それを今、目指しているの。真祈りは、ポスティングと別個ではない、
ポスティングが真祈りと1つにつながるための1番の道なの。1番の最短コースになっている。
だから、総責任者の立場に立つこと、これを目指すためのポスティング活動。

(平成26年3月1日のお話 第2部)