普通我の心はみんなね、神さまのために何かしているって、責任転嫁する。
世の中の色んな宗教の生き方を見て見たらよくわかる。神さまのためにとか、聖戦だって言って、
戦争起こしている。神さまはそんなこと、絶対に願っていない。みんな神さまをだしにしているわけ。
神さまを隠れ蓑にして、自分の好きなことを勝手なことやっている。だから本当は、神さまのために、ではない。
神さまのためになんて言ったら、ものすごく高慢な、傲慢な生き方。
自分が神さまのお手伝いに生きるって言っても、神さまへの恩返しに生きるって言っても、
本当は、万分の一も億分の一も出来ない。無限分の一も出来ないの。

 だから神さまのためになんてならない。みんな自分のため。自分を助け上げてもらう、
救い上げてもらうためだけ。だから神さまのためなんて言ったら、大きい我がある。一言そんなこと言ったら、
高慢な、傲慢な我の強い人ということになってしまう。自分は神さまのことなんて何も出来てはいない。
神さまの足を引っ張って、迷惑ばっかりかけて、助けてもらってるだけで、何の役にも立ってない。

 でも神さまの御用に使って欲しい、お役に立ちたい。この願いは謙虚。
ちょっとでも神さまのお役に立ちたい、御用に使って欲しい、お手伝いさせてほしい、
本当に神さまの手足になるまで、護って導いてほしい、という願いだから。

 だから謙虚さは大事。謙虚にならないと真の神さまの助けは降りてこない。我の主張のあるところへは、
絶対真の神さまは出てこない。謙虚に謙虚に、どこまでも謙虚になったところへ、
真の神さまはすっと出てくる。自分が出た時は、神さまは引っ込む。どんな小さい我でもダメ。
我が出た時は、神さまは奥に引っ込む。我を捨てた時に初めて、出て来てくれる。
それも謙虚に、謙虚に、なった時よね。神さまのお手伝いがしたい、御用に使って欲しい、何か恩返しがしたい。
そういう本当の謙虚なところへしか、降りてくれないの。

 いくらポスティングしていてもそう。神さまのお手伝いを本当に命捧げてするって言っても、謙虚さが必要。
何のためにするのか。結局は自分のマイナスを全部消してもらうためなの。
地球を守るって言っても、地球のマイナス消すって言っても、本当は全部自分の、自分自身のマイナス。
自分のマイナスを消してもらうために、真の神さまを利用して使っているようなものなの。
神さまのためでも、人のためでもない。自分の過去のマイナスの借金を消してもらうため。
そのために、神さまの助けを受け、みんなの助けを受ける。だからどこまでも謙虚さが必要。
自分がしている、なんて言えない。本当に自分を救い上げようとしてくださっている。

 マイナスを消さずに自分が救われるわけがない。自分の無限の無限のマイナスを消してもらうためなの。
自分自身のマイナスを消してもらってすくい上げてもらうために、ポスティングがある。
それも神さまは、全てを総動員して助けてあげようって、助けに降りてくれるすがた。

 だから自分が何かするのではない。絶対に違う。自分を本当に助けてもらうため。
そのためだったら、自分が全責任持たないとダメ。自分が本当の総責任者になって、
神さまの助けを受け入れないとダメ。マイナスを消すために、自分のすべてを捧げ尽くさないとダメ。
地球に満ち渡った、全てのマイナスの言葉を消しきるぐらいの、大きい責任は持たないとダメ。
全てが、過去の自分のマイナスの言葉が、増幅されて大きくなったすがただっていうぐらいに。
 そしたらまた気持ちがちょっと変わる。謙虚になるほど、本心が輝く。
そういう気持ちになったら、本心が輝いて出てくるの。神さまの助けを受けやすくしてくれる。
我がひっこんで消えていくの。

 自分のいのちを、本当に捨てて死に切った人は、どんな業想念、悪魔やサタンの誘惑も無いの。
我を死に切った人は、どんな誘惑にも負けない。いのちを捨てた人は強い。
本心っていうのは、常に死に切って、新たな自分を受け直しているから。本心が一番強いよね。
一瞬一瞬死に切っているから、どんな誘惑にも負けない。新たな自分に、新たな自分に置き換わっているから。
でも思いの自分は、やっぱり過去を掴んでいる。自分を守ろうとする。
だからそれは必ずもう一回死に切らないと、ダメ。死に切って、消さないとダメ。
それが自分の全てを神さまに捧げて、お返しして消してもらう生き方。

ポスティングの意義っていうのは、ものすごい意義深いの。本当の意味がわかったら、
自分が、大きい助けを受けて本心に戻してもらう、悟りが開ける。自分の悟りを開くためなの。
ただそれ一つ。人を救うのではない。地球を救うんでも何でもない。
自分が本当の悟りを開かせていただくための、神さまの大きい愛の働きなの。
だから本気で取り組まないとダメ。自分自身の問題として、本気で取り組んで、
神さまの愛の助けを大きく受けて、悟りが開ける。

(平成26年2月8日のお話②)