最初に大事なことは、神さまの呼び方。本当に神さまの助けが必要という時は、もう真剣に呼び続けること。
真祈りになっている、なっていないに関係なく、もう命を懸けて、ありがとうございますと
真の神さまを呼び続けたらいい。神さまの方が全部、必要なことを見抜いていて、何が必要かわかっているから。
的確に必要なことを与え続けて、勉強もさせてくれる。必要なものを全部与えて、心境も上げてくれる。
だんだんと本当の祈りが実行できるように変えてくる。実行できるというよりも、神さまがその人に降り立ったら、
真祈りが湧き上がるように出てくる。神さまを呼び続けて、命を神さまに差し出したら、
神さまがその人を通して働く。神さまが働き出したら、お祈りが湧くように出てくる。
それが、お祈りを深める1番の秘訣。神さまに命を投げ出すこと。「神さまに」というのは、
「本当の自分に」ということ。我の自分が本当の自分に、全部預けたらいいの。

みんな最初は我の、思いの自分を生きようとしている。過去に積み重ねた色んな種類の我が無限にある。
その我を生きている限りは、我を増やすだけ。思いが増えるだけ。それでは、いつまでたっても心が安らがない。
我は消さないとダメ。本心の自分に戻って、神さまと一体化しないと。
だから、自分の全てを神さまに捧げて、預けて、我を全部消してもらうこと。
それで、本心の自分は、どんどん大きくなる。どんどん大きい自分に戻っていく。
だから、ありがとうございますを唱え続けて、呼び続けて、真祈りができる自分に変えてもらう。
形から入ることが必要なのは、そこなの。

もう真剣に祈りたい人は、本当は暖房なんかつけない。寒いところで、神社の石畳に座って、徹夜で祈る。
そのくらいしないと、真剣さが消えるの。私はもう、生まれたてからずっと祈り続けている。
祈り言葉が湧くように出ている。それでも、やっぱり小さい時から、真剣に形を実行した。
暖かい所でなんか祈らない。石畳の上で座って祈り続けたり、板の間に座って祈り続けたり、
正座するのでも24時間、足の痛みなんか忘れるくらい、座って祈り続けて練習した。
形が崩れるようだったら、祈りではない。形から入るのもなんだけど、本当のお祈りができているのに
形が崩れるのなら、それは偽物。だから、祈っているという限りは、姿勢をきちっと正さないと、本当はダメ。
法則に適わないとダメ。寝てたらダメなの。姿勢をきちっと正して、背骨をまっすぐに伸ばさないとダメ。
顔を下に向けてたらダメなの。まっすぐ向かないとダメ。神さまはどこに降りるかって、
法則に適った正しいところに降りるの。だから、形も必要になる。大事なの。

寝ていても何しててもいい、自由自在に何でもいいって言うのは、それができてから。
そこまで自由自在になるまで、まず、悪い癖を全部消さないとダメなの。正しいプラスのお手本を実行して、
形を整えないとダメ。その上で、全部を捨てるの。それも形全部を捨てるという意味で捨てるの。
そうすると、本心の自由自在の自分が、そこにいつも降り立つようになるから。
祈り言葉でも、ずっと唱え続ける練習がいる。唱えたり唱えなかったりではいけない。
マイナスの言葉を一言でも使うようだったら、もうダメ。甘いの。

本当に祈り言葉だけを唱えるというのだったら、1日中できなかったら、1分間だけでも絞る。
真剣に1分間だけでも、プラスの祈り言葉を唱える。祈り言葉を唱える。ありがとうございますを唱える。
1分間だったら、呼吸を止めてでもできる。それで、また1分増やす、1分増やすって、短い時間でいいから、
もう真剣に打ち込むの。これが1日、何万回祈れるって言って、だらだらしたのは祈りにならない。
真剣さがないの。1日に何万回祈れたからって、喜んでいるようだったらダメ。

お祈りほど厳しいものはない。一瞬一瞬真剣に打ち込まないとダメ。だから、1分間の祈りが必要なの。
1分間だけ、もう真剣に祈る。この世の全て、眼中にないくらい、真剣に打ち込む。
祈り言葉の中に飛び込む。融け入る。そういう練習をするほど、お祈りが深くなる。
だから、お祈りの名人・達人っていう人は、みんな全部、ありとあらゆる行法を練習している。
単に言葉だけを唱えているのとは違う。絶体絶命の場へ自分を置いて練習するの。
病人を前にして、病人が心から消えるまで祈らないとダメ。神さまだけというところまで、
感じるまで祈らないとダメなの。そこまで祈ったら、真祈り。思いを消して、病気を瞬間に治せる。
祈りの練習も、色んな意味の練習が一杯ある。お釈迦様が教えた座禅観法も色々ある。
段階を追って、順番にマスターしないと、本当の座禅はできない。

だから、一人一人今の自分に何が必要か、これも見抜く必要がある。
謙虚に自分を見つめて、今の自分に必要なことを順番にマスターしていかないとダメ。
その自分を神さまに護って導いてもらって、心境を上げてもらう為にどうしたらいいか。
神さまの護りを、助けを受けるために、どうしたらいいかを真剣に求めないとダメ。
何でもいい、ではない。今の自分に1番必要なものがピタッと決まらないと、それを卒業していけない。
小学生が、中学校に行って、大学に行って、断片的に何か勉強をしてきたって身に付かない。
小学生は小学生の勉強、全部をマスターして卒業していかないと。
今必要なこと全部をマスターしていくことが、1番の最短コース。その必要なことを見抜くのは、自分ではない、
神さま。だからこそ、ありがとうございますを唱えて、呼び続けないと。

神さまを呼び続けたら、必要なことを、わからせてくれるというよりも、必要なことを与え続けてくれる。
求めるまでもない。必要なことを与え続けてくれるから。だから、すぐに身に付く。
そしたら、呼ぶだけのありがとうございますが、ありがとうございますの持っている全ての意味を、
中に持つようになってくる。感謝はもちろんだけど、感謝だけではない、全ての働き全部が、
ありがとうございますの一言の中にあるから、真祈りに早く近づけるようにしてくれる。

だから、1番最初は、呼び続けるのがいい。真の神さまを呼び続ける。
身近に呼び続ける、これが1番最初のやり方。自分が、我が出たら高慢になる。呼ぶのを忘れる。
もう常に神さまだけって、呼び続けないとダメ。神さまの他に何かあると認めたときは、
ごめんなさいってお詫びすること。真の神さまだけですって、お詫びして呼び続ける。
真の神さま以外を認めたら、真の神さまは絶対に出てこない。呼んでも出てこないの。
ここにマイナスがあるって認めたら、真の神さまは出られないの。その人はマイナスを選んでいるからって。

真の神さまだけ、そういう風に呼んだら、遠慮なく出て来られるの。問題を掴んで、真の神さまって言ってもダメなの。問題をその人が掴んでいる限り、神さまは出てこられない。自由意志は、その人が選んだものが優先。真の神さまに出てきてほしかったら、ひたすら、呼び続ける。自分にとって必要な真の神さまだけって言い続けないとダメなの。そしたら、真の神さまと出会える。本当の目的は、神さまと出会うこと。神さまに出て来てもらうこと。出会えて、実感できるようになること。神さまと出会えた時に、全部問題は無いの。消えて無い。

(平成26年2月22日のお話 第2部)