元々本心の自分が神さまの世界から虚の世界に堕ちた原因は、過去を掴んだから。
過去を掴んで、その残像の中に入って、また過去を掴んで、更に小さい残像の中に入ってと、
掴み続けてきたわけ。それが思いになって無限に溜まってしまった。
その思いに潰されて地獄のどん底に落ちてしまった。そこからもう一回本心の自分に戻るために何が必要か。
自分では絶対に戻れない。真の神さまの無限に無限に大きい力を加えてもらえなかったら絶対不可能。

もし自分が地獄のどん底に堕ちた人を一人、救いに降りて順番に引き上げて来ようとしたら、
何が必要か考えたらよくわかると思う。まず自分が降りられるか。降りるには、あまりにもマイナスが大きすぎる。
例えば閻魔大王は、実は無限に愛深い女神さま。あの怖い閻魔大王とは違う。
本当は無限に優しい愛深い女神さま。ところが救いに降りても、一番恐ろしい、恐い閻魔大王って見られてしまう。
救いに降りてすら、そう。どれだけ逆に見られてしまうか。
救いの手を差し伸べたら、鬼が鉄棒で叩きに来たって見られてしまう。それをどうして救うか。
全てマイナスに受け取ってしまう。ちょっとでも手を差し伸べたら、噛みつきに来るぐらい。
助けなんて思わない。そのくらい、大変なの。

だから本当に大きい力が加わらないと救うことはできない。虚の世界の神仏が救いに降り立つわけにいかないの。
極楽にいる住人が地獄に降りたいなんて、絶対に思わない。もし降りたら自分も地獄の住人になってしまうから、
救うどころではない。必ずみんなに足を引っ張られて、住人になってしまう。
だからいくら救いたいと願っても、そういう中途半端な力では絶対不可能。願いだけではダメなの。
本当に救う力が必要。でも真の神さまは、無限に無限に愛深いから放ってはおかない。
それで真の神さまが直々に降り立つ。

真の神さまは正体を見せないから、これが真の神さまとはわからないかもしれない。すがたを隠しているから。
でも一人の人を救うのに、その人の積み重ねたマイナスをまず半分取る。
周り全体のすがたを、神さまの愛のすがたに置き換えて、救いのすがたに置き換えて、導きのすがたに置き換えて、
全体を通して少しでもプラスになるように助ける。それを繰り返している。

自分の積んだマイナス、思いは借金になる。これを自分自身で、返させようとする。
やっぱり自分で積んだ借金は、自分で返さないとダメ。自分の自由意志でしたことは、みんなその人の責任になる。
だからどんな時も真の神さまは出しゃばってこない。正体を現さない。常に隠れて助ける。
だからお蔭さまというのはそういう意味。陰で陰で、見えないように正体を隠して助け続ける。
ただバックアップはする。人の自由意志で、前へ進んだら、後ろから応援する、バックアップする。
これが一番大事なこと。だからどんな働きでも、神さまの願いを生きたら、大きく応援してくれる。
神さまの目的を持って生きたら、大きい応援がそこにいつも付き添うように、加わってくる。
だからどれだけ神さまの願いを生きようとするか。神さまの目的を持って生きようとするか。

地獄に堕ちた人は、まず、自分では本心の自分を忘れきっている。気付かない。
残像を掴んでそれを自分と思い込んでいる。本当のマイナス思考になりきっている。
だからまずプラスは絶対に選べない。だからプラスを選べるようにしようと思ったら、マイナスを消しながら、
真の神さまっていう本当のお祈りを加えて、本心を少しでも出てくるように助け続ける。
これは真の神さまを与え続けるという働きで、本心を少しずつでも、目覚めさせるの。
それで順番に段階を上げてきて、やっと声聞・縁覚の前まで来る。入口に来るの。

だからこの自分のマイナスは自分の見ている世界全部。この世は、そういう意味では
あの世の万分の一以下のすがたをとっているから、本当は、みんなこの世のマイナスの万倍以上、
マイナスを自分のマイナスとして持っているの。それをどう消してもらうかなの。
絶対に自分で消せるわけがない。虚の世界の神仏の助けでも消えない。
守護霊さん、守護神さんがどんなに立派でも、そんな力はない。真の神さまが応援に立たないとダメ。
真の神さまが全体を通して、助けに来るの。

ただ真の神さまは出しゃばってこないから、自分が責任者になって、マイナスを全部消そうとしないと、
真の神さまの助けはないの。ここが一番大事な根本。だから常に、自分と神さまを一対一の関係におかないと。
これが信仰の極意。そこから出発しないと、真の神さまの助けはないの。
真の神さま以外に、自分があって、他人があってと、言うのであれば、真の神さまを立てていないことになる。
その時は、真の神さまは絶対に出てこられないの。他を優先しなさい、になる。
だから虚の世界の神仏にすがるのだったら、そちらを優先しなさい、になる。
出しゃばったら、全部消えてしまうから、真の神さまは絶対出しゃばれないの。
だから常に一対一の関係において、真の神さまが出てこられるように、自分が選ばないとダメ。

総責任者というのは、一切のマイナスを消す責任もあるし、全てに真のプラスを与え続ける責任もある。
その全ての責任を自分が背負わないとダメ。その覚悟が出来たら、真の神さまがバックアップする。
全体が真の神さまの助けとして降り注ぐ。真の神さまが、自分を護りに護ってくれるすがたをとった時は、
自分から神さまの世界に戻る必要なんかない。真の神さまが自分の身近に降り立って、
そこが真実の世界に変わってしまう。一足飛びところか、一足もいらない。一歩も歩かないでいい。
真の神さまが降り立ったら、そこがもう、真実の世界・悟りの世界になる。

だから真の神さまの願いを生きること。真の神さまの目的をしっかりと生きること。
神さまの目的を自分の目的にすればいい。これが本当の人生の目的・正しい目的。
真の神さまは自分自身を与え続けて、みんなに必要なものを的確に与え続けて、幸せにしたいだけ。
だから真祈りが正しいの。真の神さまを与え続ける、そして真の神さまで埋め尽くす。
どこを見ても真の神さまだけっていう状態にしてしまう。

そしたらマイナスは、もちろんさっと消える。そして必要なものを的確に与えてもらう
一大循環の相象(すがた)を取って、真実の世界が目の前に現れる。だから最高に幸せな状態を、
ずーっと与え続ける。これが真の神さまの目的であり、願い。それを自分が、願いとして、
目的として持って生きないとダメ。そしたら、真の神さまがバックアップにつく。真の神さまが全てを動員する。
自分と同じような生き方を取る人を総動員して、支え合うすがたで出てくる。
自分の生き方を全体がバックアップする。これが本当の支え合いの生き方。

(平成26年2月22日のお話①)