この一生、どんな生き方をしても、本当の自分の幸せとは違う。ちょっと思い通り、願い通りになったって、
幸せでも何でもないそんなの。本心の自分に戻ってこそ、幸せ。
本当の無条件の幸せは、神さまから与えてもらう、大きい幸せを味わい続けられる自分。
肉体の自分が思い通りになって喜ぶなんて、そんな幸せの内に入らない。そんなの求めて生きるのはダメ。
甘すぎる。本当に本心に早く戻らないとダメ。一日も早く。

だからこういうことを教えてくれるのは、どこにも無い。御利益信仰はいっぱいある。
お金を出したら儲かる、10分の一出したら、大金持ちになるって教えてくれる。そんなのはいらない。
そんなのは違う。お金が儲かったら、大金持ちになったらダメ。マイナスを一杯背負う。
そんなものいらない。本心に戻ることだけ。全部捨てて捨てて、自分の掴んでいるものを全部捨て切って、
神さまの世界に戻ったらいいだけ。そしたら必要なものが全部循環する世界に戻ったらいいだけ。

真の神さまがみんなに願っているのは、本心に戻すことだけ。
真の神さまはそれだけのために、直々に出て来てくれる。神さまの方からは何も頼んでこない。
悟って欲しいなんて言わない。手伝って欲しいなんて言わない。お金を出して欲しいなんて絶対言わない。
反対。自分が助けて欲しいって願わないとダメ。一回頼んだってダメ、何億回頼まないと。
土下座して、何億回助けて欲しいって言わないとダメ。神さまを呼ばないとダメ。
この命を使って欲しいと、頼まないとダメ。何万回、何億回って、使ってくれるまで、頼みこまないとダメ。
自分のお金も同じ。使って欲しいって頼まないと。マイナスを消してもらえない。

仏教では、信者さんは、御釈迦さんとか仏さんに供養する。布施行とは違う、供養。
マイナスを消してもらうため。御釈迦さんとか本当に悟った仏さんは、応供(おうぐ)という名前がつく。
応供、供養に応じる。如来とか、応供っていうのは、マイナスを全部消せるから応供。
みんなを救うために、供養を受ける資格がある。

だから真の神さまに捧げるのは、全ての思いを消してもらえるから、捧げる。
消してもらえないところに捧げたら、マイナスを積むだけ。おかしい宗教団体と同じになってしまう。
お金を集めて、最初は純粋に見えていても、お金の業に負けたら、みんな狂ってしまうのは当たり前。
組織を作って、虚栄心の塊のようになってしまう。思いを消せない。
本当に力のある真の神さまに捧げないとダメ。人に捧げてもダメ。思いなんか絶対に消えない。
だから真の神さまと一対一の関係に自分を置いて、真の神さまに縋りつく。
本当に助けて欲しいって縋る。自分の全部を投げ出すすがたをとらないといけない。甘かったらいけない。
真剣さがないと。真剣さがないと、神さまの真剣さと波が合わない。

助ける側の神さまの立場に立ってご覧。地獄に降りて、救おう思ったら、どれだけ大変か。
極楽にいる人が地獄の苦しみを背負うって、どれだけ大変だと思う?極楽っていうのはいつも幸せ一杯。
それを地獄の苦しみ・苦痛を半分取って、救おうと思ったらどうする?そんなこと絶対にしない。
極楽にいる人が地獄に助けになんかには降りない。苦しみたくないから。
虚の世界の極楽にいる人が救いになんか立てない。助けに降りているのは、真の神さま。

だから、どれだけ愛深いかがわかる。無限に無限に愛が深い。
本心の一人一人を、地獄の苦しみの中に置きたくないから。そしたら、やっぱり自分が総責任者になるしかない。
本当の自分の全てを神さまに捧げる生き方しかない。早く、1日も早く、本心に戻らないとダメ。
1点集中でポスティングをして、少なくとも地球を救えなかったら、地球一つ救えないようでは、
自分の虚の世界を全部プラスに変えるわけにはいかない。

だから、地球1つを救うぐらい、本心の自分の立場に立ったら、自分一人でも、と願わないとダメ。
そしたら、真の神さまのバックアップは大きい。全体が自分を支えて、助けてくれる。一人ではない。
神さまと、全体といつも一緒。だから、その気持ちにならないと、周りからの助けが有り難くも何ともない。
全部が真の神さまの助けと感じないと、神さまの世界には戻れない。
自分と他人をバラバラに見てるようだったら、本当の神さまの愛がわからない。
自分が一人、総責任者になって、一人でもする!と決めたらわかる。
どれだけ大変か、どれだけ大変な仕事かわかる。だからこそ、どんな助けも有り難い。
誰かのお手伝いではダメ。何もありがたくない。

神さまのせいにしたらダメ。神さまのお手伝いなんて言ったらバカ。反対。神さまが手伝ってくれる。
神さまが、全体を使って自分の手伝いをしてくれる。自分が神さまのお手伝いをするのではない。
だから、神さまの為にというのは、高慢って、この前勉強したけれど、そんなのはダメ。
神さまに手伝ってもらう為。真剣さを示さないと。自分が総責任者になって、命を懸けて真剣になったら、
神さまがバックアップをする。喜んで助けに来る。もう、真剣さを待っている。
そしたら、本当のポスティングのすがたをとる。本当の支え合いのすがたをとる。
みんなが支えてくれる姿をとる。そしたら、地球を救うぐらい簡単なもの。
だから、一人一人が総責任者になってこの1番最初の根本の、不退転の決意がいる。
これがあったら、前に進む。枝葉の問題とは違う。根本だけ。不退転の決意。これを定めること。

(平成26年2月15日のお話③)