もともと神さまの世界にいる本心の自分は、自分のものを何も持たない。持つ必要がない。
本当に必要なものを的確に与え続けてもらえるから。だから絶対自分のものを持たない。
これを掴んで自分のものにした時から虚の世界に転落する。これが自分のものと掴んだら、
それだけが自分のものになる。与え続けてもらうものを受け直すことができない。
一つ掴んで、これだけが自分のものと掴んだら、他のものは全部自分のものでなくなっている。
今の止めた状態も受け取れないのに、ましてや、循環する相象(すがた)を、受け取れるわけがない。

だから虚の世界というものは、自分のものとして掴んで掴んで、小さく小さくなっていっている。
掴めば掴むほど、残像を掴んでいくから、最後は何もない状態。だから求める心だけになる、欲の心になる。
虚の世界の法則から行っても、与えたら与えられるけど、求めて欲の心で奪ったら、奪われる。
だから与え合うんだったら、まだ虚の世界はプラス。一大循環の相象(すがた)とは程遠いけれど、
自分の与えたものは返ってくる。与えただけは返ってくる。プラスを与えたら、プラスを与えてもらえる。
でも、求める心は、奪う心。お互い奪い合ったら、どんどん、必要なものも何もかもが消えてしまう。
最後には、地獄のどん底に落ちる。

一旦地獄に堕ちた人を、どうして救うか。本心の意識が、マイナスの思いに閉じ込められた人をどう救うか。
過去を掴んで掴んで、残像を掴んで掴んで、求める心を一杯起こして、地獄のどん底に落ちて、
もう瀕死の重傷どころではない。大きい思いに押しつぶされて、身動き一つ出来ない。
八熱地獄も、八寒地獄も、大変。それだけのマイナスを積み重ねて、求める心で奪ったものは、
全部大きい借りになる。人から納得して貸してもらったのとは違う、奪ったものはもう一つ大きい借りになる
高利の利息付きの大きい借金と同じ。これが無限にある。先に無限の借金を積んでいる、これが一番根本にある。

その自分を神さまがどう助け続けてきたか。神さまは放っておかない。
地獄に堕ちて苦しんでいる人を、放っておくわけがない。何とかして一日も早く救い上げたい。
地獄に堕ちている人は、時間の感覚が長くなる。虚の世界でも一番上は、一秒で素晴らしい世界一杯って感じる。
それが地獄は、何億年以上苦しみの連続で一杯となる。全然違う。
だから一秒もおろそかにせずに救い上げないといけない。地獄では何億年苦しむか。

どういう救い方をしてきているか。地獄に堕ちている人は、絶対に自分では上がれない。
八寒地獄に閉じ込められたのと同じだから、身動き一つ出来ないし、抜け出すことも何もできない。
そしたら、まず半分を取る。真の神さまの助けが、降りて、半分マイナスを背負って消してくれる。
その時にちょっと気持ちが、プラスへ向いたら、残った半分を棚上げにして、意識をすっと上に上げる。
次にまた、同じように半分取って、また上へ上げる。でもそれは、プラスに向かないと出来ない。

プラスっていうのは、本心のすがた。本心がちょっとでも、本当に氷山の一角でもいい、
ちょっとでも本心が出てきたら、プラスを選ぶ。そのプラスを選び続けてやっと、この世に生まれさせてもらう。

この世に生まれてくる人は、助け続けてもらって、もう、気の遠くなるくらいの助け方してもらっている。
やっとこの世に生まれて、どういう生き方を取るか。本心の自分に戻るためには、菩薩行をしなければ不可能。
本心に戻るのは菩薩行に生きるかどうかで決まる。菩薩行できないようだったら、また下へ転落する。
だから一回棚上げされたものは、戻されたら地獄まで落ちる。菩薩行に生きるからこそ、棚上げにして、
借金返しの出来る自分にしてくれる。それでも自分では出来ない。
大きい助けを受けて、神さまの助けで菩薩行に生きて、そして借金返しをして、なおかつ、
みんなを救うお手伝いをして、徳を積んで、そして本心の自分に戻ろうとする。

この世の七難八苦の姿なんて、あの世の本当の七難八苦から見たら、万分の一以下。小さいもの。
それでもこの世の七難八苦でもみんな大変って、苦労して苦しんでいる。
だからこの地球上、色んなマイナスの問題が一杯あるけど、本当の自分のマイナスから見たら、
そんなものは億万分の一。自分の持っているマイナスの方が、億倍凄い。
この世の全部マイナスを消しても、小さいマイナスの消し方。億倍を消さないと、本当のマイナスを消せない、
借金を消せない。借金は、みんな利息がついて増え続ける。だから簡単に消えるものではない。
何もしなかったら増えている。高利だったら一日で倍に増えるかもしれない。
神さまだから、それを消し続けられるし、棚上げにして、増えないようにもできる。

ただ、人は自由意志があるから、本当に神さまの助けを受け入れる心にならないと、受けられない。
自由意志があるというのが、一番大事なところ。だから自分の自由意志で選ばなければダメ。
本心に戻ろうとする生き方を、選ばないと。本心に戻ろうとする生き方は、菩薩行。
菩薩行をしようとするかしないかで決まる。助けてほしいだけではダメ。
いくら助けを受けたからって、喜んでもダメ。これでは借金返しは出来ない。

菩薩行をして、初めて借金返しが出来る。借金を踏み倒して、本心には戻れない。
もうたくさんの人から借金をしたら、みんなから足を引っ張られる。許してくれない。
いくら神さまが助けたからって勝手には幸せになれない。ダメなの。出来ない。みんなを納得させられない。

だから自分の借金は全部返さないと。でも、自分では返すことは不可能。
守護霊さんや守護神さんが付いたからって出来ない。そんな小さいものではないから。
だから真の神さまが直々に出てこないといけない。
本当の無限の無限に大きいプラスを与える助けが降りなかったら、虚の世界の大きいマイナスも消せない。
それで真の神さまが直々に降りてくる。そしたら、どうして降りられる?
みんなの心の中に降りるって、みんなの心は、神さまに波が合っているか?求める心、受ける心ではダメ。
菩薩の与える心でもまだ足りない。本当の支える・支え合う、全体を真の神さまで埋め尽くすぐらいの
与え方の心にならないと、真の神さまは降りられない。波が合わないから、降りられない。

だから真の神さまに降り立ってもらうために、何が必要か。これは本当の意味で自分を救うため。
地獄に堕ちている自分を、本心の座へ戻すため。これはもう、自分が選ぶしかない。
自分が、全責任を持つしかない。人は無関係、他人の問題とは違う。自分の問題、自分一人の問題。

この地球上の問題なんて小さなもの。本当の問題はもっと無限に大きい。
本心に戻るのは虚の世界全部を消しきらないとダメ。それを本心の自分は、選ぼうとする。
本心の自分から見たら、この肉体や魂とかそんなものは、道具のほんの無限分の一。
宇宙全体が、本心の自分の一つの道具。全部を総動員してプラスに変えないと。
だから真の神さまを与え続けて、真の神さまで埋め尽くして、真の神さまだけにしてしまうまで、
与え続けないと、神さまの世界にならない。戻れない。

だから真祈りが祈れたらって言うけど、真祈りを祈るのが一番難しい。どれだけ修行に修行を重ねても、
まだ虚の世界のお祈りで終わる。まず真の神さまと出会えてないのに、真祈りで真の神さまを与えるなんて不可能。
真祈りは、言葉ではない。真の神さまを与えるというのが、真祈り。言葉を与えるのとは、違う。
だから、「ありがとうございます」には無限の段階がある。支え合う、本当の真祈りっていうのは、
真の神さまを与えるまで行かないとダメ。そしたらどうしたらいいか。

まず自分から、下から上へ昇るわけにいかない。不可能。地上の者が天に上るのは不可能。
絶対不可能っていう位、難しい。そしたらどうしたらいいか、神さまに降りてもらうこと。
神さまに、自分の中に降りてもらうこと。まず神さまを呼ばないとダメ。
ありがとうございます、ありがとうございます、真の神さまを呼び続ける。神さまに自分を使ってもらう。
この命、どうぞお使いくださいって投げ出さないといけない。
自分が責任者だから、自分の借金は、全部自分が消さないとダメ。
だから神さまに降り立ってもらって、自分が責任をもって全部消す。プラスで埋め尽くす。
プラスで埋め尽くして消す。

だから、たかが一冊の本ではない。真の神さまのプラスの言葉が一杯入っていたら、神さまと波が合う。
波が合わないものに、神さまは降りられない。真の神さまのことだけを説いている本だから、波が合って降り立つ。
だからポスティングに使える。他の本ではできない。他の本は、他の神さまが降りる。
真の神さまが降りるのとは違う。虚の世界を消してくれない。全ての思いも消せない。

(平成26年2月15日のお話①)